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記憶に残るもの



目が覚めたら私は白いシーツの上にいた。独特な香りが鼻をかすめ、此処は病院なんだと教えてくれた。

お母さんとお父さんが毎日お見舞いに来てくれて、夕方になると友達が数人、お見舞いに来てくれる。お医者さんから告げられたけど、どうやら私は個性事故に合ってしまったようだ。その時の事はあまり覚えていないのだが、どうやら脳内の記憶の一部が一時的に消えるというものらしい。
私自身、どの記憶が消えているのかすら分からないくらい、ほとんどのことは覚えている。
自分の名前や、自分の家族、友達や学校の先生までも。何一つ不自由に思ったことはない。

強いて言えば、一つだけ気がかりな事がある。午後六時三十分。この時間になると毎日机の上に花が添えられていた。私の大好きなピンクのガーベラだ。いつも花が添えられているだけで、その人物と顔を合わせる事は一度もなかった。

そして今は午後六時二十五分。今日こそは、謎の人物をつきとめようと待ち構えていた。私が花が好きだなんて、友達にもまだ話した事はない。知っているのは両親くらいだ。だけど両親ならば、来た際には必ず顔を出してくれるはず。だからこそ、その人物が誰なのか知りたくて、心が弾んだ。

─ガチャ

自室の扉が開いた。時刻は午後六時三十分だ。
机に添えられたピンクのガーベラを見つめては、ベッドから身体を起こして声をあらげた。

「待って!!!」

カーテン越しに、立ち去ろうとしていた人物の人影がこちらを振り向いた。だが、再び立ち去ろうとしたため、思わずその人物の腕をつかんだ。

「待って!貴方はっ、」

ほんの数秒の出来事だった。カーテンの隙間から見えた、鮮やかなルビーと目が合えば、心が強く飛び跳ねた。色彩の美しい赤色に、吸い込まれていくような、そんな感覚に陥った。
どうしてだろう。私はこの赤を、随分前から知っているような気がする。

「…寝てろや、病人」

心に響く、そんな心地よい低音が、私の身体を熱くさせた。ハスキーな掠れた声が、私の耳を犯していく。懐かしいような、嬉しいような、私はこの声が大好きだった。

「待って…貴方、名前は?」

「あ?誰が名乗るかよ。つかはよ寝ろや。悪化すんだろ」

「駄目!」

「は?」

「駄目な気がするの…。今ここで貴方を手放したら…一生後悔する気がする」

「…誰もお前なんかを手放したりしてねぇよ」

「え?」

「手放したりしてねぇから、早く思い出せよ…クソモブ」

「…」

クソモブ。どういう意味なのか分からないが、この言葉を聞いた事がある。しかも良く聞く言葉だった気がする。そう、私は誰かに、そう呼ばれていたような気がするんだ。

「貴方は、」

「まだなんかあんのか」

「貴方は…私にとって、何なの?」

「は?」

「知り合い…程度じゃない気がする。私、貴方の事を知ってる気がするの。友達とかじゃなくて、もっと、こう…何て言えばいいんだろ。よく分からないけど、そんな感じ…」

「どんな感じだよ。分かるかボケ」

「そ、そう!その感じ!なんか、よくどやされてたような…そんな気がする…」

「どやしてねぇわ。馬鹿かテメェは」

「馬鹿!?いや、馬鹿じゃないと思うんだけど…とりあえず、名前教えてよ」

「は?誰が教えるか」

「えええ!?冷たすぎない!?こう見えて、私一応記憶喪失で…」

「…勝手に、」

「え?」

「勝手に、忘れてんじゃねぇわ。さっさと思い出せよ。クソ名前」

「クソ…名前…」

最悪なキーワードに、何故か頭が揺すぶられた。そしてそれと同時に、ある一つの言葉がポツリと浮かんだのだ。

「勝、己…」

その言葉を口にすれば、目の前のルビーの赤が濃くなった。

「勝己…」

もう一度その名前を囁けば、忘れかけていた温もりが、私の身体を優しく包み込んだ。

あぁ。忘れてた。この温もりを、私はちゃんと覚えている。鼻をすするその音は、彼の想いの欠片なのだろうか。やっと思い出せた。貴方の事を。心が和らぎ幸せに満たされた。

「ごめんね、勝己。今思い出した」

「…遅ェわクソボケ」

再び聞こえたその声に、喉を震わせ言葉を預けた。久しく忘れかけていた感情を、彼の耳へと囁けば、懐かしい舌打ちの音が二人の合間にこだました。


─あとがき────────────

いつか長編として執筆したいと思えるほどの魅力的な設定でした。もっと内容を濃くして、連載してみたい…そう思えるほどの素敵な内容に、とても心が弾んだ私です。素敵なリクエストありがとうございました!