01


朝靄がかかるまだ早い時刻。
既に賑わいを見せる空港のロビーで、自販機で買った缶コーヒーを片手にぼんやりと昨夜の事を思い出す。

――不安を抱いたまま逃げるように部屋を飛び出した椿。
暫くリビングで待ってみたが日付が変わっても椿が部屋に戻ることはなく、それなら出来るだけ起きていようと気を張っていたつもりが、俺自身いつの間にか寝てしまっていたようで、結局今朝は椿の姿を確認出来ずに寮を出てきてしまった――

わざと見計らったかのような絶妙なタイミングでの彼奴からの急な呼び出しに些か苛立ちすら覚えるが、しかしそれは俺と彼奴の長年の付き合いと、彼奴だから許してしまうという端から見れば“特別扱い”に違ない会社側の待遇によるものだから仕方がない。
社に戻ればきっと黒田や夏木がいつものように騒ぐだろうなと、予定時刻をとうに過ぎた腕時計を確認して俺は大きな溜め息を一つ吐いた。

(…相変わらずマイペースな奴だ)

予定していた朝のミーティングには到底間に合いそうにない大遅刻。
やっと背後から聞こえてきたのんびりした声とトランクを牽く音に、俺は再び溜め息を吐くと振り返る。

「やぁ、元気だったかい?コッシー」

「…大遅刻だ、ジーノ」



* * *



ぼーっとするまま周囲の慌ただしさに半ば流されるように仕事をして、やっと落ち着いたのは昼休みだった。
丹さんとザキさんと一緒の席に着いて和気藹々と食事をしながら喋るのはやはり今夜催される歓迎会のことで、終止笑顔で話す丹さんはチラリと横目でザキさんを見やった後、悪戯っぽい笑みを浮かべて身を乗り出した。

「椿はいいぞー女装で済むんだから、コイツん時なんてもっと酷かったぜ?」

「それ仕掛けた張本人が言うんスか」

「俺じゃないもーん、発案は石神だもーん」

「…な、何を」

段々と険しくなるザキさんの表情が、俺の一言によって更に強張る。
「余計な事聞くな」と言わんばかりの目を向けられて慌てた俺が前言撤回をしようと口を開いたと同時に、丹さんがニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら小さく呟いた。

「鬼ごっこ」

「え…?」

「営業部仕様の特別ルールのね」

「特別ルール?」

よくまぁ石神も考えたもんだよなーと声を弾ませる丹さんを隣で睨み付けながら、ザキさんはあれは悪夢だったと項垂れる。

「鬼は先輩達で、捕まったら鬼が持ってる酒を飲み干すことがルール。飲んだらまた逃げる、そして捕まったら飲むの繰り返しだぜ?誰でも逃げるっつの」

大きな溜め息を吐いて思い出したくもないと頭を振るザキさん。
確かに無茶なゲームだ…酒に強くない俺なんかが参加させられたら正に悪夢かもしれない、それに比べたら丹さんが言っていた様に女装で良かったとすら思えてくる。

「湯沢は酒に強いし隠れるのが上手かったからな、赤崎はすげー面白かったんだぜ?後半なんて泣きそうになりがら丹さんおねがっ…むぐぐ」

言葉の途中にザキさんが咄嗟に丹さんの口元を覆った。
何か都合が悪いことを丹さんが喋ろうとしたからだろうか、顔を真っ赤にしたザキさんは「あんた喋りすぎ!」と大声を上げた。
その声がやけに響きわたったと思い辺りを見渡すと、食堂にいた沢山の社員の目が一堂に集まっていていることに気付き、慌てたザキさんは苛立たしいのと恥ずかしいのが混じったような複雑な表情を一瞬浮かべ、そして咳払いを一つして俯いた。
隣では丹さんが口元を押さえて必死に笑いを堪え、それに気付いたザキさんは再び鋭い眼光で丹さんを睨む。
俺はというとそんな二人のやり取りを見て苦笑い。
営業の外回りをするペアと言っても年齢がかなり離れているのにこうも仲が良いのが不思議だと思った。
それもこれもザキさんが新人の年の歓迎会がきっかけだったのだろうか。
ザキさんにとっては苦い思い出かもしれないけれど、会社の先輩とこんな風に気軽に笑い会えるのが何だか羨ましくて、俺は顔を綻ばせた。

(俺も村越主任と仲良くなれるのかな…?)

今朝から顔を合わせていない村越主任。
急務が入ったと置き手紙がリビングのテーブルにあったけれど、それに記されていた戻り予定の時刻はとうに過ぎていた。
午後は村越主任と内務処理の予定だったんだけれど…このまま戻って来なかったら俺は何をすればいいんだろう?
未だに仕事は与えられたモノをこなす事しか出来ない俺は、ザキさんと丹さんがやいやいと言い合っている隣で少しだけ不安になっていた。

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