◎ 鈍色な感触
いつもの朝、俺はリボーンさんの寝室に入りカーテンを開け放った。
「リボーンさん、起きて」
朝日が部屋に差し込み部屋の主はというと、起きない。
最近は寒いからか頭まで布団をかぶっているせいで効果がない。
「もうっ、会社遅刻するよっ」
「ん…もう少し」
「待ちませんっ」
俺はバッ布団をとり上げてリボーンさんを起こす。
眩しそうに身体を丸めようとするのを、無理やり腕を引く。
「寒いからって寝起き悪くなるのってどーなんだよ、俺だって学校なのに」
しょうがないなぁ、と身体を起き上がらせるとそのまま放置して俺は朝食を並べに戻る。
あのままで置いておくと勝手に着替えて出てくるのだ。
そして、顔を洗って髪型をセットしこのテーブルにつく時にはしっかりと働く人間の顔をする。
「おはよう」
「おはようございます」
きっちりとした恰好で、なんだか理不尽な気がする。
俺は毎朝のように必死で起こしているのに、この顔は外でしか見せないんだ。
けれど、最近はそれがちょっと違う。
出した朝食をしっかりと食べて、リボーンさんは立ちあがった。
そのついでに俺の頭をくしゃりと撫でるのだ。
「美味かった、いってくる」
「いってらっしゃい」
俺はリボーンさんの目が見れずに小さく呟いた。
けれども、それを気にすることなくリボーンさんは玄関に行き鍵かけておけよ、と言い残すと会社に出勤していった。
残された俺は誰もいなくなった部屋で一人頬が熱くなるのを耐えていた。
あのリボーンに泣きついてしまったあの一件以来、俺はリボーンに触られることが恥ずかしくて堪らなくなっていた。
あんな風に取り乱したのは初めてで、それからというものリボーンさんは逐一俺を気にかけて出来るだけ一緒にご飯を食べてくれるし、甘やかしてくれるようになった。
けれど、俺にはそれが慣れなくてつい羞恥心を覚えてしまうんだ。
「今までそんなことしたこともなかったくせに…」
俺が泣いたからだと言われたらもう、恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだ。
だって、あれは本当に泣きたくて泣いたわけじゃないし、不可抗力だったし。
高ぶった感情は思うように制御できなくて…仕方なかったんだ。
俺はテーブルに腕を置いて顔を埋めた。
あんなことを毎日のようにされて、なんだか恋人になった気分だ。
そんなこと…絶対あり得ないのに。
「あ、時間だ」
時間を見れば自分も登校時間だった。
俺は慌てて立ちあがると部屋を出て、しっかりと鍵を締めると学校に向かったのだった。
「おはよー、綱吉」
「はよ、佐条」
駐輪場につけば佐条が自転車に鍵をかけていて俺も隣に停めてそれにならう。
「今日体育かぁ」
「マラソンだったっけ?」
「きついんだよなぁ」
秋のマラソン大会に向けての練習を思い出せば思いため息を吐く。
マラソン自体は山道を走らされるのだが、練習は違う。
学校の外周を走らされるのだ。
景色が変わらないことにだるさを覚えつつ、校内へと入る。
まぁ、でも俺はマラソンがあまり嫌いじゃなかった。
景色が変わらないことはつまらないけれど、その暇な時間何も考えなくてもいいのだ。
だから、いつも今日の献立を考えていた。
今日の体育は午後になっていた。
皆昼食の直後なため動きが緩慢だ。
少し足の遅い俺だけれど、持久力だけはあったので走るだけなら苦でもない。
(今日は何が良いかなぁ)
走りながら考えるが俺が作れるレパートリーは少しずつ増えているといってもまだ少ない。
リボーンさんにはいつも褒めてもらっているけれど、味も母さんのものより劣っていると思うんだ。
(あれを主婦の力って言うんだろうな)
俺にはまねできない、とため息をついていると隣をさらりと追い越していくのは佐条だ。
これはちょうどいい、俺は笑みを浮かべると佐条の後を追った。
「さじょー」
「んー?どーした」
「今日何食べたい?」
「なになに、綱吉のご飯?」
「今日の献立何にしようか決まらなくて」
話しかけるとうきうきとした様子で笑みを向けてくる佐条に今日の夕食だと言うとがっかりとうなだれた。
「そんなに食べたいの?」
「食べたい、俺に作ってくれよ。叔父さんにいれ込み過ぎじゃねぇ?」
「え?」
ふっとした佐条の一言に俺は顔をあげた。
佐条は何気なく言ったつもりなのだろう、前を向いたまま走り続けていて、俺も動揺したことに気づかれないように走り続けた。
「入れこんでるって…」
「そうじゃん?だって、綱吉いつも叔父さんのことばっかだし、朝も起こさせられてるんだろ?それに食事に掃除、洗濯も。叔父さん少しは家のことやらないの?」
「やらないっていうか、俺がやってるだけなんだって」
「えー、でもさぁ綱吉いつも家のことで帰るだろ?少しは自分の時間持たせてくれたっていいと思うんだよなぁ」
佐条の何気ない言葉に俺は段々と走る力を失くしていく。
俺はそんなに入れこんでいたのだろうか。
佐条の言ったことは正しいかもしれないし、けれどそのどれもを俺が自分からリボーンさんに言ったことだ。
こうして、献立を考えるのも明日の天気を気にしてしまうのもリボーンさんの体調を気にかけるのも…俺が全部気にしているからだ。
「佐条には、わからないよ」
「なにが?」
「俺は好きでしてるんだ、だから何も言わないで」
俺は佐条の顔を見れずに言うと離れようと失速した。
けれど、それを許してくれず佐条は俺の隣に並ぶ。
「ごめんって、言い過ぎた…よな。あのさ…俺はちょっと羨ましいんだよ…多分」
俺の気持ちをくみ取って謝ってくれた佐条を見るとなんだか言いづらそうに頭を掻いている。
「羨ましいって…リボーンさんみたいな暮らしが?」
「違うって、そうやってあまやかしてもらえるその叔父さんがっ」
「……へっ!?」
甘やかす!?
いや、甘やかされているのはいつも俺だ。
なんで、どうしてそんなことになったのだろう。
俺は訳がわからず視線を逡巡させる。
「あのさぁ、あんまり恥ずかしいこと言わせないでくれる?」
「いや、そんなの知らないって…」
「綱吉さぁ、俺時々思うんだ」
「なに?」
佐条は俺を見つめてきて首を傾げるとはぁとため息をまた吐いて、突然止まるとぽんっと肩に手を置かれる。
「天然って、いわれないか?」
「えぇっ!?なにそ…」
「おい、そこ…止まるなよー」
いきなり言われた言葉に訳がわからず言い返そうとしたら先生に見つかった。
俺達は慌てて走り始め、話しは中断されたまま蒸し返されることはなかった。
一体、佐条は何を言いたかったのだろうか…。
別に天然とか…言われたことない。
俺はうーんと唸りながらも、結局献立は決まらずスーパーで安いものを見て決めようと考えを改めた。
帰り道、佐条は部活なため俺一人だ。
自転車をこいで向かう先は近場のスーパー。
今日は何が安いかな、と早速なかへと入った。
(涼しくなったし、鍋ものでも良いかな)
あれだと鍋をそのまま出すので洗い物が少なくていい。
白菜や大根があるのを見てしまえば俺は早速それを手に取って吟味したのだった。
それにしても、俺がリボーンさんにいれ込み過ぎと言われるのはやっぱり気になる。
(まぁ、そりゃ家のことはほとんど俺がやってるけれど…)
でも全部じゃない。
洗い物は早く帰って来たときとかやっておいてくれている時があるし、洗濯ものだってそうだ。
俺だけじゃなく、リボーンさんだって色々手助けしてくれている。
料理に関しては俺が一任されているだけで、他のことは手伝ってくれるし…。
でも、思いかえしてみれば俺は両親がいた時よりしっかりしているとおもう。
前は、家に帰ってくればさっそく漫画読んで夕食ができるまでのろのろと過ごして、ご飯を食べた後も漫画の続きを読んで適当なところで風呂に入り適当に寝ていた
夜更かしもよくして、寝坊もしていた。
けれど、リボーンさんのところに来てから俺はその生活を改めていた。
怠けてはいけないと思ったし、朝が俺より弱いリボーンさんを放置しておけなかった。
でも、それじゃあまるで…。
「同棲みたい…」
口に出してから俺は一気に顔が火照るのを知った。
リボーンさんに頭を撫でてもらって喜んでいる自分がいる。
美味いと言ってもらって、素直に喜べる。
なんか、おかしい。
これが普通だと思っていたのに、違ったのか。
だったら何故、リボーンさんは言ってくれないんだろう。
ハッとして顔をあげればもう帰らないとリボーンさんの帰宅に間に合わない時間だった。
俺は慌てて今の考えを振り切るとレジに向かった。
綱吉に泣かれる事件があってから俺は定時になるべく上がるようにしていた。
そして、今日も定時でタイムカードを押した。
垣にはなんだか睨まれていたが無視だ。
あんな風に取り乱して我儘を言う綱吉を初めてみた。
いや、本当はもっと前から知っていたが一緒に生活をするようになってからは初めてだ。
何でもやってみようという精神は嬉しいが、なんとなく綱吉に全部を任せる形になってしまっているのは否めないため少し俺は躊躇っていた。
だから、時間がある時は綱吉の負担を少しでも減らそうと心掛けた。
それでも、まだ俺は綱吉に甘えている部分がある。
本当は朝なんて一人で起きられる。
大体、そんなことでは一人暮らしなんてできないだろう。
わざと寝坊しているなんて言ったらそれこそ起こしてくれなくなるだろう。
俺は大人げなくもあの朝の綱吉に起こされるのを待っていたのだ。
甲斐甲斐しく世話を焼くさまはやはり心地が良いのだから。
電車を乗り継いで帰ってくれば部屋にはもう明かりがともっていた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
エプロンでパタパタと走ってくる綱吉をみて、いけない妄想が出そうになってつい手で顔を覆った。
「どうかした?」
「いや、なんでもねぇ…今日は鍋か?」
「そう、鳥団子鍋だよ」
話しを逸らすように問いかければ嬉しそうな笑顔が帰ってくる。
そうして、中に入れば鞄を置いて席につく。
コンロから降ろされた鍋が俺と綱吉の間に置かれて何が欲しいと問いかけられるまま答えて中の具を皿に取り分けてくれる。
だが、俺はその取り分けている綱吉の指先を見て手をとった。
「これはどうした?」
「え、ああ…ちょっと切っちゃっただけだよ」
途中で中断させないでよと言われて手を解放すれば綺麗に盛りつけられた皿が俺の方に置かれる。
けれど、俺の視線は綱吉の指先を見詰めたままだ。
絆創膏が貼られたそこは少し血が滲んでいて料理中にできたものだと思う。
ここに来たころは結構やらかしていたが最近は全くそれがなかった。
「何かあったか?」
「い、いや…なにもないよ?」
「本当か?」
「…ほ、んとうだよ」
俺が見つめて言えば少し口籠りながらも肯定してくる。
あのことがあってからなるべく綱吉から目を離さないようにしているが、学校で何かあった場合とかは知りえないことだ。
そこらへんも心配しているが、そう言うことではないらしい。
とりあえず、二度聞いて何も言わないと言うことはそんなに問題ではない…のか?
俺は一つため息をつくと気を取り直した。
「ならいい、食べるか」
「うん、いただきます」
行儀よく手を合わせて食べ始めるのを眺めた。
別に変わった様子はない。
(もう少し、様子をみるか)
心配しながらも、俺は頑ななこの甥を見守ることに決めたのだった。