「ここにいろ」
その言葉がどれだけ心にしみいったか、あなたには到底わからないでしょうね。
私だって想像してなかった。まさかこんなに、ぞっとするような安心なんて。
「いやよ」
なまえはいつも、何かに脅えているようであった。
いつも瞳を揺らして、愉快そうにカラカラ笑うと思えば途端うつむいてしまう。
何かを言おうと口を開いては、知られまいと口を閉ざす。
「……今までは見過ごしてきたのだが、もうそうもいくまい」
「、なんの話?」
黄金に輝く鷹の目にこんなに脅えたことはない。
おおよそこの男に似つかわしくない輝きを宿している。
いつもは物憂げに、退屈そうに寄せられた眉間も、今はまた違う。
……怒って、いるのか。
「もう一度言う。ここにいろ」
瞳が、恐怖の色から拒否に変わる。それもとりつく島のないような。
と、口だけにようやく笑みを浮かべ、自虐的な言葉を吐く。
「なんども言わせないでよ」
そして、拒否は悲哀に変わる。
窮鼠猫を噛む、わたしは一瞬の隙をつきその場から逃げ出した。
……もちろん、噛むことなんて出来やしない。彼には到底叶わない。
それが分かっていて、私は走る。走って走って走って、やりすごす。
後ろは向けない。余裕がないのではない、絶望の恐怖をまだ思い知りたくないから。
港から大分離れた、その事実は分かるがここがどこだか私は知らない。
彼の船に居候して、1年。そろそろ潮時、と感じかけた頃に彼の台詞は優しすぎた。
彼の性格はよく知っている。面倒ごとが嫌いで、退屈しのぎに気まぐれな事をする。
気まぐれの対象にはなりたくなかった。そんな惨めな結末をまだ自分を保つ、ほんの少しのプライドが許すはずがない。
一切を見捨てるほど、わたしは愚かでも、勇敢でもなかった。
港から大分離れた小汚い路地裏に、なまえは蹲っていた。
西向きに延びるこの路地に、夕焼けが一筋差している。
嗚咽を漏らし、顔を醜く歪め、鼻も垂らし、泣いていた。
夕焼けの演出はあるにせよ、それすら、愛しいと思える。
ならば、
「なにも恐れることはない」
彼の、ミホークの暖かさが夕焼けと共に伝わる。
低く、重厚な声がわたしの耳を振るわせた時には、もう逃れられない状態にいた。
彼は、すべて知っていた。
「なにも考えずに、ここにいろ」
だから、涙に唇を這わすミホークの途方もない優しさを、
「………うん」
どうしても信じてしまって、
わたしは自分自身を、見捨ててしまった。
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共有結合
09/1008
共有結合を知ってぞっとした高1春のカチ子 笑い