047.some time/タツバキ
オフの日の夕方、いつものようにグラウンドに出てくると未だアカデミーの子供たちが数人だけ残ってボールを蹴っていた。
折角出てきたから練習したいけれど子供達の前じゃ何となく恥ずかしいしどうしようかと暫く悩んだ末に、俺はクラブハウスの屋上へと登ってみることにする。
あそこだと子供達に気付かれること無くグラウンドの様子を伺うことが出来るし、彼らが帰った後にこっそり戻ってサッカーをしよう、そう考えたからだ。
そうして俺は小脇にボールを抱えてクラブハウスの屋上へと向かう。
冬の夕方は北風が益々冷たいだろうけれど、少しの辛抱だと、足軽に階段を登って行った。
「椿…?どーしたよ」
屋上への扉を開けると、そこには作戦盤を片手に地べたに座り込んだ達海監督がいて、俺に気付いた監督は「お前今日休みだろ」と言いながら小さな欠伸を溢した。
「自主トレしたかったんスけど…」
言葉を濁し視線をグラウンドに向けた俺を見て監督は俺が言いたい事を理解したのだろうか、「あと10分もすれば帰るだろ」と言って同じくグラウンドに目を向ける。
ワイワイと楽しそうに声を上げてボールを蹴る子供たち。
北風が冷たくなったからか、子供たちの首には先程見た時は無かったETUのマフラーが皆同じように巻かれていた。
「そういや杉江が子供連れて来てたな、さっき」
「え、そうなんスか!?」
まだ5歳だってのに、いっちょ前に杉江のレプリカ着てボール追っかけてたよ。
グラウンドを駆け回る子供たちを眺めながら不意に呟いた監督の横顔は優しさに満ち溢れていて、思わずドキリと心臓が脈打った。
それが単なるトキメキなんかじゃなくて、監督が何を考えているのかが何となく読めてしまった、ちょっとした寂しさから来るものだということをつい最近自分の事ながらやっと理解することが出来た。
きっと監督がぼんやりと見つめる先には帰り支度を始めた子供たちじゃなくて、もっと先の、そう遠くない未来があるんだろう。
「お前にも、いつか自分のユニフォームをガキに着せる日が来るんだろうな」
そう言ってヘラリと微笑んだ監督の表情を見れば、明らかだった。
「俺は、いいッス」
「…なんで?」
「サッカーが一番だからッス、今もこれからも」
「…ふーん」
人気の無くなったグラウンドを真っ直ぐに見つめたまま俺がそう言いきると、監督はほんの少しだけ笑った様な気がした。
少し、嬉しかった。
「そんなこと言ってっと、俺みたいに三十路んなっても独身だぞ?」
「いいッス」
監督とサッカーが出来るこのままが一番幸せッス。
言葉を紡いだ瞬間、監督がハハハッとやけに明るい笑い声を溢した。
一瞬驚いたけれど、俺もつられて微笑んだ。
冷たい空気に監督と俺の声が響き渡り、そして暫くすると再び静寂が訪れる。
辺りはすっかり影を無くし、薄紫の空にはいつの間にか月が姿を現していた。
「今が一番幸せだと感じる俺は、まだまだかな」
「…え?」
ぐーっと背伸びをした監督は俺の方を向くとぐしゃぐしゃと頭を撫でて、そして微笑んだ。
その表情はグラウンドでサッカーをしていた少年たちを見る目と同じ、優しさに溢れたものだった。
「俺には“いつか”なんていらないッス、今が一番良ければそれでいいッス」
俺の未来なんてたかが知れているんだ、いつかどうなるんて期待しちゃいないし、そんな現実離れした夢を追いかける程子供でもない。
今、輝いているのならそれでいい。
監督とサッカーをしている今が一番幸せだから、俺の“いつか”なんて永遠に来なくていい、そう思った。
end.
椿の幸せな未来を願う達海と、達海との今が一番大切な椿。
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