◎ 隣に住む変な人
「先生、今回も素敵な原稿有難うございます」
「いえ、お願いします」
いつものように漫画創作の仕事を終えて最終確認をしたあと一連の行動を見守っていた俺の担当である藤崎さんに原稿を渡す。
嬉しそうな笑みを浮かべてそれではと腰を上げて早々に編集部に帰っていった。
俺がこの仕事を始めて早三年になるだろうか…。
ようやく仕事が軌道に乗り始めてこれからという時に、広い部屋が欲しくて今のマンションへと引っ越しをした。
引っ越しにはなんの問題もなかったのだが、引っ越し蕎麦を近所に配る時気づいたのだ。
俺の隣の部屋の人が、ものすごく怪しいのを…。
どう怪しいのかというと、まず昼間は家に居る。
俺も家に居るが、俺の場合それが仕事だ。なのに、隣の黒づくめの男は夜になると出かけるときがある。
けれど大概家にこもっていて、そのくせ高級ブランドのアクセサリーをしているのを見た。しかも、隣から時々漏れ聞こえてくる声が叫んでいる声だったり女の喘ぎ声だったりとすごく怖い。
一体、何をしている人なのだろうか。
そんなことを考えていると、藤崎さんを見送った体勢のまま隣のドアを見ていたら偶然開いて、出て来た男とばっちり顔を合わせてしまった。
「こ、こんにちは…」
「………」
慌てて取り繕うように挨拶をするが、男はボルサリーノを目深にかぶって暑いぐらいに照らしている陽の中へと消えていった。
「挨拶ぐらいしろよ…」
一人残されればそれはそれで腹が立って乱暴にドアを閉める。
とりあえず何か食べようと冷蔵庫を開けると冷たいアイスが見つかる。
アイスを取り出してそれを食べながらひと段落終えたことに疲れがどっと襲ってきて昼間だと言うのにベッドに横になった。
テレビをつける気にもなれず黙々とアイスを食べながら一点だけを凝視する。
「……次は、初恋ものにしよう」
頭に浮かんだことをそのまま口にするとすっきりして、アイスを食べ終えてしまうとサイドテーブルに置いて、その涼しさのまま横を向いて目を閉じる。
早朝から仕事をしていたためにすぐに睡魔がやってくる。
後先など考えずに、俺は誘われるがまま眠りに落ちていった。
「ん……」
目が覚めると、部屋がもう真っ暗だった。
時間を見るために電気をつけると、夜の九時を回ったところだ。
しんと静まり返った部屋をぼーっと眺めるとおもむろに立ちあがる。
「店に行こう」
適当に服をひっ掴んで身につけると、部屋を出た。
昼間より格段に歩きやすくなっているネオンが光る街を歩き続けた。
そして、ある店に着けば中に入る。
「お、久しぶりだなツナヨシ」
「久しぶり…セイジ」
さっそく出迎えてくれたのは俺がここに来るきっかけになった友達のセイジだ。
ここは男しか来ない店、所謂男漁りの場所だ。
俺は周囲の人間には隠しているが、ゲイである。
自分が男しか好きになれないと気づいたのは小学校の高学年になった時のことだった。
それがいけないことだとは知らず、男が好きだと言った時点でクラス中の虐めの対象になったことは苦い思い出である。
それ以来、この趣向をひた隠しにしていた俺だったが、高校に入って少し自宅から離れた場所に通うことになり小学校から俺を知っている者がいなくなったときのことだ。
普通に男の友達もできて、このまま穏便に過ごしていけたらいいと感じ始めていた時セイジに声をかけられた。
『お前、男が好きなんだろ?』
突然的を射たことを言いだしたので、俺の過去を知っている人物なのかと思ったがよくよく聞いてみればセイジもこっちの人間で同じ匂いを感じたのだそうだ。
隠し事だらけの世界に一人だけ全てを明かせる友達ができて俺は嬉しかった。
それからいろんなことを話し、ここの店の存在もそのとき教えてもらったのだ。
お互い受け趣向なせいで一回もそう言うことにはなっていないが、セイジはよき理解者でもある。
セイジが座っているカウンターへと足を向け、俺もカウンターへと座りカクテルを何にしようかと迷っているとグリーン・アイズが前に差し出された。
黄緑色をした涼しげなカクテルだ。
「私のお勧めよ、こんな暑い日にはぴったり」
「ありがとう…ん、すごくおいしい」
「俺にはエメラルド・ミストなのに、なんでツナヨシにはそれ?」
「ツナヨシ君はお酒に弱いからに決まってるでしょ?それに、セイジは今日酔いたい気分じゃなかった?」
そうだけど…と言葉に詰まる様子のセイジを見ればグラスを差し出す。
セイジのは水色で綺麗な色をしているが、アルコール度数が強く俺が飲めば立ちどころに酔ってしまうだろうカクテルだった。
セイジはどちらかというと下戸の部類に入る人種だ。俺の飲んでいるこれならジュース感覚で飲み干してしまうことだろう。
「一口飲む?何かあったの?」
「こいつ、また振られたって」
「マスター言うなよっ。心の準備できてないのにっ」
野太い声がセイジをからかうように言った。
俗に言う、おねぇ口調のマスターはずっとここの店のマスターをやっていて綺麗な女装をしている。
いつになっても年齢不詳の美貌に引く手数多なそう…自称だが。
そんなマスターにからかわれて泣きそうになっているセイジを宥めるように背中をさすってやれば抱きついて泣かれてしまった。
「セイジ、大丈夫だよ。可愛いし、いい人見つかるから」
「ツナ…お前、優しいな…お前が抱く側だったら俺プロポーズしてたっ」
「あはは、それは言いすぎだよ」
「そこのお嬢さん、僕と一夜どう?」
セイジの冗談を聞き流していれば後ろから声をかけられた。
どちらにだろうとセイジを見ると、すっと身体を起こしてテーブルに凭れかかる。
「俺は傷心の身なんだよ」
「じゃあ、君は?」
「え?…俺は、大丈夫…でも、セイジが」
「セイジは私がたっぷり慰めるから安心していってらっしゃい」
ここに来る客は自分の趣向にあっていると思えば誰でも声を掛けて良い。ただし、恋人がいない人限定だ。
会員制の為、身分は知れているし安心して身を任せられるところである。
マスターに促されるまま俺は頷くとその男性の手を取った。
容姿は優しげで、でもどこかサドっ気が漂ってきそうな雰囲気に俺の感情は高ぶった。
久しぶりの行為でもあるし、今日はたくさん強請ろうと心に決めて店を出てホテルに向かっている最中のことだ。
俺は逢いたくない人物に会ってしまった。
「っ……」
俺の部屋の隣の男だ。
夜だと言うのに全身黒づくめで夜にまぎれようとしているのに、こんな歓楽街の真ん中ではそれも役に立ってないよう。
気づきませんようにとなんとか顔を甘えるふりをして隠そうとしながらすれ違おうとして男を見ると、しっかり俺を見ていた。
目が合って驚くとともに軽蔑のまなざしを向けるでもなく俺だと確認しているようだった。
…これは、まずい。
頭の中で警報が鳴り響いた。
なんとか必死に隠れて、平静を装った。
だけど、俺は半ば諦めの気持ちでいた。
もう、知られてしまった、やっぱり大人しく部屋にいればよかったと後悔した。
誘ってくれた男性はとてもよくしてくれて気持ち良く抱いてくれたのにあまり感じることもできなかった。
せめて、相手には満足してもらおうと奉仕をして恋人のように甘い時間を過ごして次の日の朝になればまた他人に戻る。
一夜限り、ただ身体を慰めるだけ。
それだけで、満足してきた。
これが、普通。これが、この世界での上手い付き合い方だと俺は思っていた。
あの日以来、俺は店に出るのを控えることにした。
これ以上俺のことを知られるのはまずいと思ったからだった。
だが、俺の心配をよそに隣の男は何もない。
俺のことを秘かにつけるでもないし、変な噂を流すでもなく何事もなかったかのように日々が過ぎていた。
俺は俺で仕事が来たために部屋にこもりっきりになり、もうそんなことも忘れかけていたころ…唐突に引き金を引かれた。
「今月も原稿確かにうけとりました」
「有難うございます」
いつものように原稿を渡して一仕事終えたことに安堵してドアを閉めようとした時、偶然居合わせた男。
驚いてドアを閉めようとすれば手を掛けられて締めることは叶わず、なんなんだと男を見れば怖いぐらいの笑顔を浮かべていた。
「お前、少女マンガ描いてるんだって?」
「なっ…なんで、それを」
「調べたらすぐに出て来た…それなのに、ゲイってのはどうなんだ?皆知ってんのか?」
「やっ、言わないで下さい…お願い」
最悪の展開だった。
良ければ黙っていてくれる人間であってほしかったのだが、それをネタに脅されるとは思ってもみなかった。
俺はとっさに男に縋っていた。
もうなりふりなんて構っていられない。
こんなことが藤崎さんにでも知られたら、本当に軽蔑されてしまう。
少女マンガを描いていながら本当は男が好きだなんて、とても変だ。
異質だ。
考えただけで鳥肌が立って背筋が震える。
過去のように無視をされたり差別的な目で見られることが、またあった日には気が狂ってしまいそうだ。
「特別に、黙ってやっててもいい」
「本当っ!?」
「ただし、俺にもお前を抱かせろ」
「……え…?」
「そっちの気はねぇが、少しは楽しませてくれるんだろう?」
ああ、本当に…。
どうしようもない…
「そうすれば、本当に…誰にも言わないんですか…?」
「そうだな、俺も共犯だからな」
悪魔の囁きのように聞こえた。
甘く、苦く、どろどろと渦巻くような…恐怖。
「ぅあっ…あぁあぁっ…はっ…うっ…」
男は男相手の経験などなく、俺を玄関にねじ伏せるようにした後、前戯もなく下肢を露出させると遠慮なしにいきなり突っ込まれた。
日々ケアをしているからと言っても、男のモノは普通の人のそれより大きく、簡単に俺の秘部は裂けてしまった。
痛みに顔を歪めるもうつ伏せの状態からは顔も見れずに、呼吸を整えることもせずガツガツと突きあげられた。
感じることもなければ自慰の様な行為にただの肉便器にでもなった気分で絶望ともつかぬ時間が過ぎるのを俺は待ち続けた。
「はっ…お前、名は…っ…」
「ツナ…綱吉…」
「綱吉……綱吉…」
痛みで頭が朦朧としてきた頃、唐突に聞かれた名前。
考える前に自分から名前を言ってしまい、偽名でも使えばよかったと後悔しかけたところに耳元で甘く名前を囁かれた。
低く、腰に鈍痛を与えてくる。
それに加えて、萎えていた自身も乱暴だが掴まれて扱かれると堪らなかった。
感じたこともないような感覚に俺はあっという間に追い上げられた。
「あっ…んっあっ…ああっ、やっああっ…イく、イかせてぇっ…あっあああぁあっ」
「イけ、出しちまえ」
自身の先端を親指で強くこすられて俺は中のものを強く締めつけ、達した。
全身が痛みを覚えて、中に出されて抜けていく感覚にもう腰が抜けていた。
「もっ、いいから…ヤったらおしまいだろ…戻ってよ」
「はっ…案外いい身体してるんだな…俺はリボーンだ。知られたくなかったら大人しく身体を差し出せ。じゃあな」
都合のいい遊び道具を見つけたとでもいう顔で、リボーンと名乗った男は自分の部屋へと戻っていった。
苦しさに張っていた虚勢は途端切れて、俺はそのまま意識を手放していた。