◎ 迷子と翻弄
ぱしゃんと水音が響く。
ここは俺の部屋、一人きりの部屋で今はお風呂に入っている最中だ。
いつもはシャワーだけと言う日が多いのだが、今日は疲れも溜まったし少しゆっくりしたくて湯を溜めて浸かっている。
この前リボーンと一緒に入ったのを思い出して俺ははぁっとため息をついた。
俺が強請れば言葉をくれる。
抱きしめてもくれる、けれど…でも…本当にリボーンは俺のことを好きでいてくれているのか。
俺の不安はリボーンと一緒に居ればいるほど大きくなっていっていた。
このままこの関係を続けてもいいのか。
リボーンが俺と同じ気持ち、同じ想いでいなければいけない。
「沢山言葉を交わしたはずなのに、なにもわかってないなぁ」
わかった気でいたせいだろうか。
なにもわかっていないはずなのに、深くなる関係がそうやって錯覚させてくる。
「は…りぼーん…」
俺はそっと自身に触って、目を閉じる。
リボーンを思い出して弄る。最近リボーンも忙しくなったらしく木曜日以外会うことが難しくなっていた。
でも、俺自体そんなに切羽詰まっているわけじゃないし…リボーンに触ってもらえるのなら少しの我慢ぐらいしてやろうとも思うのだ。
けれど、今日はなんだか一人が寂しかった。
リボーンを思い出すたびに会いたい気持ちがあって、なんでここにリボーンがいないんだろうと思ってしまうのだ。
身勝手、自己中…けれど、それが抑えられない。
前はこんな風に思ったことはなかった。
彼女の欲しい言葉を与えて、そして一緒に居る時間もしつこくない距離を保っていたのだ。
性欲も強い方じゃなかったから、満足させてあげる程度には居心地良くしていたと思う、けれどなんでかそれで別れを切りだされていたのだ。
それなのに、今はもっとしつこくしていると思う。
リボーンは何も言わないけれど、嫌なんじゃないだろうか。
いつかあの時のように別れを切りだされてしまうんじゃないか。
「そんなのは…嫌なんだ…はっ、あっ…ふぅっ」
俺はその考えを振り切るように自身を扱いた。
多少乱暴にしても、リボーンが触っていると思えばそれだけで感じて先端を爪でひっかくとそれだけで先にお湯ではないぬめりを感じる。
もっともっとと思うまま自慰に耽り、せり上がってくる欲のまま吐きだした。
虚しくなるだけの行為に、あったまっているはずなのに心は冷めていくばかりだ。
俺は湯を抜くと浴槽から出てシャワーを浴びて風呂を出る。
「寝よう…」
こんな考えは振り払ってしまわないと面倒だと忘れるようにベッドに入るなり目を閉じた。
寝てしまえば何もかもリセットできると思っていたんだ。
次の日、俺はまだもんもんとした考えが頭の中をぐるぐると回っていてため息ばかりを吐いていた。
どうしたらいいんだろう。
どうしたら、リボーンが俺のことをどれだけ好きなのかわかるのだろうか。
「沢田さん?」
「ん?どうかしたの?」
「あの、ちょっとパソコンおかしくしちゃって…見てくれますか?」
そんな俺の考えをストップさせるように声がかかった。
振り向けば後輩の女の子で、彼女の席を見れば変な画面が開いてしまっている。
仕方ないなと立ち上がれば俺はパソコンを覗き込んだ。
「どうしてこうなったの?」
「ちょっと、メールを開こうとしたら変なところ押してしまって…」
マウスを操作して見えればどうやらフリーズしてしまっているようだ。
俺はそんなに詳しいわけでもないし、これでは電源を落とすしかなさそうだ。
「バックアップはしっかりしてある?」
「はい、さっきまで作業していたのはちゃんと保存してあります」
「じゃあ、いいか」
止む負えないと俺はそのまま電源を落とした。
そうして再びつけると通常通り作動しているのを確認して俺はその子を振り返った。
「もうこれで大丈夫だと思うよ」
「ありがとうございますっ」
にっこりとかわいい笑顔を浮かべる女の子に愛想笑いを浮かべて自分の席に戻る。
そうして、はたっと気付いた。
リボーンに俺が女の人と一緒に居るところと見せたらわかるかもしれない。
我ながら汚い手だと思う。
でも、これなら確実に俺に冷めているのか、本気なのかわかる。
リボーンの気持ちが…わかるかもしれない。
けれど、どうしたものか俺の近くには気を寄せてくれている女の子がいない。
この作戦は止めた方が良いか。
「さすがに、それは嫌われかねない…」
そこまでするとなると、他の人に迷惑をかけかねないと俺はその考えを払拭するように首を振った。
けれども、その日の昼休み昼食をとっていた俺は突然話しかけられた。
「沢田さん」
「ん?またトラブった?」
「いえ、違うんです…あの、さっきはありがとうございました。お礼と言ってはなんですが、今度飲みに行きませんか?」
振り返ればさっきの女の子で、可愛い顔をして言われた言葉は飲み屋の誘い。
深い意味などはないのだろう。
俺としても、そこまで意味があることでも今は興味もわかない。
でも、俺のさっきまで考えていたことを現実にしてしまうためにはたやすい誘いだった。
今日は木曜日だ。
会うのは決まりの様なものだったが、それをいきなりドタキャンしたとなれば何か動くかもしれない。
一気に俺の頭の中を廻ったのは悪い考えでしかなかった。
だが、それを止めてくれるような人間は…いない。
「いいよ、丁度今日の夜空いてるんだ。君が良ければ、どう?」
「あ、うれしいですっ。私も今日空いてるんで…仕事終わったら…」
「うん、なら外で待ってるね」
「はい、なるべく遅れないようにします」
名前も知らないその子は律儀にありがとうございますともう一度頭を下げて自分の席へと戻っていった。
俺はケータイをとりだして、リボーンにメールする。
『ごめん、外せない用事ができちゃって…今日は会えない』
俺とその子が一緒に居るのをリボーンが目撃するかはわからない。
かけでしかない、つまらないことだとは思っている。
けれど、人間好奇心に打ち勝つことは難しいことだ。
『わかった』
しばらくして返ってきたメールはいつも以上にそっけないものだった。
怒らせてしまったかと不安になるが、リボーンの場合メール自体いつもこんな感じなのではっきりした感情までは俺にくみ取ることができなかった。
そうして、俺はそうそうに仕事を片付け終えて待ち合わせ俺もリボーンもよく行く居酒屋へと向かっていた。
リボーンと鉢合わせる確率なんてないに等しい。
むしろ、リボーンとのせっかくの時間までなしにしてしまってこんなことをしているのにつまらなささえ感じてしまう。
でも、これをやってしまったことについて後戻りはできない。
「この前なんか、専務が私に…」
「そうなんだ、そっちの管轄も大変なんだね」
女の子は楽しそうに俺に話題を振ってくれて、イイ感じに酔ってきているようだ。
ここに来てから三時間が経過しようとしている。
リボーンの仕事の具合からそろそろ来るのならこの時間のはずだけどと思いながら入口を確認していた。
俺はあまり酔えないと思って、控えめだ。
「沢田さん、なんか全然飲んでませんね?」
「ああ、俺すぐ酔っちゃうから…これぐらいがちょうどいいよ」
ニッコリ笑うと女の子は俺の顔をじっとみてきて、気があるのかと錯覚する。
ここでその展開は必要ないと思いつつも、その視線を逸らすようにつまみに手をつけた。
そろそろつまらなくなってきたし、リボーンが来ないならここにいる意味もないなと感じ始めていた時、入口のドアが開く音にそちらに視線を向けたら、そこに立っていたリボーンと目があった。
まさか本当に来るとはと俺も驚いてしまって、しばらく俺はリボーンをじっと見つめてしまった。
「沢田さん、どうかしましたか?」
「え、あ…いや、なんでもないよ」
声をかけられて本来の目的を忘れかけていたことに俺は気付いた。
今日はリボーンの予定を断ったんだからとその子に向き直って慌てて首を振った。
もう、リボーンは俺だと気付いたはずだ。
これからどういう行動をするのかと俺が緊張した気持ちを隠しつつ気にしていたら、そのままドアが閉まる音が響いてきた。
「え…!?」
俺は慌てて振り返るもそこにリボーンの影もなかった。
リボーンは出ていってしまったのだ。
どうして、やっぱり俺には興味なかったのかと一気に言葉が俺の頭の中に湧きあがってきた。
もしかして、これを理由にして別れを切りだされてしまうのかもしれない。
俺は自分のしてしまった過ちを悔いた。
以前、リボーンが女を抱いていたところに出くわした時があった。
あのとき、俺はなんて言った…?
自分はあのときのリボーンと同じ間違いをしたんだ。
むしろ、あのときはお試し期間の様なものだったからマシだったけれど、今は俺の恋人だ。
そんな人に対して、俺は何をした…?
気持ちを試すためとはいえ、そんなことをして俺だったら許さない。
けれど、リボーンは…?
俺と付き合うということさえも遊びのように言っていたあいつは…?
俺とリボーンは違う、俺はそうかもしれないけれど…リボーンは、違う。
後悔しても遅かった。
不思議そうに俺を見てくる女の子には適当に誤魔化して、その日は切り上げ、なおも家にくるかと聞いてくる誘いをすっぱりと断った。
最初からそんなつもりなどない、リボーンの気持ちを確かめたかっただけだ。
「本当に…なにしてんだよ、俺は」
すっかり冷えた頭で俺は今度からどうすればいいのかと考えながら、暗くなった夜道を歩いた。