06

ザキさんから貰った缶コーヒーを片手にパソコンとにらめっこをして早2時間。
時計の針は既に9時を回ったところで、気付けば営業部事務室に残るのは俺一人になっていていた。

(出社初日から残業なんて、本当情けないよな)

二つの仕事を同時にこなせない自分の不器用さに改めて落胆しながら、やっと作業が終了したパソコンをシャットダウンして立ち上がる。
俺の席の上部にだけ点いていた事務室の電気を落とし廊下に出るとかなり真っ暗で驚いた。
水を打ったようにしんと静まり返る夜のビルは然程大きい建物では無いものの行き慣れないせいかちょっとした恐怖心を煽るようで。
だからかだろうか、何処からともなく話し声が聞こえた瞬間、それはもう心臓が跳び跳ねる位驚いた。

(…?まだ誰か残ってたのかな)

何気なく声がする方へと歩みを進めて行くとそこは未だ知らない部屋、扉にくっついたプレートには第2会議室と書かれていた。

(廊下の奥に会議室があったんだ…第1会議室はエレベーターの前にあるのに、何か不思議だ)

声はやはりこの会議室の中から漏れていて、声色からすると男2人というところか。
ちゃんと人がいた、良かったと当たり前のことなんだけど安堵して、すっきりした気持ちでいざ帰ろうと背を向けた時。

ガタガタッ――

大きな物音と声が廊下に響き、驚いた俺は咄嗟に廊下の反対側の角へと身を隠した。

(うわー俺ビビり過ぎだよな…何で隠れてんだろ)

己の行動に呆れ笑いを浮かべながらもそろそろと廊下の様子を伺ってみる。
するとそこには人影が二つ、予想外の見覚えのある人物がいた。

(ガミさんと、キヨさん?)

今朝寮の食堂で会ったガミさんと、昼にザキさん達も含め一緒にご飯を食べたキヨさん。
こんな時間にこんな所で二人は何をしていたんだろう。
それは当たり前のように湧いてきた素朴な疑問で、でもその疑問は直ぐに当事者が思わぬ形で答えてくれた。

「もういいッスよね帰っても、明日も早いんすから」

「ははっ相変わらずつれないねぇ、じゃ、最後に」

「あ、ちょっ!…んん、む」

ちゅっちゅっと湿った音さえ聞こえてきそうな、そんな激しいキス。
ガミさんとキヨさんは廊下のど真ん中でキスをしていた。

(え、何で、ってかここ会社だよな、それに、お、男同士だし…!)

一瞬で俺の思考は停止。
何で何で何で、疑問符ばかりが頭の中を埋め尽くしてもう考えるのを放棄してしまった脳は、ガミさんとキヨさんの濃厚なキスシーンを俺の目に焼き付ける事しか出来なくて。
俺は二人が暗闇の向こう側へと消えるまで、その場から動くことが出来ずにただ呆然と立ち尽くしていた。



* * *



ガチャリ。
リビングで本を読んでいた俺が扉の音がした方へソファー越しに顔を向けると、酷く疲れきった様子の椿が小さな声で「ただいまッス」と呟いた。
とぼとぼと力なくやって来た椿は俺の正面に立つと不安そうな表情を浮かべる。
どうした、と言葉短めに問うと、その小さな口は暫く間を置いて力なく言葉を紡いだ。

「…や、やっぱり何でも無いッス、すいません」

何でも無くないだろう。
そう咄嗟に出かけた言葉は口を滑り出る前に飲み込んだ。
今までこうして必要以上に新人に干渉し過ぎたから彼らは辞めてしまったんだと思い出し、俺は沈黙を続けたまま椿の揺れる目をじっと覗き込んだ。

「あの、俺、…怖いッス」

「怖い?」

「あ、いや!たぶん遅くまで会社いたからかも、オバケとか苦手で、もう大丈夫ッス!すいません、俺何言ってんだろ、風呂行ってきます」

バタバタと寝室へと駆け込んだ椿は、3分足らずでジャージへと着替え風呂道具を持って部屋を出て行ってしまった。
慌ただしく椿が去って行った部屋の扉を眺めたまま、ふと先程の台詞を思い出す。

(怖い、か)

あいつが何を見たのか、何を体験したのか、何を感じたのかは全く想像も付かないけれど、その目は酷く動揺して見えた。

(俺は何処まで踏み込んでいいんだ?)

悩める新入社員を助けたいという気持ちと、その助けがまた反ってストレスになってしまうんじゃないかという不安。

(主任なんて、本当みかけ倒しだな)

己に対する情けなさと苛立ちを含んだ渇いた笑いが何処からともなく込み上げる。
何が怖いんだ?
夜の会社で何があったんだ?
椿にかける筈だった言葉達は行き場を無くし、俺しかいない静かなリビングに溶けて消えた。

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