好きだと言えたら
「…」「…」
ついに訪れた、この瞬間。
逃してたまるか、そう思いながら、先程から何度も拳を握りしめていた。
補習が終わり名前と合流して、共に歩む帰り道。何度も通ったこの道を、二人で通ることがこれで最後になると思えば、少しばかり寂しく思えた。
俺の隣で歩く名前も、名前の隣を歩く俺も、しばらく言葉を話さなかった。
静かなこの空間がやけに心地よくて、思わず安堵のため息が漏れる。
これから自分が口にする言葉の、心の準備をするためには丁度良い時間だった。
バクバクと加速する鼓動を感じて改めて思った。好きな女に好きだと伝えるだけで、こうも心が乱れてしまうものなのか。夕陽がなければ俺の顔は、見違える程に真っ赤になっているだろう。正面から差し込む夕陽に感謝しながらも、意を決して名前の名前を読んだ。
「名前、」
「何?鋭ちゃん」
「好きだ、お前のこと。何年も前からずっと、お前のことが好きだった」
何の気なしに、思わず口から漏れた言葉に、俺自身も動揺した。初めてちゃんと告げた本心に、後になって恥ずかしく思う。
目を細めて隣の名前を見つめれば、爆豪みてぇに眉間にシワを寄せて、ぽかんと口を開けていた。
「え、…」
「ど、どうしたんだよ…」
「え、ちょ…ちょっと待って。鋭ちゃんって好きな女の子がいるんじゃなかったっけ?」
「…はぁ?どういう意味だよ、」
「いやぁ…盗み聞くつもりはなかったんだけど…、以前爆豪くんと渡り廊下で話してる時、偶然鉢合わせてしまって、思わず聞いちゃったの…」
「爆豪と…ってこないだのやつか?」
「多分…その時、爆豪くんが鋭ちゃんに、アイツのことが好きなのかって聞いてて…って、もしかして、その、アイツって、」
「…お前なぁ、盗み聞きとか趣味悪いぞ」
「だ、だって…気になったから、」
「な、何度も言わねぇからな。アイツってのは、その…俺の目の前にいる、名前のことだ、」
「私……」
顔が熱い。沈みかける夕陽を見つめ、身体の熱を少し鬱陶しく感じた。瞳に映る夕陽が、見るんじゃねぇって俺を更に照りつける。先程から自分が告げた言葉達とは裏腹に、俺は名前を直視することができなかった。目を逸らして空を見つめるだけで精一杯だった。名前がどんな表情をしているのか、気にならない訳ではない。寧ろ、気になってたまらない。だけど見るのが怖かった。困らしてんじゃねぇか、悲しませてんじゃねぇか、泣かしてんじゃねぇか。そんな感情に苛まれる。
耳に届く鼻をすする音にギョッとしながら名前を見つめた。
名前が泣いている。
一番見たくなかった光景に、声が震えた。
「…な、泣くほど…辛かったか、…すまねぇ。ずっと隠してるつもりだったけど、我慢、できなくて…」
「ちがっ…うの、」
「…何が違うんだよ、」
「辛くて、泣いているんじゃ、ない…」
「……それって、どういう、」
名前の言葉に頭が混乱する。理解できねぇ言葉に動揺していたら、か弱い温もりが精一杯の力で俺を優しく包み込んだ。
鼻をかすめる優しい香りに、胸が熱くなって、何故か俺まで泣きそうになる。
「…おい、何して、」
「私、爆豪くんが好きだった…。だけど、見えてなかっただけ。本当に心から大切に思って、好きだと思える人がずっと昔から側にいたのに…全然気づかなくて、その人のこと沢山傷つけてきた、…許してもらえるか分からない…こんなことを言う価値すらないかもしれない…だけど私は…ずっと、鋭ちゃんのことが、」
『好き』その二文字が、名前の声で、俺に告げた。待ち望んでいたその二文字を、夢じゃねぇのか疑ってしまう。だけど、肌で感じる温もりも、耳に届く泣き声も、全て名前本人のもので、夢じゃねぇと教えてくれた。
好きだと想いを伝えることができた。ただそれだけで、良かったのに。
聞くはずのないその二文字に、思わず瞳からは、長年の想いがこぼれ落ちた。
ずっと言えなかったこの想い。
やっと言えたこの想い。
胸の中で消えずに何年も居座っていた黒い靄は、涙と共に消え去っていた。
「鋭ちゃんも、泣いてるの?」
「…うるせぇ。泣いてねぇ…こっち見んな、」
「やだ。鋭ちゃん、顔見せて」
「ばっ、んだよ。そんなに俺の泣き顔みたいのか」
「…初めて見た、鋭ちゃんが泣いてるところ。どうしよう、私も涙が止まらない、…」
「な、泣き止めよいい加減…二人して泣いてんと、変に思われるだろ…」
「そうだけど、嬉しくて涙が止まらないよ…」
「泣き虫だな、昔から」
「そう言う鋭ちゃんだって、」
瞳に映る名前が、目を細めて微笑んだ。その笑顔を見ればつられて俺も頬が緩む。久しぶりに心から名前と共に笑えた気がする。
茜さす夕陽が俺達二人を優しく照らしていた。涙が滲むその瞳へ、優しく丁寧に口づける。驚く名前を気にも止めず、頬を伝う涙にもキスを落とした。嬉しそうに微笑む名前が、愛おしくてたまらない。
「…鋭ちゃん、改めて、これからもよろしくね」
「…あぁ。よろしくな」
互いの手を強く握った。引き合うばかりだった互いの手を、ようやく繋ぎ合うことができた。
一生離さねぇ。そう強く願いを込めて、名前の右手に指を絡めた。
夕陽が沈むと共に、俺の片思いは幕を閉じた。
好きだと言えたらこんなにも、世界が違って見えるのか。自分の想像していた未来よりも現実は、色鮮やかで輝いていた。募る想いをもう一度、彼女へそっと囁けば、はにかむ笑顔が俺の心を、優しく包み込んでくれた。
好きだと言えたら。言葉にできない幸せに、心が、身体が、満たされた。
*Fin