◎ 大空の端っこ
大学に来て一年と半年が過ぎようとしていた。
そろそろ働かないと家からの風当たりがきつくなるこの時期、俺沢田綱吉は掲示板に貼ってある広告に釘付けだった。
「うーん」
それは住み込みのアルバイトで、朝から晩学校に行っている間は免除でずっと働いてもらいたいというもの。
内容はペットの世話。広告はこの近くのペットショップのものだった。
別に動物嫌いでもない俺はそれに好奇心をくすぐられたのだが、部屋の空き具合から一人だけ募集と言う形をとっていたのだ。
いつからここに貼られていたのかわからないが定員一名となるともう決まっている可能性があった。
とりあえず、電話をかけてみようとケータイを手に取った。
連絡用の電話番号にかけると、まだ決まってないと返事をもらったので今から行く旨を伝えてもう授業がないのを確認してペットショップに向かった。
近くなので探さずとも見つけたのだが、外観はどう見ても洋館のよう。
窓から覗き込めばなにやら空き部屋の様なものがある。
「っていうか、どこから入れば……あ、ここか」
辺りを見回して隅の方にドアノブを見つけた。
中に入ろうとドアを開けたら、いきなり何かに押し倒された。
「山本っ!!」
「うえっ!?」
「お、なんだ?」
俺の目の前には人が乗っていた…けれど、ちょっと違う。
人であって、そうでないもの。人型動物だ。
人型動物というのは最近発見された新たな人種で、生まれたときから犬や猫といった耳と尻尾を持ち合わせているのが特徴だ。そして、そんな人間が生まれるのは極稀で忌み嫌われる存在でしかない。
研究材料にされたり捨てられたり人型動物に生まれたら決して幸せな思いは出来ないのだという。
まだ希少で話し程度にしか聞いたことがない上に、そのほとんどのそれが薬物実験に使われていると聞かされていたから自分とは程遠い縁なのだと思っていた。
けれど、その人型動物が今目の間に居るのだ。
「な、なんで…」
「人型動物を見ても怯えないなんて、珍しいな」
「ディーノさんがフリスビー投げるから…」
「悪ぃ悪ぃ、山本はちょっと中行っててくれ」
「ほいよ」
ディーノと呼ばれた人は俺の上から山本と呼ばれた人型動物を退けると中へと促した。
そうして改めて俺に向けられた視線は俺を上から下までをまじまじと観察する目だった。
「研究所のもんか?…でも、違うか」
「あの、ペットショップのアルバイトって…聞いて…」
「……バイト…ああっ、あれな…そうか、そういやすぐ来るって言ってたな。けれど、店長は今日出てていないんだ」
「じゃあ、また…日を改め…てぇっ」
店長がいないという言葉に俺は救われた気がした。
こんな得体のしれないところすぐに出ていきたい、どうにかしてなんとかして早くここから離れなくては…。
俺は立ち上がると身体を反転させ、歩きだそうとした途端パーカーのフードを勢い良く掴まれた。
「まぁ、まて…せっかくここに来たんだ。一日体験、してみないか?」
「嫌ですっ、やっぱり取りやめますっ」
「お前だけなんだよ、あいつらみて平気な顔してたのはっ」
声を荒あげられて俺は足を止めていた。
これはダメだ、巻き込まれたらいけないと思うのに足が動かない。
けれど、勝手に振り返る身体。そこには必死な顔のディーノがいて、なんでそこまで必死なんだろうかと思う。
あの条件なら普通にたくさんの候補者が来ると思うのに…。
「頼みたいのはあいつらの相手だ、山本のほかに獄寺もいる二人とも犬だ。他にも掃除とかいろいろ…」
「でも、店長がいないんじゃ…」
「ああ、そこはまぁ…事後報告でも大丈夫だし」
大丈夫なんだろうかこのペットショップ。
けれど、人型動物は外見だけは人間とそう変わらない。
ペットと呼ぶには枠に収まらず、人間と呼ぶには満たされない存在。
あれをみて俺は気味悪さを抱くどころか好奇心が膨らんでいるのだ、足を突っ込んではいけないと警報が頭の中で鳴り響いている。
「じゃあ、バイト…させてください」
「よかった。なら、中案内するな」
そうして案内された店内と呼ぶには広すぎる内装に俺は驚かされっぱなしだった。
中に入ったら明らかに屋敷の様な作りで、一階がペットショップのスペース。二階が人間の住居なのだそうだ。
一見あまりかわりはない、それもそうかと思う。
結局彼らも耳としっぽが特殊なだけで人間と変わりない。
あえて、あげるとするならば…少しばかり欲望が強いところか。
放心状態の俺の目の前でフリスビーの取り合いが繰り広げられている。
「俺のだって」
「なにいってんだっ、次は俺の番だっ、はーなーせーっ」
「二人とも、順番に投げるから…おちついて」
ディーノはと言えば少しやることがあるからと自室へと行ってしまった。
残された俺は先程押し倒してきた山本と獄寺という犬型の子たちの世話らしい。
ある程度言葉は理解できるし、言えば大人しくしてくれるのだが、遊びに関しては違うらしい。
特にフリスビーはお気に入りだ、投げるたび順番に俺のところに持って帰ってくる。
目をきらきらさせて俺をみてくるのはまさしく野生。
「獄寺君ほらっ」
「はっはっ…よっしゃぁっ」
尻尾をぶんぶんと振っている様を見てしまえば楽しいんだろうなぁと笑みがこぼれる。
そうして俺の前に持ってくる。
「次は山本ね」
「ちっ…」
「順番、だろ?」
けれど、二人の仲は良好とは言い難かった。
山本は普通なのだが、獄寺が敵視しているというかいちいち突っかかるのだ。
フリスビーを投げて山本がとりに行くのを見れば、俺は獄寺に話しかけた。
「そんなに山本のこと嫌い?」
「…嫌いっつうか、アイツは…しあわせものなんスよ。俺は実験体として捕まってたんで」
「……」
「だから、ちょっと羨ましいっつうか…なんつうか、イラつくんス」
いきなり地雷を踏んでしまったらしい。けれど、これが普通なのだと獄寺の目を見て悟った。
ディーノさんがしてくれた説明で山本は生まれてすぐここにきたのだと教えてもらった、獄寺は半年ぐらい前に、ここにきたらしい。
前どこにいたのかと聞いてなかったが、こういうことだったのか。
人間にも色々あるが、それ以上に大変なのはこういう中途半端なものたちなのだろう。
「うーん、なんて言ったらいいかわからないけど、獄寺君もここにいるじゃん。だから幸せだろ?」
「へ?」
「山本が羨ましいって言うけど、今は獄寺君もここにいるし、何の不自由もしてない。満たされてるって、感じない?」
「……はい、そうッス…ああ、俺はもう…」
服をぎゅっと握って俯いてしまった獄寺の頭をぽんぽんと撫でる。
きっと苦しかったんだろう、俺はどんなことをされてきたなんて知らないけれど…でも、獄寺の頬を伝う涙を見てしまったら俺より小さな身体をぎゅっと抱きしめていた。
大丈夫だよって、何度も言い聞かせるように背中を撫でて。
「どうしたんだ?獄寺、どっかぶった?」
「…すこし、痛かったって」
「そうか、男の子は泣いちゃだめなんだからな」
「うっせぇっ」
そう言いながら山本は獄寺の頬をぺろりと舐める。
これで仲直りになってくれるとうれしいのだが、そうそううまくは行かないだろう。
獄寺の胸中は複雑そうだ。
「ツナー、飯にするぞ」
「あ、はーい。じゃあ、二人とも部屋に戻って待ってて」
「おう」
「…」
二人を部屋に戻すと俺は二階へと上った。
さっきのツナと言うのはなんだろう。
テーブルに並べられているオムライスと思わしき食事に首をかしげつつ席に着くとディーノが座るのを待って口を開いた。
「ツナってなんなんですか」
「あだ名、綱吉って俺ちょっと言いにくくて」
「…なら、仕方ないです。で、俺は本当にこのまま…」
「ああ、良ければ今日からでも案内した部屋使ってくれていいから」
「ありがとうございます」
「いやいや、こっちこそありがたいよ」
まぁ、俺には半分しか決定権ねぇけどと笑うディーノにちょっと心配になる。
明日には帰ってくるという店長に俺は、不安で仕方ない。
店長の一存で何もかも決まるらしい。
食事を済ませた後俺は家に電話して今日から泊らせてもらうことにした。
なぜ、俺が帰りたくないかというと両親が離婚して再婚相手を連れてきているからだ。息子そっちのけでいちゃいちゃと目の前でされた時にはキレそうになったほど。
今だって電話したら、あ、そう、で終わり。
子供のことなんて考えてもない。
今日から住むだろう部屋に入れば、そのままベッドに倒れ込んだ。
獄寺と山本の相手をしていたらすっかり疲れてしまった。
今日はよく眠れそうだと目を閉じたのだった。
毎日、気持ちが悪くなるような実験と逃げ出したくなる責め苦に耐えていた。
何のためにと聞かれると自分ではわからない。
ただ、ずっと暗い牢獄のような場所に囚われていたのだからその時は逃げ出そうと言う気すら起らなかった。
光さえもない…一人きりの牢獄。
一人部屋だと白い男は笑っていた。
僕を実験体にして、腕には注射の痕が点々と残っている。
食事は無理やり食べさせられた、食べない時は点滴で生かされる。
こんな僕なんか存在しなければよかったと何度も思った。
今でさえ思っている。
今日はもう眠ろうとしていたら、いきなり光がさした。
「おい、お前が六道骸か?」
「なんです?それは」
突然声をかけられて掠れた、けれど僕にはその言葉を理解することができなかった。
無視を決め込もうとしたら、その影は面倒臭いだどうのと言って足音が遠のいたと思ったらすぐに戻ってきた。
「骸で合ってるな。行くぞ、でてこい」
「はっ!?いきなり、なにを…今日の実験はもう終わったはずですよ!?」
「実験じゃねぇ、静かにしろ…お前をここから出してやる」
全身を黒で纏った男はそう言って僕の口に掌を当ててきた。
一体なんだというのだ、僕はここのお気に入りと言うやつだ。
僕がここを出たらこの男が追われることになるだろう。
それを何度も見てきた、実際目の前で僕を誘拐しようとした人間は死んでいったのだ。
「死にたいんですか?」
「死なないために、大人しくしてろって言ってるんだぞ」
お前もここをでたいだろと強い腕に手をひかれる。
いつもの道ではないところを通って出た先は外だった。
格子越しでしか見たことのなかった外に僕は、知らず涙を溢していたのだ。
「まだ、終わってねぇ。乗れ」
「僕はまた実験体になるんですか?」
「違うぞ、満足に暮らせる環境を与えてやる」
ボルサリーノを被った男はニヤリと笑うと僕を促した。
言われるまま車に乗り込んだら、すぐに走り出す。これからどこに連れて行かれるのか、未知の世界に目を奪われていた。
「着くまで時間がかかるからな、寝ておけ」
「……はい」
手が伸びてきてくしゃりと頭を撫でられた、そんな優しい感触が初めてで僕は自然と目を閉じていた。
これから何があるかなんてわかるはずもない。
ただ、この現状を打破できるのならなんでもいいと自棄の様な気持ちだった。
自分の、世界を壊してみたいと思ったのは…初めてだ。
落ちていく意識の中、ふわりとかけられた毛布の温かさが身に沁みた。