あの頃、俺たちは
どうしようもなく
純粋で馬鹿だった。




【1】
斑に雲を散りばめた紅く染まった空を、烏の親子が鳴きながら飛んでゆく。校庭は下校に急ぐ学生たちの喧騒で溢れ、チャイムが響く校舎はすっかり人気を無くし静まり返っていた。何処からともなく聞こえる水が滴る音、廊下を走る上履きの音、近付いては瞬く間に遠ざかる話し声。
耳鳴りさえ聞こえてきそうな静寂が満ちたとある教室では、外界の声がまるでテレビ画面から漏れる音声のように聞こえた。しかしそれも今は意識下に無く、聴覚が敏感に拾い脳に伝達するのは互いの口から溢れる荒い呼吸だけだった。

「っは、いい様だな」

吐息混じりの少し上擦った声がピンと張り詰めた空気を裂いた。額を滴る汗を鬱陶しげに拭いながら雁夜は嘲笑を浮かべて相手を見下ろす。頬に刻まれた引っ掻き傷が汗に染みてヒリヒリと地味な痛みを訴えても、今は勝利の高揚感に一杯で何も感じなかった。

「見下していた相手にマウントポジションを取られて悔しいだろ、時臣」

雁夜に名を呼ばれた少年は同じく荒い呼吸を続けながら、しかし雁夜の挑発にも臆する事なくただじっと鋭い視線だけを向けている。怒りとも憎しみとも言い難い真っ直ぐで強い、日本人離れをしたブルーの瞳がただ雁夜を見上げていた。

「悔しくて何も言えないってか?なぁ時臣」

寝そべる時臣の腹の上に跨がりにんまりと口元を歪める雁夜は、未だ無反応の彼に苛立ちを募らせつつも挑発を繰り返す。
ただ一言、敗北の言葉を天敵である時臣の口から聞きたい、その一心だった。だからその為には何でもしてやろうと思っていたし、ましてや時臣が身動き出来ないこんなチャンスを見す見す見逃すわけにはいかなかったのだ。そして更に、雁夜は最も屈辱であろう時臣を侮辱する行為を知っていた。それは暴力でも恐喝でも無い、もっと劣悪で非道なことだった。
雁夜が知りうる限りの中で最も外道な方法の侮辱だった。

「精々泣いて許しを乞うんだな、時臣」

世界で一番大嫌いな時臣の顔が涙で歪むその瞬間を見ることが出来れば己の心痛も癒される筈だと雁夜は疑うことなく、今その手をゆっくりと外道の泥へと沈めていった。



× × ×



雁夜が気付いた時には既に隣にいた幼馴染み。何事も優秀で人当たりが良く立ち振舞いに中学生とは思えない高貴さが滲む少年。世間は彼をまるで太陽だと口を揃えて謳った。辺りを目映い光で照らし天恵をもたらす幸溢れた陽の存在。
それが遠坂時臣だった。
そして彼に比べると間桐雁夜はまるで正反対だった。
ありふれた凡庸な性格と平々凡々な技能は数多の学生と大差無い何処にでもいる一般的な少年である。むしろ目立つことが嫌いで人混みを避け一人静かに過ごすことを良しとしていた雁夜は、クラスメートからの認識が薄くまさに陰の存在と言っても過言ではなかった。
時臣が太陽ならば、雁夜は月。
決して周囲がそう例えることは無かったが、雁夜はいつもクラスの中心にいる幼馴染みと自分を見比べ自らを卑下していた。
しかし時臣はそんな雁夜の内情を知ることもなく、己の認識では一番親しく大切な友人として接していた。雁夜が一人で途方に暮れる時は手を差し伸べ共に歩むのが義務であり、他の者を差し置いてでも優先すべき人物であると信じて疑わなかった。その姿こそが親友の何たるかであり、雁夜の存在価値は他とは比べるのも憚れる程の尊いものだった。そしてそれは年を重ねるに連れ単純な友情という言葉では表現出来ない、むしろ親愛に似た恋愛感情であることを時臣は中学に上がった当時早々に確信したのだ。
幼馴染みの、しかも同性の親友にあらぬ恋心を抱く己の行き場の無い感情を押し殺しながら過ごすそれからの日々は、時臣にとって何の面白味もないモノクロの偶像に過ぎなかった。高校生になると雁夜はあからさまに時臣を避けるようになり、一層心は飢えと寂寞に苛まれるようになる。
興味も無い他人に笑顔を振り撒く己はもしや遠坂時臣という役を演じているだけに過ぎないのかとすら思えて、またそんな馬鹿馬鹿しい戯言を考えてしまう己自身が愚かで。
その全ての原因が雁夜にあると思うと、愛しさと相まって憎しみも膨れ上がっていった。雁夜からすれば迷惑甚だしいが、時臣は本心から純粋にそう考えていたのだ。何の理由も無く己の気持ちも知らずに距離を置く雁夜が悪いと、本気で、そう考えていたのだ。


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