一つ上の先輩達が忍務に出られて早二週間が過ぎようとしている。 委員会が休みにも関わらず、僕は、運動場に出た。 何となく、そんな気分だったから。 いつもマラソンから帰ってきて、委員会の先輩や後輩と休憩する大きな木の下に一人、腰を下ろす。 想いを馳せるのは、今ここを留守にしている先輩のこと。 三日前に滝夜叉丸先輩達が教育実習生と3はの面々を引き連れて様子を見に行って、そのまま帰ってきた。 …きっと「手負いの獣」に出会ったのだろう。
自分があの「手負いの獣」と対峙したのは、3年生の終わりか。そう、今日みたいに、夕日が真っ赤に空を染め上げていた日のことだった。 3年生、初めての大規模な演習。 3クラス合同だったことから、いつもの四人で学園へと帰る途中のこと。 あまりにも見慣れた後姿を見つけて、何気なく駆け寄った…また迷子になっているのかと思ったから。 今思えば、軽率極まりない行動。 次屋先輩の手が真っ赤に染まっていることに気付かなかったのは、きっと夕陽が赤過ぎたせいだ。
―シロ!―
切羽詰まった様なシンユウ達の声が背後に聞こえて。 気がついたら、目の前を先輩が振るった忍刀が通り過ぎていた。 斬りかかられたのだと気付いたのは、その一瞬後。 事態は認識できていた、身体は反射的に動いた。 けれど、頭がついていかなかった。
―何をやっている!―
次屋先輩と僕の間にいつの間にか出てきた野村先生に怒鳴られて、初めて正気に戻った気がする。 どこか焦点の合わなかった次屋先輩の眼に一瞬だけ、悲しみが宿ったように見えて。 次の瞬間、目の前の殺気が膨れ上がった。 一触即発、誰も動けないこの場の雰囲気を破ったのは、意外な人物だった。
―三之助、遊んでる暇なんかないだろ―
先生に一礼して、僕達に『ごめんな』って口を動かして、そのまま次屋先輩を引っ張っていった富松先輩。
後で知った。 あのとき、僕たちが演習をしていた裏裏山の更に向こうで、先輩方が山賊の縄張り争いに巻き込まれて、神崎先輩が怪我をしたということを。 きっと、神崎先輩を連れて帰る途中だったのだろう。 あの日の夜、保健室の前で動けずにいる五人を、後輩達は心配していたし、先輩達も気にかけていたけど あの時僕は、僕達は思い知ったのだ。 本当に怖いのは、実は怪我した誰かを連れて帰ってくる道中。 邪魔するものは勿論、何者も近づくことさえ許さず、 人を人とも思わず 道を遮るものは問答無用でなぎ倒してしまう それが「何」であるか それが「誰」であるか そんなことには頓着せずに… 三つ上の先輩が容赦なく彼らに踏み込めたのは、彼らよりも実力があったからだ 彼らより未熟な自分達が、覚悟もなしに、無理に踏み込めば、痛い目を見るのはこっちだと痛感した
「それでも、嫌いなんてなれるはずないよね」
あのことについては、次屋先輩本人からちゃんと謝罪してもらっているし、軽率な行動をとった自分にも非はあるから、とくに何とも思っていない。 何より、彼らの優しさもちゃんと知っているから、嫌いになれるはずはないのだ。
「こんなとこで何やってるんだ?」
そう、この声の優しさを僕はちゃんと知って…って… 僕は慌てて、声の方を向いた。
真っ赤な夕日を背にして、相変わらずやる気のなさそうに立っている次屋先輩がいた。
「つ…ぎや先輩?」
あまりの「いつも通り」の様子に、僕の視界は歪んでしまった。 いてもたってもいられなくて、弾かれた様に立ち上がると、次屋先輩に抱きついた。
「うわ」
そう言いながらも、ちゃんと受け止めてくれるところは、やっぱり「先輩」で。
「おかえりなさい」
震えて、掠れてしまった声は、ちゃんと先輩に届いただろうか。
「おぉ、シロ。ただいま」
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