beloved【泡沫の睦言】



ふわりと体から無駄な力が抜けていく感覚で、嗚呼とうとうバーサーカーは負けてしまったのかと理解した。血に濡れた何処かもわからない地面に伏せたまま、吐き出すものも既に無くなった口唇をはくはくと動かす。行かなくちゃ。今すぐあの子を助け出さなくちゃ。召喚した英霊は勝利を掴み取ることが出来なかったから。もう何の力にも頼らない誰も信じない。自分の力で足で腕で、地獄よりも残酷な牢獄に閉じ込められたあの子を助け出すしかない。
再び立ち上がろうと渾身の力を腕に込めた。しかし腕は痩せ細った己の上半身すら支えることが出来ないのかべしゃりと力なく崩れ落ちる。頬を走るケロイドから血の飛沫が小さく舞い、鬱血した手足からは断末魔が聞こえるようだ。
もうあの子を救うことは出来ないのだろうか。これが魔術師を憎み背を向けた報いなのか。たった一人の少女すら救済出来ず、こんな暗闇でのたれ死ぬのが裏切者の末路だと言うのか。

遠坂時臣が憎い。幸せな家族の風景をただ凡俗と蔑み魔術の妄執に囚われた愚かな男が憎い。
遠坂葵が憎い。純粋な恋心と幸福への祈りを踏みにじり貶めた愛しい筈の女が憎い。
世界が憎い。ただ幸福を願っただけの人間に絶望に染まった悲劇を突き付けるこの世界が憎い。
そして一番憎いのは……魔術師の家系として呪いを背負っていたとしても、たった一つの仲睦まじい家庭を壊してしまうきっかけになった俺自身の妄念なのかもしれない。己の正義を振りかざしその影にある存在を顧みずに暴走し果てた結果がもたらしたのがこの顛末だとしたら、それは順当な罪だと言えるんじゃないのだろうか。

――貴方は罪人じゃない。少しの間質の悪い呪いが掛かっていただけです。

何処からか声がする。初めて聞いた声なのにすっかり耳に馴染んだような不思議な声色だ。それが優しく抱擁するように俺の身体を包み込む。

――私は愛と憎しみの果てに呪い狂った愚かな罪人です。しかし貴方は違う。己の為したことを理解し嘆く貴方は罪人じゃない。

気配がした。投げ出された歪な手に触れるそれは既に知っている存在であり、初めて感じる体温だった。

――貴方を今この手で救わせてください。それが今騎士としての私に出来るたった一つのことなのです。

体が思うように動かない。握られた手を握り返したいのに、見下ろすその優しさに満ちた眼差しを見つめ返したいのに、体は蟲に食い尽くされたのかピクリとも動かなかった。

――嘆き悲しみ怒り憎むのはもう終わりにしましょう。それだけで貴方の瞳に映る世界の色は変わり、慈愛に満ちた幸福で彩られることでしょう。

ふと視界が眩い程の光に包まれた。あの公園でかつての俺が一人佇んでいる。肌に触れる空気が暖かい不思議な世界だ。目の前には走り回る元気な少女が二人と、それを優しい微笑みで見守る母親がいた。凛ちゃんと桜ちゃんと葵さんだ。そしていつの間にか俺の隣にも一人の男が立っていた。豊かな長髪を靡かせ俺に優しげな視線を向ける美しい男。初めて見るのに何処か懐かしさがある男。彼は甲冑を脱いだバーサーカーだった。
彼はそっと俺の手を握った。目の前で繰り広げられる微笑ましい家族の一時に魅入っていた俺を、まるで諭すかのようにぎゅっと強く握っていた。

そうか、今は隣にバーサーカーがいる。俺はもう憎しみに駆られることも妄念に取り付かれることもないんだ。

握られた手をそっと握り返した。大きくて節だらけの頼もしい手。バーサーカーの掌は温かかった。
夢のような温もりに包まれた世界で、俺は初めてあの家庭に背を向けて歩き出した。
隣にはバーサーカー。
もう、一人じゃない。

end.

雁夜とバーサーカーがもっと絡んで欲しかった…

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