【バスが向かう】

作:カナモノユウキ

「ケータリングバス?」
「そう、まだ殆んど手を着けてない新品同然の代物。どう?いらない?」
母がそう言って私にこのバスを半ば強引に押し付けて来た、四十を超えた事務員たる私にどうしろと言うんだろうか。
他界した父の置き土産らしく、生前ガチガチの公務員だった父が老後にクレープ屋を開きたいと買ったらしいけど。
買って満足してそれからほったらかしだった。
「とりあえず、車欲しかったからいいか。」
と至極当然の使い方しか思い付かず、通勤と買い物に使ってみたけど正直これが面倒の一言だった。
型の少し古いレイトバスが元になってるせいで燃費がそこそこに悪いし、大きさも割とあるから運転も一苦労。
早々に通勤に使うのは断念。
後部座席はキッチンに改造してるせいで使えないので、定員は私含めて2名。
大体は小学2年生になる娘のメイを乗せて買い物に出かけるくらいで、他の用途も見当たらない。
「ねぇねぇママ、この車ってスーパーの前とかのたこ焼き屋さんの車と一緒なの?」
「そうだよ、じぃちゃんはクレープ屋さんやりたかったみたいだけどねぇ。」
「そっかぁ、ママはクレープ屋さんにならないの?」
「ママはもうお仕事してるもん、クレープ屋さんは出来ないよ。」
「えー、やったらいいのに。」
「なんで?メイはクレープ好きだっけ?」
「全然、だってママお仕事から帰って来たらつらそうだから。大変なお仕事より、楽しいお仕事のほうがママつらくないでしょ?」
娘の意表を突く発言に私は驚いた、子供は親のことを良く見ているものだと聞いたことはあったけど、強く実感したのはこれがはじめてだ。
「クレープ屋さんが楽しいかはママわからないけど、ママってそんなにつらそう?」
「うん。」と呟く娘の表情は悲しげで、知らず知らずメイもつらい気持ちにさせていたのかなと反省した。
「クレープは食べるのは好きだし楽しいけど、クレープ屋さんは難しいかなぁ。」
「じゃあ、紙芝居屋さん!」
「紙芝居屋さん?あのたまに児童会館とかで読み聞かせしてる?」
「そう!ママ絵本読むの得意だし!」
私は確かに読み聞かせが得意だ、それは今殆んど趣味になりつつあるけど。
一時期はそれで食べていけないかと考え込むほど好きなことだった。
物語を読むだけで色んな人物や動物、神様にもなれる経験なんてそうできないもんね。
「お車さんもやったらいいのにって言ってるよ!」
「お車さん?この車さんのこと?」
「そうだよ、ママが降りてメイだけになるとお話してくれるんだよ!」
「そうなんだぁ、ママもお話したいなぁ。」
「ママとはいっぱいお話したからいいんだって。」
「なんだー、残念。」
「ママ、紙芝居屋さんやりなよー。」
「ははは、まぁ考えとくかなぁ。」
なんて会話をした晩、パパに晩酌の肴と報告してみると。
「車が紙芝居を進めてきた!?」
「簡単に言うとね、メイがそんなこと言うからびっくりしちゃった。」
「ふーん。いいじゃないか、紙芝居師なんて中々楽しそうじゃないか。」
まさか話に興味を持つと思っておらず、目が点になった。
「パパも、つらそうに見てた?私のこと。」
「うん、大分な。ただ俺が言ったって、ママ誤魔化すだろ?ママが弱音吐くの待ってたら、メイに先越されたな。」
図星だった、家族は私が見れてない私を良く見ているんだなぁ。
「もしさ。私がケータリングバスで紙芝居師やりたいって言ったら、パパは止める?」
「止めないさ、俺が今の仕事やれてるのもママのお陰だから。」
パパは古い家具などの修理業を営んでいる、でも稼ぎは家庭を支えるには若干心許ない。
だからこその共働きで、好きな仕事に着いていた訳じゃない私はストレスをそれなりに抱え。
今はそのストレス数値が限界を迎えそうなのかもしれない。
そんな時に、こんなに優しい言葉を聞いてしまうとどうしていいかわからなくなっちゃうな。
「まぁ、ママが本気ならゆっくり考えてみなよ。」
結局、その夜の話に結論をつけることは出来なかった。

数日後、私はやらかしてしまった。
市役所勤めで、根っからの平和主義の私からすれば最早事件である。
「ふざけんじゃない!あんたの倍は踏ん張って生きてきてんだ!なにが「これだから」だ!」
二十も年の離れた同僚の一言に心のそこから頭に来てつい喧嘩になった。
書類の些細な書き損じに対し「俺の倍生きてんのに、こんな仕事も馴れてないのかよ。つかえねぇ。」そんな小言を、横のデスクで溢したのが聴こえてきて。
「これだから、ババアは。」の声にぶちギレてしまった。
「言いたいことがあんならハッキリ言いなさいよ!」激昂して散々溜まりに溜まった鬱憤を怒鳴った。
それを見ていた上司から帰って休めと言われ、気持ちは針の筵だった。
マンションの前に着いた時、駐車場のケータリングバスを見て思ったのは。
「海みたいな。」
気付けば私は海に向かっていた、今日は自分らしくない日なんだなと不意に気付く。
こんなに直感的に次々と行動した日は何年ぶりだろう。
車はいつしか海岸線ぞいに入り、父と良く釣りにいった防波堤が見えてきた。
「ここも、何年ぶりだろうな。」
到着しても私は車から降りずぼーっと海を眺めるだけだった。
今日怒ってしまったこと、唐突に海に来てしまったこと。
今日の私は一体どうしてしまったのか、なんてことない毎日のはずなのに。
ザーっ ザッザーっ
急に着けてもいないラジオが鳴り始めた。
「え。なに?なに?」と慌てていると、何かが話ている声が聞こえてきた。
「……し……え、…き……える……」
うまく聞こえない、何と言ってるか気になりラジオのチューニングを弄る。
「……き…え…るか?…聞こえてるか?しえ、どうした?大丈夫か?しえ。」
驚いて声が出なかった。
この心配して問いかける声は正しく父で、私の名前を呼んでいるではないか。
「お父さん、なの?」
「ああ、私だよ。」
「なんで?お父さん、亡くなったんじゃ……。」
「娘が泣いてる時に、生きてるとか死んでるとか関係あるか。」
「え?」私気づいて居なかった、いつから泣いてるかわからないけど。目頭からは涙の粒かポロポロと流れ出ていたことに。
「どうした?こんな懐かしいとこにべそかきにきて。」
「…わかんなくて、今自分がどうなってるのか。」
「わかんないか、変わらないなぁお前は。」
「変わらない?」
「ああ。昔から妹のワガママを我慢したり、進路や言いたいことを我慢したり。我慢ばかりし過ぎて何を我慢したてたのかもわからなくなってたじゃないか。」
このラジオの声の主は父だと確信した、父はいつも私を見抜いてはこういうタイミングで私を支えてくれていたから間違いない。
「それが続くと、こうして父さんを連れ出して遠出して泣きに来た。」
「あったね、そんなこと。」
「メイから聞いてたよ、しえは最近やりたいことを我慢していたんだろ?」
「それは、そうだけど。」
「しえ、我慢してたまに泣いても。また同じことで済むとは限らないんだぞ。」
図星と言うのは痛いもんなんだと思い出し、それは誤魔化してきた痛みそのものなんだと気づく。
「答えなんて出さなくていい、しえがこれからやることが答えになるんだ。」
「お父さん……。」
「涙が枯れたら、バスが向かう先はしえが決めなさい。何も間違いじゃないんだから。」
ザッザー…ザーっプッ。
ラジオは唐突に終わってしまった。
「いっぱい話したからもういいって、言ってたのに。話過ぎだよ、お父さん。」
気付けば夕日が赤く燃えていた。
「帰ろ、家に。」

数ヵ月後、私は仕事を辞めた。
あの日の訳のわからない自分のままだったけと、不思議と迷いは無い。
私は家族の後押しと支えで、ケータリングバスで何処でも読み聞かせに行く紙芝居師を始めた。
多分昔描いた夢とは少し違うかもしれないけど、叶う幸せは今とても強く感じる。
あれからお車さんことお父さんはラジオを通して話が出来ることがわかった。
ザ・ザッザーー
今日もラジオのチューニングをお父さんに合わせる。
「しえ、今日はどこに行くんだい?」
私は笑顔で答える。
「わからないけど、きっと幸せな場所だよ。」

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