ss | ナノ


気がつけば、室内は西日に侵されていた。四角く限られた窓からは滲むような赤が雲間からその色を注いでいる。
もうこんな時間か。どこか上の空で考える。午前中からいたが、時間の概念などちっとも気にしていなかった。

朝から雨が降っているからか、休日といえど静かだ。
耳を澄ませばしとしとと聞こえてくる湿った音。かといってじめじめしているわけでもなく、瞳を閉じれば陽が真っ赤に焼く。
その鮮烈さに薄くしか瞼を開けられない。不思議な感覚だった。

読破してしまった書物に栞を挟んで眼鏡を外し、ふ、と息を吐く。
脇に置いておいた小さなトレイを引き寄せ、汗をかいたグラスを呷って空にした。数時間も何も口にしていなかったからか若干まだ喉が潤ってないが、お代わりは後で注ごう。
左吉は、ずっと同じ体勢でいた気怠さを伸びで解しながら背凭れにしていたベッドを振り返る。
微かな寝息に併せて微動する、掛布を被さった小山。左吉の肩に額を寄せるようにしているその美顔を縁取る、疎らに散らばった髪へと手を伸ばした。
山から海までの旅路を枝分かれしていく水流のような、露に濡れた蜘蛛の巣のような、なかなか見甲斐があるそれを、新たな紋様を描くようにして少しだけ乱す。決して絡まることなくさらさらと逃げてしまう触り心地は密かなお気に入りだ。
そうして、時折くすぐったそうに身じろいでは陽光を浴びて深く艶めく赤毛を梳かす指先が、不意にぴたりと止まった。
眦からつぅ…と滴る涙に一瞬呼吸を忘れ、左吉は思わず魅入る。こめかみを過ぎる寸前、その雫を拭った。きっと、泣いた事実は彼の自尊心をひどく痛めつけるだろうから。僅かに塩辛いそれを舐め取り、切れ長の眼を柔らかく細める。


丸く膨らんでいたカーテンが萎み、風が止んだ。


再び波打ち始めたのを境に、名残惜しさからか緩慢な動作で乗り上げた上体を起こし、甘く柔らかな温もりから離れる。
布に孕まれては受け流され、室内へと運ばれる湿った空気が晒した首にざらりと纏わりついた。しかして不思議なことに妙な不快感を覚えない。
理由など至極簡単だ。同じ空間で憩うていて負の感性はちらとも働かない。寧ろ、穏やかな思いで見つめずにはいられない。
猫のように丸くなって眠る彼の身体に覆い被さるのは容易で、自分よりは細い身体をもっと小さくした状態では、寧ろ両腕だけで閉じ込められる。

「ん…、……さきち?」

まだ夢見心地でふわふわとした声に視線を遣れば、眩しいのか眠たいのか、瞼を頻りに瞬かせながら左吉を不思議そうに見上げていて。
眠りを阻害しないよう気を付けたつもりだったが、やはり張り詰めるに難しく弛んでいたのか。
自然と動いた手が滑らかな頬を撫でると、八割型伏せて頬に影を落とす睫毛の奥、それでも左吉を映す寝惚け眼がまるで雪解けのように綻ぶものだから、幼子みたいな、しかしてそれより妙な艶を帯びた恋人へ安心させるように小さく微笑みかけ、空けられた場所に身体を横たえた。



涙雨よ、止みなさい

狐の嫁入り幽けし哀歓


赤い髪のあの子。に提出させていただきました。
伝七と一緒なら、じめった雨の日も気にならないくらいに幸せな左吉。
そして左吉相手には限りなく無防備な伝七。
いつまでも二人でいたい。

11/06/24.