▽ どうしよう、君を目で追ってしまう
「っ、及川君のバカ!もうしらない!!」
ぱしんっ、と乾いた音が響く。
ばっちりメイクされている瞳からは大粒の涙がこぼれ、きれいに整えられていたネイルが今の衝撃で一部外れていた。
頬を叩かれた衝撃で横を向いた顔が正面を向く前に、女生徒はその間を駆け出して行った。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送った後、男子生徒は叩かれた頬に手をやる。
「駄目」
「えっ、あれ・・・君・・・」
「触ったら駄目。切れちゃってるからばい菌はいっちゃう」
そっと頬に充てられたのは、水で濡らされたであろうハンカチ。
叩かれ熱を持った頬にひんやりとした気持ちよさを感じた。
小さなポーチから何かを取り出している様子をぼうっと見ていると、ハンカチをよけられたかと思えばペタリと何かを張られ、またハンカチを充てられていた。
「絆創膏。普通の持ち合わせなくって女の子向けのものでごめんね。
私は行くけど、頬もう少し冷やしたほうがいいと思うから、よかったらそのままハンカチ使ってね」
「え、あ、待っ・・・!」
引き留める間もなく去っていき、男子生徒――…及川徹はその場に立ち尽くした。
記憶に残っているのは、その場を去る女子生徒の後ろ姿。
歩みに合わせて揺れる、漆黒の長くきれいなポニーテールが一際輝いて見えた。
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「岩ちゃん岩ちゃん岩ちゃん岩ち、ぐはっ・・・ちょっ、岩ちゃん痛い!!」
「うるせぇ、クズ川!何度も呼ばなくても聞こえてるわボケェ!」
ダダダダ、と音が聞こえるほどのスピードで教室に入ってきた及川に向かって、岩泉は力の限り己のカバンを投げつけた。
案の定避けれなかった及川に直撃するも、それでも元気な姿に思わず舌打ちが出る岩泉に、それすらも聞き取った及川がさらに騒ぎ出す。
「大体岩ちゃんはいっつも及川さんに厳しすぎると思うんだよね!こんなに一緒にいるのにまったく愛を感じられないんだけど!はっ、もしかして及川さんというものがいながら誰か知らな子とラブラブしちゃってるとか、そんなこと許さないんだからね!」
「・・・・・」
「岩ちゃん無視とかやめて!首絞めるのもやめて!」
「・・・ところで及川はなんであんなに急いでたわけ?」
何か岩泉に用でもあったんじゃないの?と、及川と岩泉の漫才のようなやり取りを呆れたように見守っていた花巻はふと気になっていたことを訪ねた。
花巻の記憶が正しければ、確か及川は彼女に会いたいと言われ中庭に行っていて、自分たちはその帰りを待っていたはずだった。
直後、思い出したかのように岩泉に絞め技を掛けられじたばたしていた及川はぱたりと動きを止めた。
いつものやり取りのせいですっかり忘れていたようである。
「そうなんだよマッキー!!よく聞いてくれたね!」
「あ?お前またフラれたのかよ」
「またってひどいよ!確かにフラれたけど違う話だから!」
((フラれたのか・・・))
岩泉と花巻が及川を可哀そうなものを見る目で見るなか、及川はポケットから取り出したハンカチを二人に見えるように広げてみせた。
「これ!このハンカチの持ち主誰か知らない?!」
「はぁ?そんなもん知るわけ・・・」
「ん?これ持ち主の名前じゃね?えっと・・・みょうじ・・・?」
「みょうじ?それって1組のみょうじなまえの事か?」
「!岩ちゃん知ってる子?!」
ハンカチの端に刺繍された苗字と思われるものを見つけた花巻の言葉に、岩泉はたどった記憶の中に同じ苗字の女子生徒を思い浮かべた。
黒髪ロングでポニーテールが似合う女の子。
後姿は凛としているのに対し、実際に話してみるとふんわりとしていて話しやすい子だったと彼女に対し岩泉はそう感じていた。
「知ってるも何も、生徒会副会長のみょうじなまえだろ。黒髪ロングのポニーテールの・・・」
「あー、そういえばなまえの苗字ってみょうじか。通りで見覚えのあるハンカチだと思ったわ」
「えっ、ちょ、なんでマッキーはその子のこと名前呼びなの!?まさか付きあっ、痛い!岩ちゃん鳩尾に全力スパイクは痛い!」
「俺なまえと同じクラスだし。そもそも生徒会副会長の事覚えてないとか及川バカなの?」
「バカなんだろ。つか先月の部費会議でおまえもあってんだろが」
「えっ、嘘!」
「帰りコンビニでなんかかってこーぜ、腹減った」
「おー、待っててやったんだからクソ川のおごりな」
「無視!?そしてひどい!」
そんなこんなでコンビニでまんまと奢らされた及川は、次の日一方的だが早い再開を果たすことになる。
お昼休みが終わり、5限目は全校生徒で行う生徒総会があった。
大体はこの後控えている部活動の大会や体育祭等の行事についての話で、普段は生徒会長が立つであろう所に彼女は立っていた。
「あ、・・・」
みょうじなまえ、つい昨日話題に上がった彼女がそこにいた。
思わず小さく声を漏らしてしまった及川ははっとして口をつぐみ、誰も自分を見てないことを確認してからそっと目線を戻す。
昨日はポニーテールだったそれは結われておらず、癖のないストレートの髪をそのままに部活動の大会について説明していた。
少し緊張しているのか、いい間違いがあったり、口が回らないのかたどたどしくなる話し方が素直にかわいいと思えるぐらいには及川の中で彼女の存在は大きくなっていた。
「なまえがんばれー!」
「!なっ、唯ちゃん恥ずかしいからやめて・・・!」
ドッと一角から笑い声が上がる。
おそらくは彼女のクラスなのであろう、唯ちゃんと呼ばれた子はクラスメイトで友達だと簡単に推測でき、及川はそちらに向けていた顔をもとに戻して息をのんだ。
「っ・・・!」
ドキッ、胸が高鳴る。
クラスのほうに顔を向けている彼女は先ほどとは違いとても柔らかな眼差しで微笑んでいた。若干顔は赤いが、先ほどまでの緊張は全く感じられずスラスラと説明を進めていく。時折顔にかかる横髪を耳にかけるしぐさに、途中同意を求めるようにコテン、と顔を傾けるしぐさに、及川は自分の胸がドキドキしっぱなしであることを自覚し、そして言いようもないこの感情を唐突に理解した。
「うっそ、マジ・・・?」
及川徹。
青葉城西高校2年、ルックスと女子にやさしいその性格から女の子に大変よくもてる彼は、付き合う経緯はすべて女の子に告白されてのパターンのみ。
そんな『みんなの及川さん』である彼の世界は、この春を経て一気に変わっていく。
彼はこの日、一目惚れを自覚した。
口元に手をやり、顔を真っ赤に染めた及川の姿を見た岩泉は怪訝な表情でその視線をたどり、そして同じく理解する。
「(・・・すまんみょうじ、今年は面倒くさいことになりそうだ)」
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(一目惚れ、花が咲く)
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bkm