シリーズ | ナノ

濃い橙色に沈む室内の奥で、まこは眩しそうに瞳を細めていた。
見つめる対象は随分前からぴくりとも動かない。
どこか遠く音を捉えていた耳に届いた戸を開く音に、振り返る。

「あれ、まこ一人?」
「数実。ううん、作もいる」
「あ、ほんとだ」

ぱたぱたと小走りで机の合間を縫い歩き、まこの隣まで来た数実は作兵衛の前で徐に膝をついた。
教室内は既に薄暗い。窓からの斜陽は両端に束ねられたカーテンに遮られて顔には当たらないものの、身体は橙色に染まっていた。
何の夢を見ているのだろう。迷子捜索だろうか、眉間の皺が凄いことになっている。
不意に其処へ伸ばした両方の人差し指を当て、左右に引けばその皺は伸びて無くなった。
その寝顔を数秒間見つめ、満足したのか手を離した数実はふふふと笑う。

「作ちゃんってば寝顔までかっこいいね」
「うん」
「でもこの無防備さはダメだよね」
「うん、嫌だ」

きっぱりと言い切りながらも二人の視線は作兵衛から離れない。
いくら今が放課後で殆どの生徒が帰宅したり部活動をしていても、自分達がいない時にこんな風にしないで欲しいなとは我儘とも呼べないだろう。
こんな“お願い”を我儘というのなら、自分達は普段どれだけ貪欲なのだか分かったものではない。

「ってことで私達も一緒に寝ちゃおっか」
「それなら、藤内も呼ばなきゃね」
「そうだねぇ」

立ち上がり携帯を取り出す数実と入れ替わるようにして、まこは作兵衛の真正面にしゃがみ込んだ。穴が空く程に見詰めながら、ついと瞳を細めて笑う。
無防備とはいえ、こんなにじっと見ているのに起きないのは自分達だから。
自分達もあともう少し近付けば彼は起きるだろうけれど、他人なら見られただけですぐに意識が覚醒することを知っている。他人が来れば無防備だってなくなる。けれど、その構えた寝姿とて視界に映させたくはないのだ。
そんな独占欲すら拒まずに受け入れて、なんと同じだけの想いで応えてくれて。無意識のそれがどうしようもなく嬉しい、だなんて。言葉に改めるのも少なくはない。
無形も有形も、互いからのものなら何だって欲しい。
ぱちんっと携帯を閉じた数実が同じようにしゃがみ込む。

「近くにいるみたいだからもうすぐ―――…あ、来た」

からりと黒板側の戸が開いた。静かに入ってきたのは数実の言葉通り、藤内である。
彼女は青みがかった清冽な黒髪を夕闇に揺らして三人へと歩み寄ってきた。近くの机に鞄を置いて、二人に倣い同様にしゃがみ込む。

「ごめん、遅くなった」
「ううん、大丈夫」
「私もさっき来たからね」
「そうか。…というか作は何でこんな」
「私が来る前からこうだった」

まこの言葉に藤内は少しだけ眉を顰めてみせた。
むっとした、拗ねたような顔。

「と、いうことは」
「察しの通りだよ」

数実がまたにこりと微笑む。はぁ、と溜息を吐いた藤内も同じだ。
自分達がいないのに無防備であることを好かない。
自分達のうちの誰か一人でも傍にいたら良いのだけれど、迷子やら授業やら委員会やらでなかなかその時に間に合わないこともある。

「…そういえば」
「あぁ、うん。持ってきた?」
「勿論」

立ち上がり、三人共に自分の鞄を漁る。出したのはパステルカラーが大半を占める手紙だった。数は七、八枚。でも充分だろう。
一ヶ所に並べた可愛らしいそれらを見る彼女達の瞳が、凍えたように冷たくなっていく。
一人は少しだけ眉を下げた柔らかな微笑を湛え、一人は静謐な無表情で、一人は美しく歪んだ嫌悪を隠しもせずに。

「…相変わらずモテるよね、流石作ちゃん」
「仕方ないよ。作、優しいから」
「そうだな。でも、これはいただけないな」
「うん。外見とのギャップとか何とか騒いでるそんなぽっと出に、そう簡単に告白なんてさせないよねぇ。妥協するなら、せめて、直接告白しに来るくらいには“想い”を示して貰わないと」
「当然だ。大体、作の良さに気付いたって、何を今更」

最初は怖がってたくせに。
藤内が静かに吐き捨てるのを聞くと同時に、三人はそれぞれ一つずつ手紙を手に取った。
封代わりに貼られたシールの真上の位置を細い指で摘み、びりり、とハートのそれを真っ二つに裂く。
中の紙になど目を通さない。興味が無いし、見たくもなかった。
三文字ずつ読めるまでに破り、二枚目、三枚目へと取り掛かる。
作兵衛が知らなくても然程問題はない。水面下での競争率は結構激しいのだ。不用心にも下駄箱へ入れている方が悪い。

「それにしても、意外と気付かれないものだね。これ私達がしてるってこと」
「ね。まず真っ先に疑えるでしょうに」
「一番近いからね。でも、何か私達は無実だと主張している子達がいるみたいで」
「へえ?」

誰だろ、と言いつつも無残に破く所業は進む。数が少ないからかすぐに終わった。
バラバラに千切られた残骸を藤内が両手で掬い持ち、ゴミ箱へと舞い落とす。
横恋慕する女が“恋する乙女”だなんて嘘。今時?と笑うつもりはないが、こんなにあざといのなら、別に妨害しても良いだろう。
『自己防衛』という言い訳はしない。これは自分達の為だ。

「多分、もうすぐ動くと思うよ。私達の無実を証明しようと」
「本命かダミーかを置いといて、現場を押さえようとするのかな?ちょっとやり難くなるね」
「別にバレてもいいけど、敵は作らないに越したことないからなぁ」
「女の子はしつこいから面倒だしねぇ」

沈んでいくように暗い青色へと染まりゆく教室で、学年で五本指に入る三人がくすくすと談笑する様子は端から見ればとても可愛らしいだろう。
彼女達に恋慕する男子が目撃すれば鼻の下を伸ばして見惚れるかもしれない。
会話の内容さえ聞かなければ、の話だが。

「…その子達」
「ん?」
「私達の無実を主張している子達、引き込めないかな」

不意にまこが零した言葉を聞き、数実と藤内は顔を見合わせた。
藤内は腕を組み、数馬は曲げた人差し指の背を唇に添え、暫くうーんと唸る。
タイミングの合ったそれに一瞬だけまこは笑んだが、すぐに元の無表情へと戻った。

「こっちに引き込む…うーん、どうだろう。まず誰かを特定しないと、出来るかどうか分かんないし」
「それに、その子達が口固いかどうか…バレたら元も子もないような気がする」
「あ、じゃあいっそ被害者面してみる?」
「いや、それもバレた時が面倒だよ」
「それもそっかぁ」

ぽんぽんとテンポよく交わされていた会話が途切れ、二対の瞳がまこを映す。

「まずは情報収集してから決めよ?」
「引き込める相手だったら決行ってことで」
「「いい?」」
「…うん」

こくりと幼子のように頷いたまこへもう一度にっこりと二人が微笑んだ。
その時。
何かを感じたのか、彼女達は一様に作兵衛を見遣った。

「…、……」

着崩れた制服を纏う上半身がもぞ、と身じろぐ。
咄嗟に息を潜めて窺えば、睫毛を震わせて薄らと瞼が開いた。
ぱちぱちと何度か瞬き、鋭さが幾分か和らいだ瞳がゆらりと揺れて、まずは真正面に位置するまこを捉える。

「…まこ」
「おはよう、作兵衛」
「ん、はよ…」

壁から背を離し、立てた片足に腕を乗せる。もう一方の腕は緩慢に動いてまこの頭をぽん、と乗せた。
心地好さに思わず目を細めればくしゃくしゃと髪を少しだけ乱しながら撫でられる。
もっとと強請るように足の間に身体を入れ、その胸に預ければ、片足に乗せられていた腕が首に回された。
これは、ジュンコがいない時、抱き締められると必ずしてくれる行為。
寒そうだと言って首を覆ってくれる。

「便乗ー」
「同じくー」

楽しそうに笑いながら数馬が作兵衛の右隣へ、藤内は左隣へ。
ぴとっとくっつけば、寝起きの作兵衛が瞼を重そうに瞬かせた。
欠伸を噛み殺し、垂れてきた前髪を邪魔くさそうに払い除ける。

「もうちょっと寝とこうよ、作ちゃん」
「まだ時間あるし」
「私も寝たい」

心地好い時間を長くと畳み掛けると、作兵衛は仕方なさげにほんの少し笑んで、すっと目を瞑った。
そんな彼に三人は互いに目配せをし、やった!と密かに笑い合う。
再び眠り込む作兵衛を暖めるように三方から寄り掛かり、彼女達も瞳を閉じた。








からりと何度目かの音が微かに立った。
疲れたように猫背で教室内へと入った影は、一番前で窓側から二番の自席へと重い足取りで進む。
そうして足を運んだ先、荷物をどさりと置いて、ふと何気なく教室の奥を見渡そうとした影はギョッと驚いた。
入った時は薄暗くて気付かなかったが、クラスメイト三人とクラスは違うが同級生の三人が何故か直に座り込んで、寝ていた。
驚きのあまり声も出なかったようで、それは幸か不幸か分かりはしないが六人は起きない。

(…意外だ)

影―――名もなき男子生徒は思う。
クラスメイトである富松・次屋・神崎は授業中居眠りをすることもあるが、教師の指名に起こそうと誰かが手を伸ばしたり、授業が終われば本当に寝てたのかと疑うほどすぐに瞼を開けるし、完全に気を抜いていると分かる姿はここ一ヶ月一度も見ていない。
同級の女子三人は知らないが、それでもガードが凄く固いと彼女達と同じクラスにいる友人の一人がぼやいていたのを聞いていたから。

これで寝たふりだったら笑えない、と思いつつも疼く好奇心には敵わずそぉっと近付いていく。
まずはと中心にいる富松に目を遣れば、眠っているにも関わらず眉間に皺を寄せているのが憐れみを誘った。
しかし、決して微かではなかったそれを押し潰すのが彼の現状だった。
彼の両肩にはそれぞれ美人やら可愛いやらで評判の浦風藤内と三反田数美が頭を預け、足の間には高嶺の花と名高い伊賀崎まこが何とも無防備に彼へと凭れて、すうすうと寝入っている。
その姿がとても心地好さそうで―――男子生徒は我知らず唇を噛んだ。
彼女達に焦がれる者が見たらさぞかし嫉妬に身を焼くだろう。…男子生徒のように。
富松が良い奴なのは周知の事実で、男子生徒もそれをよくよく知っていた。
同じクラスで彼の世話にならなかった者は一人もいないからだ。
それでも、羨ましい気持ちに変わりは無くて。

(少しだけ…。そうだ、少しだけなら――…)

自分に言い訳をしながら、いつもは遠目に見るだけしか出来なかった魅惑の髪へと吸い込まれるように体が動く。
そうして触れる寸前。
無粋なその手首を、見目に反して武骨な掌が捕えた。

「…寝込みを襲うとは、あまり感心しないぞ」

びくっと驚いて身を引こうとした男子生徒を、浦風の左隣で寝ていた筈の神崎の大きな双眸がひたと見据える。
いつの間に起きていたのか、寧ろ寝起きとは到底思えない射抜くようなそれに思わず息を呑んだ。

「な、…っべつに、そういうんじゃ、」
「なくてもさー、勝手に触ったの知ったらまこは嫌がるぜ」

また上がる声。
もう一度肩を震わせ、首を巡らせれば今度は神崎の反対側、三反田の右側面に背中の上部を預ける中途半端な形で眠っていた次屋がぱちっと瞼を開いた。
向けられた流し目は気怠げなのに、顔の無表情はいつものことなのに、奇妙な圧力が男子生徒を襲う。
ごくりと固唾を飲み込み、そこで自分が酷く身体を強張らせているのに気付いた。
何でだかという疑問はすぐに解ける。そうさせているのが次屋三之助と神崎左門だからだ。理由なんてそれだけで事足りるほど、この一ヶ月間で垣間見た彼らは色んな意味で凄まじい。
努めてゆっくりと身体の力を抜く。すると先程の握力は何だったのかと思うほど呆気なく神崎の手は離れた。
無言の牽制に圧されたまま、じゃあな、というぎこちない別れの言葉もそこそこに踵を返す。

教室から出る寸前、視界の端で奴らはまた寝る体勢を取っていた。



完成したので上げ直し。
そして某さんにお借りした設定で、半壊した学園を直す間他校に転入している生徒達。なので【しーくれっと】です。
迷子はそれぞれ委員会だったんですが、終わる頃には迎えに来ている筈の作兵衛が来ていないので捜しにきました。で、帰作兵衛本能で四人の許へ。前後左右取られちゃってたので、しょうがなく数実と藤内の横にいきました。委員会帰りの疲れとお互いの体温も手伝って寝ちゃって。そして部活終わったら今度は先生に用事押しつけられてそれを漸く終わらせた男子生徒が…的な展開です。他人が来たら起きるのに、動かなかったのは、見せつけの意味も含めています。
誰か作兵衛ハーレムかいてもらえませんか…!

11/04/23.


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