◎ 白詰草の約束
花屋の店主、リボーンと交流をもつようになって俺毎日が楽しく感じていた。
沙菜もなんだかんだ、伊勢谷のことが気に入ったらしく休日には俺の手を引いて花屋に行きたがった。
梅雨が明けてもそれが続いていた、ある日のことだった。
朝いつものように保育園へと向かう道で事件は起きた。
「……」
「おかーさん」
「沙菜」
「なんで、会いに来たんだよ」
目の前に立っていたのは俺の元妻で、沙菜は嬉しそうに声を上げて駆け寄って足元に抱きついている。
俺は特に止めはしなかったが、勝手に家を出て言ったくせになんのつもりだと妻、彩実を見つめた。
彩実は何かを言いたげに口を開いたが、結局何を言うでもなく沙菜の髪を梳いている。
もう、離婚も成立していて親権はこっちにある。何の問題もなく解決している話であった。
「離婚してるからって会いに来ちゃいけないってことないでしょ?」
朝からなんて話をし始めるんだと俺は沙菜の手を引いた。
沙菜は困ったようにこちらを見て、そのあとそっと彩実から離れた。
彩実は唇を噛んで、俺を睨んでくる。
「あなたは、自分勝手にしてただけの癖に」
「それを、今お前がしてるんだろ」
「もうやめてっ、さな…おとーさんとおかーさんがけんかしてるの、みたくないよ」
沙菜の一言に俺は我に返った。
彩実も同じようで、沙菜を見てごめんねと謝っていた。
これ以上俺達に近づかないでほしいと思っても、無理なのだろう。
俺は沙菜を連れて離れる、彩実の視線が俺を見ていたが俺はそれを無視した。
沙菜は泣きそうな顔を必死に抑えていた。子供が泣けない環境を作ったのは俺達だ、ごめんなと謝る気持ちで髪を撫でれば沙菜は強がって笑って見せる。
「さーな、大好きだよ」
俺は沙菜を抱きあげて目を合わせるとちゅっと頬にキスをした。
沙菜は安心したように笑って、さなもとキスを返してくれた。
「さ、保育園遅刻する前に走ってくぞ」
「おとーさん、がんばれぇ」
ふざけて走ってやればきゃあきゃあと喜んで、保育園につくころにはすっかり機嫌よくなっていて、一安心だ。
「朝から元気ですねー」
「あはは、そうなんですよ」
「せんせー、おはようございます」
「おはよう、さなちゃん。では、お仕事がんばってください」
「はい、よろしくお願いします」
頭を下げて沙菜を預ければ、俺はいつものように仕事に向かった。
仕事場では、最近離婚したばかりというだけの噂で、特に何もない。
パートタイマーのおばさんたちも離婚経験者は結構いて、俺の話しも特別駆り立てたようなものはなかったようだ。
この年で離婚は大変ね、と言われるだけでそれ以上のものは何もない。
その辺りは、本当に感謝したいぐらいで、この会社に勤めてよかったと思う要因でもあった。
離婚のことでなにかを言われることもなければ、ここは本当に居心地のいい場所で、仕事も新しいことはあれどある程度慣れてきている。
今日の夕飯は何にしようかなと考える余裕があるぐらいには、安定してきている。
「さなちゃん、あーそぼ」
「いーよ」
積み木で遊んでいたらみえちゃんが声をかけてきて私はみえちゃんの持っている物を見つめた。
それはおままごとのセットで、私は少し嫌だなと思ってしまった。
私のお母さんとお父さんは仲良くない。
私のことをほっておいて喧嘩してる。私は、ふたりから嫌われてるんだと思う。
だから、あんなに喧嘩して最後はお父さんに押し付けられたんだ。
お母さんは私のことが好きじゃなかったから。
泣いてばかりいるのが嫌いだと言われた、面倒ばかりで疲れたと言われた、子供は親のことなんか何も考えないって言われた。
そんなこと、ないのに。
私はお母さんもお父さんも二人とも大切で、三人で一緒にいたかった。
そんなことを思い出させるままごとは、あまり好きになれなかった。
「さなちゃんは、ママね」
「えみちゃんは?」
「私は、いもうと」
さなちゃんのいもうとになりたかったんだ、と嬉しそうに言って始まった遊びは、部屋の中からグランドに出て外でも行われた。
途中男の子も加わって、パパとわんちゃんが増えた。
そうこうしている間に、お昼寝の時間になり先生が呼びに来る。
「ほらほら、皆お昼寝の時間ですよ」
「「「はぁーい」」」
お昼寝の時間を過ごしたら、そしたらだんだんと友達がいなくなっていっちゃう。
おとーさんはいつも最後だから、私もいつも最後まで此処にいる。
絵を描いたり、先生と歌を歌ったり、一人ひとりと帰っていくなか私は一人ぼっちになっていく。
時計をみては、まだくる時間じゃないと考えて、一人寂しくなる。
でも、おとーさんは忙しいからわがままは言えなくて、いらない私を置いてくれているってそれだけで満足しないといけないのに。
最近、おとーさんはリボーンさんと仲が良くて私のこともちゃんと好きっていってくれるけど、寂しいよ。
その間、コウにいが一緒にいてくれて私は少し楽なんだ。
でも、多分おとーさんも幸せになりたいんだと思うから、そしたら…リボーンさんがいいな。
あの人なら、おとーさんあげても…いいや。
私が…邪魔になっちゃうな。
おとーさんには、幸せになってほしい。
「沙菜ちゃん、お母さんが迎えに来たよ」
「…おかーさん」
先生が私を呼びに来て、まだおとーさんが来るには時間が早いと思ったら、おかーさんが保育園の入口に立っていた。
笑顔のおかーさんに、私はこみ上げてくるにがいものを唇を噛んでやり過ごした。
「沙菜、迎えに来たわよ」
「…うんっ」
私がいなくなれば、おとーさんはリボーンさんと一緒にいる時間が増える。
私がいなければ、おとーさんは大変じゃなくなる。
私が、我慢すればいい。
そう思ったら、勝手に身体が動いていた。
おかーさんに抱きついて、そのまま手を繋いでくれるおかーさん。
にっこり笑って、私を見て…ねぇ、でもどうして私を迎えに来てくれたの…?
疑問は口にすることなんてできなくて、私はつれられるまま保育園をあとにした。
少しすると、おかーさんは私の手を離した。
「母さんが自分の子供は自分で面倒見ろってうるさくて沙菜を連れて来たけど、また泣いたりしたら今度は何するかわからないから」
「…ん」
冷たい声でかけられる圧力。
ぎゅうっと絞り上げるぐらいに胸が苦しくて、それでも私はこの人についていくしかできなかったんだと言い聞かせた。
会社帰りに保育園へと向かえば、そこに沙菜の姿はなかった。
「奥さんが迎えに来てくれましたので、お引き渡ししたんですが…」
「あ、そうですか…ありがとうございます」
俺は適当に笑って誤魔化し、園を後にした。
沙菜を連れていって何をする気なんだと俺は途方に暮れる。
実家を知らないわけではないけれど、沙菜が嫌がらなかったというのが気にかかった。
本当は、もしかしたら母親の方が良かったのかもしれない。
女心のわからない俺じゃなくて、ちゃんと育ててくれる人の方を沙菜は選んだのかもしれない。
「おい、綱吉…沙菜はどうしたんだ?」
声をかけられて顔を上げると、俺はいつの間にか花屋まで来ていたらしい。
店仕舞いに顔を出していたのだろうリボーンが声をかけてきた。
俺は、なんでもない風を装おうと思ったのだがくしゃりと顔が歪んでそれができなくなった。
大人げない、こんな…子供が母親を選んだぐらいで泣きそうになるなんて。
「綱吉?」
「りぼ…どうし、たら…俺」
「泣くな、奥に入れ…コウ、あと頼む」
「はいっすー」
立ち止まって動けずにいたら、リボーンが俺の腕を引いてきた。
強引に中へと連れ込まれて、リボーンの居住空間へと引きいれられてソファに座らされる。
手渡されたタオルに顔を埋めて、なにがあったとリボーンは珈琲をいれながら俺に問いかけてきた。
「妻が…沙菜を連れていっちゃって」
「は?親権はお前にあるんだろ、なんで連れてくんだ」
「わからない、でも…保育園にいったら沙菜は妻が連れて行ったっていわれて。どうしよう、俺は沙菜に選んでもらえなかったのかな。俺は、あの子のことを愛してあげれなかったのかな…」
リボーンを見上げれば、珈琲を目の前に置かれてそのまま手が俺の頭を撫でた。
「お前はいい父親だ。沙菜だってそれはわかってるはずだろ」
「じゃあっ、なんで…俺はっ!!」
どうして、俺じゃなくて彩実を選んだんだっ。
抑えきれない情動ににぎりしめた拳が震える。
ぽつりぽつりと涙が零れ落ちていくのを俺は他人事のように眺めていた。
「大丈夫だ、今日はもう遅い…明日になって何もなかったら迎えに行け」
「でも、行ってダメだったら…?」
「それはそんとき考えろ、けど、沙菜にはちゃんとお前の気持ちを伝えれば伝わるだろ」
あの子は聡い子だとリボーンが言って、俺は気付いたらリボーンの腕の中にいた。
慰めるように背中を撫でられて、荒だっていた感情が沈んでいく。
怒りが過ぎると、あとは涙が流れ続けて止める術もなくリボーンの服を濡らし続けていた。
何故だか、リボーンの大丈夫だという言葉に安心して俺は暫くリボーンの温もりに甘えた。
続く