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知らなくていい感情





「…疲れた」


夜の繁華街に漏れ出したその声は、他の誰かに拾われることなく夜の闇へと消え去った。合間にもらった休憩に少し外の空気を吸いに来ていた。煙草や独特の草の匂いはあまり好きじゃあないので、たまにこうやって抜け出して外の空気を身体に取り込む。職業柄、いつも相手にする客はそんな人達ばかりだから、正直頬をつり上げ笑みを浮かべることにも限度がある。もうムリ、そう思ったらいつもこうして抜け出してくるのがいつもの日課だった。


「指名、入りましたよ。なまえさん」
「あら、良く此処が分かったわね」
「良くって…いつも居るじゃあないですか。僕をからかわないでくださいよ」
「それより、本名で呼ぶの止めてくれる?」
「あぁ、すみません。いつもの癖で」


こんな世界でも少しだけ、心を許せる人物がいた。そんなに仲が良いわけじゃあないけれど、店のボーイとは冗談も言える仲でもあった。息苦しいこの世界では、こういった時間さえもとても貴重なもののように感じてしまう。

ポーチから口紅を取り出して、ハンドミラーで確認しつつ弧を描く。今日の紅の色は赤だ。少しだけ気持ちを高まらせたい時はいつも決まって赤を使う。唇を閉じて色を馴染ませてから、ネオンの輝く店内へと足を進めた。案内されたその場所は普通の客室ではなくV.I.P.席だった。新規のお客さんはどうやら相当名の知れた方なのか、それとも私達と同じように裏の世界で生き続ける少し汚れた人達だろうか。


「お待たせしました」


自分の源氏名を名乗り、空いていた席へと腰掛ける。団体で来ているためか、女の子の数もお客様に合わせた配分となっていった。指名してくれた彼を見つめれば、照れくさそうに笑っていた。


「俺こういうところあまり来慣れてなくて…」


そんな彼の言葉に私の口元も自然と緩む。馬鹿にしているわけじゃあないけれど、こんな純粋な人を見たもの久しぶりだと思ったからだ。


「可愛い方ね。お名前は?」
「ペッシって言います」
「…あら?お酒は飲まないの?」
「お酒苦手で…」
「ここでミルクを飲んでる人を初めて見たわ。面白いのね、貴方」
「いつも兄貴にマンモーニだって怒られますけどね」
「兄貴?」
「あ…兄貴はあそこに座ってるスーツを着こなしてるブロンドの人です」
「凄い人気ね。指名関係なく五人も女の子がついてるじゃあないの」
「兄貴はカッコいいから良くモテます、何処へ行っても……」
「成る程。ペッシくんは兄貴さんみたいになりたいのね?」
「ハイ!兄貴はオイラの憧れで、」


比較的テンポ良く、指名をくれたお客さんと会話を弾ませた。お酒が苦手だと言う彼に合わせて私もお酒は飲まなかった。そんな私に気遣って謝る彼を見れば、ますます興味が湧いてしまう。


「ペッシくんのご職業は?」
「あ、オイラ達は…その、」


それ以上は聞かなかった。鋭く突き刺さる視線を何処からか感じたからだ。あぁ、こんな純粋な人でさえ、黒く染まってしまっているのか。そう思うと少しだけ心がぎゅっと痛んだ気がした。

日付が変わる数分前にチェックアウトのコールがかかる。見送りのためにと共に席を立ち出入り口へと歩いていく。

もうすぐで0時か。そんなことを思いながら、ふと視線を前に向けた。


「あっ…」


驚きのあまり、思わず声が漏れてしまう。
あの日感じた冷たさを思い出しては心地良く感じてしまう。私のお客さんと同じ団体だとすれば、彼もやはり裏の世界で生きる人間のようだ。

暗闇でも美しく思える鮮やかな水色が、少し離れたこの場所からでもとても美しく輝いて見えた。


「ありがとうございました」


口々に告げる女の子達の声に合わせて私も喉を震わせた。ありがとうとお礼を告げてくれるペッシくんを見つめては、遠くの彼を瞳に映す。スタイルの良いシルエットは私の鼓動を加速させる。先日出会った時よりもずっと、かっこ良く感じてしまうのは何故だろうか。そんな感情を抱いたと同時に直ぐ様その感情を胸の奥底へとねじ伏せた。

こんな感情この世界では必要のないものだから。

自分自身に言い聞かせては、彼の姿が見えなくなるまで、私の瞳は彼の姿を捉えていた。