初めは見ているだけでよかったんだ、本当だよ。同じ船にいるっていうだけで、嬉しくて、じわじわと幸福に包まれていくような心地だったんだ。
けれどあたしはそれだけでは物足りず、目だけじゃなくって口や耳や手をつかって、彼を心に取り込んでいったんだ。
彼もまた、同じようなもんだって、言っていたよ。

エースと親父が死んでから、この船は奇妙なほど静かだ。
甲板には、酒をあおりながらぼうっとしている仲間が点在している。誰も一言も発することはない。
ねえ、どうしたの。いつもの調子は何処へいってしまったのさ、と聞いても、無駄なのだ。奴らは今にも泣き出しそうな顔をして、「なまえは、元気だなあ」と呟くだけなのだ。
そんな言葉、あたしの心には響かないよ。


船室の奥の奥、今まで誰も入ろうとしなかったエースの部屋、に、今立っている。
薄くほこりの積もった机の端には、たくさんの傷跡が付けられてある。

ひとつ、ふたつ、みっつ、そういえば彼は、あの彫刻刀でたまに、机をいじくってはいなかっただろうか。

よっつ、いつつ、むっつ目で、数えるのを止めた。数えられなくなってしまった。


あたしはこの時、初めて気づいたのだ。あたしは、とてもとても、いちばん、大切にしていた人をなくしてしまった、ということを。
エースのほった傷は、彼の生きた証、それはそのままあたしとの時間でもあって。
エースがこれをどんな思いで掘っていたのかは知らない。けれど思いを形にして、こうしてあたしに届ける術を彼は知っていた。


伝えられなかったI LOVE YOUは、何処へ消えていくのだろうか。
この涙にすべてとけ込んで、それが彼に届けばいいのだけれど。


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失恋


10/1011

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テーマ「人外ファンタジー」
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