何も、言えなかった。 口を挟めるような、そんな状況じゃないなど、“は組の勘”を抜きにしても分かった。 実習でもないのに先輩に“殺気”を向けられたこと。 普段の暖かく見守るような眼差しは底冷え、極寒に凍る水面のようなそれらは心に突き刺さり血を流れさせる。 薄氷に立つような足場の危うさを感じて、目の当たりにした恐ろしさにただじっとしているしか出来なかった。 学園を出る前の言葉を思い出す。握り締めた拳が小さく震えた。
『手負いの獣に不用意に近づけば、喰い殺されるのが落ちだぞ』
その意味、を。 嗚呼何て愚か。
「…っ」
ポロと音を立てる勢いで、伊助の眼から雫が零れおちる。
「い、伊助!?」 「…ごめんなさいって言えなかった」
伊助は膝に乗せた手を、ぎゅっと握りしめた。
「助けてもらったのに、僕を助けに来たせいであんなことになったのに、ごめんなさいって言えなかった」
何が、実践に強いは組だろう 何が、度胸だけはピカイチだろう そんなもの、「あの場」では何の役にも立ちはしなかった。
「謝るために、滝夜叉丸先輩に連れて行ってもらったのに、一番大事なところで動けなかった」
…本当に伝えるべき時に、本当に伝えなければいけない言葉を紡げない自分が、心底嫌いだった。 あんな先輩達を知らなかった。 勿論、先輩達も忍たま。しかも上級生。 普段の温かさは、時に隠されるものであることくらいは理解していたつもりである。 でも、まさか自身に、あの冷えた眼差しを向けられることになろうとは思わなかったのである。
「やっぱり、6年生はすごいんだな」
いつも自慢話ばかりする滝夜叉丸が、時に学園を穴だらけにしてしまう喜八郎が、自分達が動けなくなるほどの殺気をものともせずに、あの『手負いの獣』たちを食い止めたのだ。
「…俺達さ、まだまだなんだな」
藤内と三之助が動く度に、制服の下から見えていた、微かに赤みがかった白。 あれは明らかに、包帯だった。 如何にトラブルメイカーの印象が強かろうと、彼らとて、忍術学園の上級生。 自分達よりも二つも上の先輩達。
「あんな怪我した先輩達が出てこないといけないってことは、他の先輩達はもっと酷い怪我ってことだよな」
あの怪我は、間違いなく伊助を助ける際に負ったものであろう。 もし、先輩の制止を振り切って、自分達が行っていたとしたら…と思うとぞっとする。 例え人数的には、作兵衛たちの倍いるとはいえ、2年の差は大きい。
―お前らに「出来ること」って何だよ― ―あれだけ周りを巻き込めばな。お前らだけの力じゃない― ―たまたま、周りが力を貸してくれただけ― ―勘違いするなよ、周りの持つ力は、自分の力じゃない―
普段だったら、あの先輩達が決して口にする筈のない嫌味。 言われた言葉には心底腹は立ったけど、紛れもない事実だった。 あの言葉を、引き出したのは自分の言葉。
―土井先生も山田先生もきっと手伝ってくれる―
何故今まで気付かなかったのだろう。 それが、有り得ないほど『幸福』であることに。 例えば今、喜三太がナメクジを脱走させたら土井先生や山田先生はきっと一緒に捕まえてくれる 例えば今、兵太夫や三治郎のからくりが壁を壊したら、土井先生や山田先生はきっと一緒に謝ってくれる 例えば今、団蔵や金吾が迷子になったとしたら、土井先生や山田先生はきっと一緒に捜してくれる 例えば今、は組の誰かが危機に陥ってくれたら、土井先生や山田先生はきっと一緒に寄り添ってくれる あの二つ上の先輩達が、自分達と同じ年のとき 毒虫が脱走しても、予習で物を壊しても、迷子になっても、不運に巻き込まれても、妄想癖が暴走しても 「大人」が出てきて助けてくれていたことなんて見たことがない 先輩や後輩、同級生 二つ上の彼らと共にあったのは、いつだって「忍たま」である。 だからこそ、自分達も、あの先輩達を自分達のことは棚にあげてトラブルメイカーとして認識していたのだ。 数えきれないほど、あの人達の巻き起こすトラブルに巻き込まれてきたから。 は組にとっての「当たり前」は、二つ上の先輩たちにとっては、「当たり前」ではなかったのだ。
「委員会もさ、一昨年なら、上級生が実習で留守してたってこんなに滞ったりしなかったよな」
それを後輩には見せないように、必死でそれを支えていたのは、二つ上の先輩達だ。
「…先輩達さ、俺達のこと、嫌いになっちゃったかな」
三之助と藤内の怪我の状態も見て、自分達が行けばどうなってたかと戦慄すると同時に、同様に選抜メンバーが懺悔というか、日頃優しい先輩に、あんな嫌味な事を言わせてしまった、自分達の無神経さに落ち込んでく。
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