◎ 数学の方程式にあてはめよ
学校の授業が終わるなり俺は鞄を持ち家に走り出す。
「おい、綱吉今日遊んでかないか?」
「ごめん、今日は時間ないからっ」
俺を呼び止める友達の声に振り返ることなく、校内を一目散に駆け抜ける。
ここから家までの距離は時間にして十五分。
走っていけば六分ぐらいだ。俺の家庭教師に来ているリボーンの設定した時間ぎりぎりに到着することにげんなりしつつ、上がらない足を精一杯あげて走った。
「っ…はぁ、はぁ…はぁっ…ついた」
家の門に手をかけると、俺はそのまま玄関を開ける。
当然のように靴が並べて置いてあり、もういるのかとため息が漏れそうになるのを押しとどめて顔を出してきた母さんからもうきてるわよ、と声をかけられた。
「今いく」
もう少しだと階段を上がり、自分の部屋を開けるとリボーンは優雅に出された麦茶を飲んでいた。
「…つくづく思うけど大学生なんだよな?」
「そうだぞ?」
「なんで俺より早く俺ん家きてるんだよ」
「授業のコマの問題だ、一分オーバーだテスト追加な」
容赦ないリボーンの一言にぎゃぁっと声を上げるが慣れたもので、いつもの宿題に加えテストまでつけられた。
こんな生活が始まってそろそろ二週間になろうとしていた。
リボーンは月、水、金、ときて俺の勉強を見ている。教えるのはうまくて、先生の授業よりこっちで復習した方が呑み込めているということはすごく助かっている。
だって、いままで授業についていけてなかった俺が先生の言葉を理解できている事実に一番驚いたのだ。
わからないことは聞けと言った通り、俺が聞くものすべてにちゃんと答えて教えてくれる。
考え方、方程式、言葉の意味。博識を通り越して、リボーンの頭の中に図書館が広がっているのかと思うほどに何を聞いてもしっかりと返ってくるのだ。
だからか、こうして勉強が上乗せされてもやることが嫌なだけでこの時間が特別嫌いだと感じたことは、悔しきかな今に至るまで一回もなかった。
自分のためになっていると分かっているからかもしれない。これが有効な情報として脳が処理している。
気がする。
「今日の宿題は?」
「数学と、漢文が…」
「時間はねぇんだから好きな方からやれ」
リボーンがいれるのは二時間。リボーンはリボーンでやることがあるのだと言っていたから、この時間は一気に集中させられる。
走ったあとだというのに、結構頭にするすると入ってくるから不思議だ。
まずは数学、と教科書を開いて出されたテストを出した。
俺は一つ一つ解いていく、その間リボーンは俺の漫画を漁るか、適当に教科書を開いては暇をつぶしている。
「できた」
「わからないところはなかったか?」
「今日やった内容だし、とくには」
リボーンがどれどれと覗き込んでくる。
そして、俺の答えを眺めて容赦なく頭に手のひらが振り落された。
「いたっ」
「凡ミスすんな。掛け算だぞ、あとここの足し算。方程式にあてはめたって、つまんねぇミスで点数落とすな勿体ねぇ」
「はぁい」
完璧に見えたそれでも、リボーンはしっかりと穴を見つけたらしい。俺が間違えるたびに暴力を振るわれるのはどうしたものか。
口答えしたら、拳じゃないだけましだと思えなんていわれた。
確かに…と納得しかけてそうじゃないと思いなおすけれどそのおかげでこうして少しずつでもわかっている事実にリボーンのこの教育方針が間違っているなんて言えない。
「まぁ、わかってきたようだな。次は漢文だろ」
「あ…これ、俺全く分からないんだ」
「辞書ちゃんと持ってきてんだろうな?」
「ん?ああ、とりあえず」
リボーンに言われて、漢文のプリントと念のためと思って持って帰ってきた辞書を机に並べる。
リボーンはまず漢文の読み方を教えてくれた。
レ点は戻って、とかこっちの読み方はこうなる、とか。
一見よく分からないが、これを法則にして一度書き出してみろ、と指示してくる。
俺はそれにしたがって書きだしてみると少しは読みやすくなったかな?という程度。
「文の意味だって分からない」
「そこは、これがあるだろ」
てっきりリボーンが教えてくれるのかと思っていた俺は拍子抜けしてしまう。
だって、リボーンが辞書を開けって言ってるんだ。今までなかったことだと俺は首を傾げる。
「お前な、国語は意味を調べるのが主なんだ。自分でわからないことを探す、そうして知識を身に着けてくもんなんだから面倒くさがらずにさっさとやれ」
「…ん、はい」
リボーンの言葉にはなんだか説得力があって俺は素直に辞書を引き始めた。
意味が重複したり、言葉がつながらなかったりするところはしっかりと解釈の仕方まで教えてもらって理解が深まった気がした。
リボーンに教えてもらいながら進めていくと、自分では絶対に手を付けなかったであろうプリントはすっかり埋まってしまっていて、読み返せばちゃんと意味を成していた。
「暗号文だと思ったのに…」
「お前が理解しなかったせいだろ。言葉にはちゃんと意味がある、それの一つも無駄にしちゃなんねぇんだ」
「…ふぅん、リボーンって先生にでもなりたいの?」
「なんだ唐突に」
「だって、すごく教え方うまいから」
純粋に抱いた疑問。
こんな勉強も何もできないやつに、ここまで理解するまで根気よく教えるのなんてそういう職業を目指していないとできないものじゃないのだろうか。
「…まぁ、それも悪くねぇな」
「ふぅん、まだ決めてないのか」
「いろいろあるんだぞ、お前だって大学生になるんだろうが」
「そうだけど…」
俺のはなんか強制的みたいなものだし…。
いきたくて行く人とは少し違うんじゃないのかと思うのに、大学に行ったら目的関係なく同じだろと言われて、そういうものかとなんだか薄情な気分になってしまった。
「そんなことはいいからさっさと次もやれ。時間ねぇんだぞ」
「はぁい」
とんとん、と次のページを指されて俺はそっちも同じ要領で読み解くことに成功した。
今度は自分で完成させたという達成感ににやりと笑ってしまうのが止められない。
ふっとリボーンに視線を向かわせると俺の喜びをわかっているとばかりに笑っていて、つい見惚れた。
っていうか、見惚れるってなんだよ!?同じ男なのに。
ただ、リボーンはすごくかっこいいし…見惚れるのも無理ない…か?
「わかるのは、楽しいだろ」
「…うん、そうだね」
たのしい…、言われてようやく自覚した。
俺は確実に勉強が楽しくなっているのだ。
だんだん、わかるようになって攻略する楽しみを知って、知識を身につける嬉しさをかみしめる。
ゲームのようでいて全然違う、けれどしっかりと自分の力になっていく。
そのうち、階下からご飯を告げる母さんの声が聞こえて今日の勉強はおしまい。
宿題も終わったのですがすがしい気分で食卓についた。
「たくさん食べてね」
「ありがとうございます」
リボーンは報酬代わりに出る夕食をいつもおいしそうに食べ、母さんを喜ばせて帰っていく。
ちゃんと俺がいないときも宿題はしろよ、の声に頷いてリボーンの背中を見送った。
この前まではようやく帰った、と思っていたのに今日は少しもったいないなと思ってしまった。
二時間しかリボーンはいない、その短い時間で教えてもらえることはそうたくさんないけれど、ゆっくりと夢中になっていくのが自分でもわかる。
それは勉強に対してなのか、リボーンに対してなのか、俺にはよく分からなくて。
どんなに考えても、この感情はどれにも結び付けられないと小さくわからないようにため息を吐いた。
続く