新しいもの
文明は進化する。
俺の手元にあるこれも、文明が進化した結果できあがったものだ。
時間にして三時間以上もかかる道のりは、本当は何日もかけて歩かなければならなかった時代に比べればずっと進化したものなのだろう。
だが、それはこの生ぬるい水につかってしまった僕にしてみれば三時間も時間をかけなければならないことがこんなにも苦痛だ。
自分で計画したこととは言え、手元にあるこの小さい機械に縋らなければならないほどなのだと…やはり、離れてから気付いた。
「これでも、声と言葉と顔しかみれないけどな」
掌に収まる文明の機器、苦笑が漏れるのも仕方ない。
昼間機種変更をして、色々自分のやりやすいようにカスタマイズして時間を見ればもう日付を跨ごうという時。
こんな時間に、敦は起きていない。アイツは子供でしかも寮生活。
同じ部屋に氷室という男が一緒にいるから、かけたら迷惑になってしまうだろう。
主に氷室の…だが。
「起きているとすれば、真太郎か。そういえば、前に興味深いことがあったな」
中学から敦と僕が付き合っているのを知っているのは、多分真太郎しかいないだろう。
あの時のことを思い出してふっと笑みを浮かべる。
あれは、確か中学三年の頃のことだった。
全中を控えて夜遅くまで練習をしていたあの日。
「ねぇ、赤ちん。そっちのアイス一口ちょうだい」
「いいよ」
俺達はコンビニの明かりに惹かれるように立ちより、アイスを買った。
紫原は勿論アイスも買ったが、いつものようにお菓子も買っていた。帰り道をゆっくりと歩いていれば、そう声をかけられて持っていたアイスを差し出してやる。
それに手も使うことなくそのまま吸いついてくる様を見れば愛しさが溢れてしまう。
自分より明らかに背の高い男が身をかがめてアイスを舐める様は、俺の手に唇を寄せるようだ。
その可愛い仕草に、俺は悪戯を思いついてアイスを自分の方へと引いた。
当然紫原も俺の方に身を寄せてくる形になり、アイスを離す際唇を寄せれば、アイスの甘みを纏った唇が俺の唇に重なった。
そのとき不意に気配を感じ、後ろを振り向いた。何もなかったが、確実に感じた人の気配。誰とわかったわけじゃないが、見られていたと悟った自分がいた。
「どーしたの?」
「ん、大丈夫だ。紫原、そっちのアイス解ける」
「ああ、忘れてたー」
赤ちんの唇の方が美味しい、と言われて悪い気はしない。
このままばれたとしても、俺ならなんとでもできると思っていたし別に気にかけることもないと思った。
ただ、もう少ししたら離れる運命にあることをまだ知らせることもせず、この甘い時間を堪能していたかっただけだ。
「赤ちん、俺達は一緒だよね?」
「…ああ、一緒だ。大丈夫」
離れていても、繋がれていることはわかる。
皆は他の学校への進学を薄々と決め始めていた。俺達が勝つことはわかりきっていることだし、心配するのは進学できるかどうかにかかっている。
まぁ、ほぼ心配することはないが…。
俺が紫原とは別の高校に行くと言えずにいるのは、この無邪気な笑顔が消えてしまうのを少しでも遅らせたいというわがままだ。
結局、次の日になっても俺達が付き合っているという噂はどこにも流れることはなかった。
制裁を恐れてからかと思ったが、明らかに調子を崩した緑間の態度で確信したのだった。
真太郎から何を言われるでもなかったからそのまま放置していたが、今はどうだろうか。
僕の勝手な推測だが、外れたことは…まずない。
「あいつには高尾と言う男が一緒にいるんだったな」
当てつけを含めた興味本位だ。
あの時の仕返しをしてやろうという、気持ちも少しある。
電話番号を呼び出して、それにかけた。
何度かコールして、夜中だしあまりかけてもと切ろうかと思った時、それは繋がった。
『もしもし』
「久しぶりだね、真太郎。夜中だしもう寝てるかと思ったんだけど起きてたんだ」
『少し寝つきが悪かっただけなのだよ。赤司、君こそ急にどうしたのだよ』
「ん?ああ、携帯をスマホに変えて一通り理解したから誰かに電話をかけてみようと思ったんだ。でもこんな時間だとみんな寝ていてね。出たのが真太郎。なんだか酷い声だけど疲れてるのか?」
『別に、…何もない。ただの寝不足なのだよ』
はっきり言って、真太郎が起きている確率は低かった。
けれど、声の調子から予想するに俺が考えている楽しいことが起きている可能性は高かい。
からかうように言ってみるが、向こうの反応は鈍い。僕は手近なところにあったストラップをいじりながら口角をあげた。少しひっかきまわしてやろう。
「ふぅん、寝不足になるって事はそこには必ず“理由”が存在してる。真太郎は自分の生活スタンスを崩してまで自分の時間に時間を費やすようなタイプじゃないし、遊んでて寝不足になったとかはまずないだろうね。人それぞれ理由は多種多様だけど、それ以外の理由は何なんだろうな。夜中まで勉強をしないといけない程お前は頭が悪いわけじゃない。むしろ成績はいい方だしね。そうすると家庭の事情とか、あとはー…夢見が悪い、とかかな」
『ーーッッ!!』
明らかに動揺した声。息を飲む音が聞こえて僕は思わず声を漏らした。
「あれ、もしかして当たり?」『別にそうとも限らないのだよ』
面白そうに言えば、向こうは声を上擦らせている。本当に楽しいことが起こっているらしい。悪あがきも可愛いものだ。
きっと、こんなにも真太郎を掻きまわしているのは高尾と言う男なのだろう。
「相変わらず真太郎は分かりやすいね。じゃあ“そう”と過程して話をしよう。一回だけなら取り立てて問題が無いのかもしれないけど、その様子だと似たような夢を繰り返し見てるっていうのが妥当な考えかな。夢見が悪いのはメンタル的になにか参るような事があったり自分でも気付かないうちに参っていたりする場合が多い。真太郎の場合は誤魔化そうとしたからきっかけが何かわかっているはずだ。ここからはさらに憶測だけど不眠と夢見が悪い原因は真太郎のごく身近にいる人物のせいじゃないのかな」
話しながら椅子を鳴らして立ち上がり、敦の写真を手に取った。
夢にまでも見るというのなら、見てみたいものだ。
敦も、僕のことを想っているだろうか…いや、毎日のようにきている“会いたい”と、今日も休まず部活をしたという報告をみれば、明らかなのだが最近それに氷室の名前が混じるようになった。
離れてみて、初めてわかることもあるのだと…まざまざと突きつけられている気分だ。
真太郎の深いため息に意識を戻した。
『赤司のそういう所は苦手だ』
「相変わらずハッキリ言うね。真太郎のそういう所、俺は好きだけど」
『用がないなら切るぞ』
「ああ、夢見が悪いなら早くその悩みを解消する事だな。暑くなってきたからどこかのタイミングで倒れる」
からかうのは面白いが、あまり遊んではいけない。真太郎は迷っている。
それに道標を示してやるのも、元キャプテンの役目でもあるのだろう。
元からだったが、ああいう風になってしまったのは僕の責任も少なからずある。
『そんな事言われなくても分かってる。じゃあ、ーーあ。』
苛立ったような机を爪で叩くような音が聞こえ、そのまま切れるかと思った通話は、真太郎の声によって遮られた。
「どうかしたのか?」
『紫原と連絡は取り合っているのか』
不意打ちに告げられた言葉。
やはり、あのとき見ていたのは真太郎だったのか。
そうして、やはり…そのことだったのか。僕はなるほど、と呟いて言葉を続けた。
「恋愛の悩みだったのか」
『っ、寝る!!』
一層楽しそうな声を出してしまったのは否めなかった。
真太郎は一言そういうと、通話は一方的に切れてしまう。
少しやり過ぎたかと反省もするが、あそこまで考えがまとまっているのなら話は早いだろう。
とりあえず、フォローしておかなければとメールをしておいた。
スマホを弄りながら、もう所々茶色くなっているストラップを指先で遊ぶ。
これは、敦と揃いでつけているものだった。特に変わったところもなく、同じものをつけているというだけ。
卒業式の日に、泣き喚く敦に宥めるように渡した。
これがあるから、大丈夫だと。離れていても、何らかで連絡はとれるものだと、僕よりも高い男の頭を撫で誰もいない教室でキスを繰り返した。
予想した通り、俺達はI.Hで会えたがそれからまた離れてしまった。
次は、W.Cだ。波乱はあるだろうが、また会えることに違いはない。
どんな風に成長しているのか、バスケを好きになれずにいる敦を変えてくれる人間は現れてくれるのだろうか。
「できれば、僕がやりたかったけどな」
しばらくは、預けようと思う。
けれど、全部はやるものか。
敦だけは、僕のものなのだから。
新しいものに目を奪われても、それだけは渡せない。
END