▼ 赤くなった耳
今日は珍しく静かなアジト内。
キドとマリーは買い物に、セトはバイトでキサラギは仕事、シンタローは部屋にこもってる。
引きこもりも大変だなと思いつつ、俺はマリーが作っていったクッキーを齧っていた。
俺はやることもなく、かといって自分の時間を満喫する術も知らず皆が集まるこの部屋に入り浸っている。
自分の部屋もあるのだが、今一慣れない。
誰かが来るのを待つ方が、俺にとっては楽しいことの一つだった。
「名前クッキー、マリーの?美味しそうだね」
「うまいよ、食う?」
すると、どこからか帰ってきたカノが俺の持っているクッキーを見てきたために差し出した。
まじまじと見ていきなり口を開けたかと思えば俺の手から直接奪っていった。
「あぶなっ、もう自分で食えよ」
「なんだよ、名前が出したからそのまま食べろって意味かと思った」
いつもの笑顔で言いながら俺の隣へと座る。
足を組んで、クッキーを口に放り込んでいる。気に入ったらしい。
マリーはちょっと現代とはずれている女の子で、ルーズソックスとか自分で作ってしまうのだ。
一人で住んでいたマリーは自炊が得意で、お菓子もなかなかの腕前だ。
そしてカノは珍しく此処に居座るつもりらしい。
シンタローと同じく一人でいるのが好きそうに見えるカノが俺の前に来たのには何か理由があるのだろう。
いや、憶測でしかないけれど…。
「どうしたんだ?」
「へ?」
「カノが俺の近くに来るなんて、あまりないことだから」
カノのこの距離の取り方は最初嫌われているのかと思ったほどだ。
けれど、多分カノは自分の本性を知られたくないからそうしているのだと気付いたのは最近のこと。
キドによれば、頻繁に力を使っているらしい。
今、この瞬間も欺いているのかもしれないのだ。
別に、俺はカノがどんな顔をしていたっていいんだけど、カノが嫌なんだろうなと思う。
カノが自由でいられる理想の人間って言うのは誰なんだろう…。
「名前がそんなこというなんて…思ってなかったよ」
「そう?わかってたから近づかないんだと思ってたけど」
俺の勘違いだったらごめん、と真顔で言えばカノは少し考えた後で苦笑を浮かべた。
当たりだったらしい。
別にいいけど。
俺は人より勘が少しばかり良いらしい。自分ではよくわからないんだけど、危ないと思って立ち止まったら鳥の糞が落ちてきたり、花瓶が降ってきたり色々だ。
それを見ていたカノが俺をスカウトした。
俺なんか捕まえても俺にはなにもないと思っていたのに…。
そういうカノはいつも俺を欺いてばかりだ、暇なのか何なのか隙があればいつもそう。
「でも、僕これでも名前のこと好きだよ?」
「…そう」
「不用意に近づかないのは、君にそれを知られるのが怖いから…だったりして」
「へぇ、じゃあ俺も同じ気持ちだって知ったら…どうするんだよ?」
冗談交じりなのはいつも変わらない。
でもその中で込めた本心なのかわからない一つの可能性。
どうして、カノがそんなことを言い始めたのか正直わかっていないけれど、それだけは嘘だって信じたくない。
どうして信じたくないのか、それもカノには知られたくない。
俺の一言に、カノが一瞬信じられないという顔をして俺を見た。
けれど、すぐに笑顔に戻って笑った。
「それは光栄だ。僕を好きだって言う人はあまりいないからね」
「嘘つきだから?」
「まぁ、それもあるんじゃない?」
「でも、カノは好かれているよ。キドにもセトにも、マリーにだって。みんな、カノの苦しさには薄々気付いているんじゃないのか?」
「それ、冗談でしょ?」
「信じたくないなら、そういうことにしておけよ」
俺は知らないと近くに置いてあった読みかけの本を手に取った。
正直今のカノが本当なのか、欺かれているのかわからない。
ただ、欺きたいぐらいには心が揺れていると言ってもいいんじゃないのかとも思うが…。
だったら、もう少し揺さぶったらどんな顔をするのだろうか。
なんて、俺の心に芽生え始めるは悪戯心。
「あーあ、司のそういうところ嫌いだよ」
「俺も、そういう何もかも誤魔化していいと思ってるカノのこと…あまり好きになれないな」
「っ…」
でもそういうカノに少しずつ溺れていく自分を知るんだ。
ほら、隠しきれず俺には弱み見せちゃうところとか?
隠れてないんだよ、ホント。
「なぁ、カノ…寂しかったんだろ?」
「そうかもね」
「ホント素直じゃないよな」
どこまでも欺けると思ってる…案外バカなのかもしれない。
いや、判断力はあると思うんだけど、そこまで考えが及ばないところとか、愛しいぐらいだ。
カノのそういう見た目に反して純粋な所はたまらなく好きなんだ。
俺のこの気持ちがどれ程信用されているのかは、知らないけれど。
俺は手に取っただけの本を置きカノの手を引き寄せたら、抵抗もなく俺の腕の中に収まった。
「あれ…?」
「……」
「カノ…?」
「は、はは…もう、びっくりさせないでよ」
あまりにもすんなりと俺の腕の中に収まっているから声をかけてみたら放心していたらしい。
笑った顔をして俺から離れていく。
「カノ、俺…カノのこと…ホントに好きだからな」
「何それ、どこの口説き文句?」
そう言いながらカノは自分の部屋へと入っていった。
俺はそのままソファのクッションに顔を埋めて深い息を吐きだした。
「あれ、名前?」
どうしたんだ、こんなところでと声をかけてきたのはシンタローだった。
でも、俺は顔を上げられずにそのまま顔を埋めたままでいたら、何かに気づいたのだろうシンタローは耳が真っ赤だと笑ってキッチンへと行ってしまった。
「もう…俺のばか」
何もかもわかるつもりで全部がほら吹きだ。
カノの本心もわかっているわけじゃない。
でも、ただ、愛しい気持ちだけは募っているからどうしようもないんだ。
なんであんな嘘つき、好きになってしまったんだ。
ひたすら自己嫌悪の嵐で、どうにもこうにも止められない。
ただ、寂しいと言ったあの言葉だけは…本当だって信じたい。
END