02


午後の就業を知らせる壁掛け時計から流れるチャイムと共に、コートと鞄を片手に席を立つ。
それを合図として赤崎も同じ様に席を立ちホワイトボードに外回りと二人分を書き込み、俺の後ろについて歩く。
部屋を出てエレベーターを目指し廊下を足早に進むと疲れきった顔のコシさんとすれ違い、互いに揃って苦笑いを浮かべて会釈した。
何とか午後の仕事には間に合ったみたいだな、椿も不安そうな顔をしていたから良かったと内心で安堵して、そして運良く先客がいないエレベーターに乗り込んだ。

「コシさんどこ行ってたんスかね」

エレベーターが下降を始めるなり赤崎がふと口を開いた。
一瞬答えようかどうしようかと考えて「ジーノが今日出張から戻る予定だったからな」と言うと、予想通り、赤崎の声色が一気にトーンダウンした。
エレベーターのボタンの前に立つ赤崎を見ると表情も険しくなっていて、つい笑みが零れる。
また忙しくなるなお気に入りは、と半ばからかい交じりに軽口を叩くと「ただの遣いっぱしりッスよ」とやはり予想通りの不満気な声が返ってきて、台本そのままのような赤崎の返しに俺はエレベーターが目的地に着くまで暫く声を出して笑った。

1階に到着するとエレベーターを降りてしんと静まったエントランスホールを抜け関係者が使用する出入口へと向かう。
外の専用駐車場には営業部が外回りの際に使用する社有車が何台かあり、その一つの鍵をオートロックで開けて二人は車に乗り込んだ。
シートベルトを締め、本日訪問アポを取っている顧客リストを赤崎に確認してもらいエンジンスタート。
「今日も相変わらずバラバラっすね」と住宅地図とリストを交互に睨みながらうんざりして言う赤崎の言葉に俺も大きく頷き、そして「まぁのんびりドライブと行こうじゃねーの」と言ってゆっくりとアクセルを踏み込んだ。



* * *



「あん時のこと、椿には言わないで下さい」

太陽が地平線の向こうへと沈み始めた頃、リスト先への訪問を終えた俺達はコンビニで小休憩を取っていた。
車内で缶コーヒーを片手に煙草を燻らせていると、今まで携帯電話を弄っていた隣からいきなり発せられた言葉に驚いて振り向く。
赤崎は前を向いたまま、空になったスチール缶をぎゅっと握っていた。

「あん時?」

「…去年の歓迎会ッス」

椿にも皆と同じ『俺がゲームから逃げ出して酷い思いをした』って事にしといて下さい。
そう言ってふいと顔を窓の外へと移した。
どうやら赤崎は昼食時に俺が椿に話した、昨年の歓迎会とその時の赤崎の話が気にかかっていたらしい。
端から核心の部分は言うつもりなんて無いのに、いちいち心配して可愛い奴だなぁなんて考えながら、飲み干した空き缶の中に煙草の吸い殻を落とす。

今までの新人歓迎会ってのは本当にただ単に名ばかりの酒飲み宴会だった。
それが昨年とある幾つかの小さな出来事がきっかけとなり、一部の人間にとっては記念日、一部の人間にとってはXデーというそれこそ営業部のごく一部しか知らない小さな事件となった。
赤崎も俺も例外無く当事者であり、赤崎はその日がXデーになってしまった一人と言っても良い。
況してや誰にも知られたくない本心を俺に見せてしまったんだ、赤崎らしくない弱気を見せたり不安を抱いてしまうのは致し方無いだろうと思う。

「赤崎は必死にもう飲めませんと言って俺に泣きついた、それでいいんだろ?」

「…はい」

「俺さー、赤崎が想像しているよりも少しだけもっと大人だから、安心しろよ」

もう一人の赤崎の表情を知っているのは俺だけで充分だから。
なんてそんなことを言ってしまうとまたコイツが変な顔をしてしまうだろうから言わないけれど、でもあの時の赤崎は俺にとって衝撃的で新鮮で何と言うか…単純に好きだった。
これを自分が始めて見つけたオモチャを誰にも渡したくない子供の気持ちと言うのであれば、今なら大いに理解できる。

「…丹さん俺らと殆ど変わんないじゃないッスか」

「あんだと!お前まさか年だけだとか思ってんのか!」

「ははは、冗談ッスよ」

「笑えてねぇし、その目!」

秘密を漏らさないという約束に安心したのか柔らかい笑みを浮かべる赤崎を見て、俺も自然と笑みが零れそしてほんの少しだけ胸がチクリと痛んだ。
俺は赤崎よりずっと大人で、赤崎が想像するより少しだけもっと大人。
後輩の悩みを聞いて秘密を守って慰めてやるのが大人だと言うのであれば、それはちょっと違う。

(ほんの少しだけ狡いんだよ、大人ってのは)

赤崎の秘密を知りながら俺が健気に見守るだけだと信じているのなら、それは悪いけど大きな勘違い。
更には赤崎自身も忘れてしまっている小さな秘密を俺は持っている。
赤崎と俺だけの、秘密。
愛だの恋だの堺や世良みたいに真面目で甘ったるいのなんか端から求めちゃいないし、第一俺には家族がいる。
俺はただ単に、報われない恋心を抱く実直な青年が二つの秘密を抱えながらどのように転がっていくのか、それを間近で見てていたいだけ。
ただそれだけだ。

(悪いな、赤崎)

俺って本当、狡い。

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