◎ 笑顔はまるで百合のよう
俺が花屋を始めたのは単純明快。
花が好きだったからだ。それでなくてはこんな仕事していない。
花は高いし、売れ残れば捨てなければならない。
上手くやっていくことだけを考えてやっているところもある。
けれど、花を見ていれば癒されるしそこらへんの女よりも綺麗だ。
花の仕入れ時以外は結構暇で、働きたいとやってきた大学生を一人、店番に置いている。
大体俺は暇で、一日朝と店仕舞いのとき以外は暇にしていた。
ただ、最近俺を取り巻く環境が少し変わった。
いつも手を引かれて歩いていた母子が、いつの間にか父子になっていた。
何かあったのだろう。
あの母親は日に日にやつれて疲れていたから、心配だったのだが、妙に納得した。
子は、いつも泣いてばかりだったが父と居る時はなんだか楽しそうだ。
それは、楽しそうに見えているだけなのか、どうなのかはあの子供しか知らないのだろう。
店の前を通る度、俺を見る度チラリと会釈するその男はあの母親より愛想が良い。
目つきの悪い俺でも嫌な顔をしないところが、好感を得た。
俺はこの顔ってだけで老人にはそっと店先を去られた経験が豊富にあるので、中身を見てくれる人間は好きだ。
「店長―、花束の注文です」
「ああ」
花を見ていたらいつの間にか客がきていたらしい。
バイトの伊勢谷浩介…ちなみにあだ名はコウだ…に呼ばれて俺は椅子から立ち上がった。
花束はその時の気分でやらせてもらう。
予算内に収まるように旬の花を混ぜて淡いピンクの花を主に使い包む。
それをコウに渡して、俺はそれで終わりだ。
顔を見せると逃げる客が多いため仕方ない。
「店長、今日もずっとそこですか」
「俺は今日だけじゃなく、いつもここだ…店の顔はお前がやってればいんだ」
文句あるなら独り立ちしてみろ、と言ってやればはぁとため息をついている。
コウは花屋になりたいと言って俺の店にやってきた。
こんな仕事なんか本当に花が好きでなければできるわけがないと、俺はすぐに採用した。
どうせすぐにでも辞めたいと言ってくるだろうと思ったのだが、案外芯が強い。
からかっても反応が面白いので見ていても飽きない。
「俺も花束作ってみたいなー」
「作ればいいじゃねぇか、お前のセンス笑えるがな」
「そんなこと言わないでくださいよ、俺だって結構真面目に作ってるのに…」
前にセンスを試してみたくて花束を作らせたのだが、色のセンスが本当にない。
どうしてそこでそれをいれてしまったのかと、俺もあまりないと思っていたがコウのそれは比べ物にならなかった。
だから、いつも花束にしてくれと言われた時は俺がやることにしているのだ。
「そこの捨てる用のほうの奴でやってみろよ」
「はい」
捨てるだけになってしまった花は仕方ない。
野菜や肉と一緒に花だって鮮度がある。
咲ききって、しおれてしまえばもう使い物にはならない。
コウはできるだけ綺麗な花を選んで束にしていくが、揃え方も独特のセンスで、なにを目立たせたいのかわからない。
大胆なのだが、なにかはき違えている感じはする。
ふっと笑えばむっと口をへの字にする。
「あんたいま笑ったでしょ」
「笑ってねぇよ、早くやれ」
「俺ばっかそうやって…人はいろんな経験を経て成長するんですからね」
「はいはい、言い訳は良い早くやれ」
暇な時間からかって遊ぶのは楽しい。
すると、店の外が暗くなり、そういえば今日は降ると言っていたな、とニュースを思い出す。
梅雨に入ってじめじめとしてきたのはいいとするが、外に出していた花をいれなければならない。
コウには花束を作らせて、俺は重い腰を上げた。
バケツを倒さないように一つ一つ中にいれ終えるころには分厚い雲が空を覆っていた。
「いつ降ってもおかしくねぇな」
街は足早に家路を急ぐ人がちらほらといる。
この時間丁度人通りが少ない時間帯で、もう少しすると帰宅していくサラリーマンが見えるぐらいだ。
「店長できました」
「ほう、見せてみろ」
中から呼ばれて俺は見に奥へと入る。
するとそこには、この前作れと言って作らせたものと大差ないセンスの花束がそこにあった。
「コウ…お前勉強するって言ってなかったか…?」
「はい、勉強しました。色彩の知識とかバランスとか勉強したんですけど、どうですか」
わくわくと俺の顔を覗き込んでくるコウ、悪いが、あの時よりどう変わっているのか明確に説明してほしい。
俺はこれ見よがしにため息を吐いてみせるとコウを見た。
「もっと勉強しろ、全然なってねぇ」
「えー」
好きなものは飲み込みが早いというのに。どうしてコウはこんななのだろうか。
落ち込むコウに慰めの言葉を投げかけたところで天狗になるのはわかりきったことなので何も言わずに花束を処分した。
せめてしおれた花は抜きとってほしかったが、そこの配慮まではないのかと呆れるしかない、
花屋になりたいはずなのだが、そこらへんが曖昧というかなんというか…ビジョンが見えていないのかもしれない。
すると、外から大きな雨音が響いてくる。
「あー、雨降ってきちゃいましたね」
「お前、今日はいつまで大丈夫なんだ?」
「終わりまで大丈夫です」
「そうか、今日は暇だぞ」
「そーっすね」
雨が降ればますます客足は少なくなるだろう。
細々とやっているこういう花屋はそういうものだ。
俺は椅子に座って新聞を開いていたら、店に入ってくる客の声が聞こえた。
どうやら、傘を持っていないようだ。だが、此処で雨宿りをしたところで止むことはないだろう。
俺は誰が来たのかと店の方に顔を出せばいつもここを通る父子だった。
紫陽花についたカタツムリに手を伸ばそうとしてとめているのを見れば、虫は苦手なのかと苦笑する。
赤の他人のはずなのに、いつも会釈されるからか親近感がわいている。
それに、一度でもいいから話してみたかった…まぁ、いうなればきっかけが欲しかったのだ。
「あ…」
「あー、カタツムリさん」
「こいつが欲しいのか?でも、お姫様の手が汚れるぞ?」
「ん、だめなの?」
「それに、お姫様の手だとすぐに逃げられる」
そっと紫陽花をとり上げて、カタツムリには直接触れないようにした。
けれど、クルリとした瞳でまっすぐに見つめてこられるとそれ以上とり上げていることができなくなった。
子供というのは、つい甘やかしてしまうものだなと自分に呆れながら顔を上げると目があった。
「よろしければ、傘かしますよ」
「え、あ…いや、そこまでは…さすがに」
「いつもここ通るでしょう、返すのはいつでも構いませんので」
俺はここに住んでいるため傘の一つや二つ構わなかった。
傘を持ってくるついでに一本だけの紫陽花をくるりと透明なセロハンで巻いてやり父親に傘を手渡して子供に紫陽花を渡した。
「わ、悪いですよっ」
「いえ、子供さんが花に興味を持ってくれるのはどんなかたちでも嬉しいものです、どうぞ気になさらず」
「ありがとうっ」
元気よくお礼を言われて、このくらいになると礼儀正しくなるものなんだなと怖がられないように笑顔を向けた。
大抵俺がいくら笑っても怖がられるものなのだが、その子供は嬉しそうに笑った。
珍しい。
「なにからなにまで、ありがとうございます」
「いえ、子育てがんばってください」
「はい」
「ばいばーい」
子供は抱えられて手を降り、父親はいつものように会釈をして帰っていった。
いいことをすればすがすがしい気分になるんだなと一息つくとコウが俺を見ていた。
「なんだ?」
「いえ、店長のそういう顔初めてみたなと思いまして」
「俺はいつも怖い顔ばっかしてるわけじゃねぇぞ」
「違いますよ。初めて話すのに、心許してる感じが…珍しいな、と」
コウの一言に、そういえばそうだなと納得する。
いつもは人見知りもあってかあまり自分から話したがらないが、今回は自分から出ていってしまったし、また次を期待している。
何があるわけでもない、この小さな街の花屋だというだけなのに、あの家族との繋がりを求めてしまった。
それは、多分。
「期待してんだろうな」
「なにをですか」
「何かをだ。最近変わり映えしなくてつまらなかったからな。日常に変化があっても悪くねぇだろ」
少なくとも、俺は次を期待する自分に悪くないなと思っている。
あの親子にかかわってなにかあるのなら、それも楽しそうだ。
「店長が楽しそうでなによりです」
コウはそう言って、小さく笑った。
続く