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人を好きになる切っ掛けなんて、きっとみんな大したものじゃない。
だから、僕があの人を好きになった理由もほんの些細なことでしかった。
特に会話をしたこともなければ、クラスも委員会も接点なんてない先輩。
ただ最近になってその姿を図書室で頻繁に見掛けるようになっただけ。
そして、ある日偶然目にした、緊張気味に、けれど嬉しそうにはにかんだ顔。
学園きっての武闘派で、潮江先輩とは犬猿の仲である先輩の、まるで恋する乙女のような表情を見てから、僕はその姿を必死に目で追うようになっていた。
図書室にバタバタと忍らしくない足音が近づいてくる。
自身の委員会も忙しいだろうに今日も来られたのかと思えば、いじらしく可愛らしい人だと自然と口元が笑みを形作る。
日常となりつつあるそれを中在家先輩は気にした素振りもなく、ただ黙々と貸し出しカードの点検を行うだけ。
足音は部屋の前で止まって、静かに扉が開かれる。
「長次いるか?」
「……」
「悪い悪い、煩かったか。あ、ちゃんと手は洗ってきたからな」
「……今日は…何だ…」
「ん?ああ、長次。今日も長次のオススメの本教えてくれよ。この間お前に教えてもらったのも面白くてさ、……」
ああ、食満先輩は本当に中在家先輩のこと、好きなんだなぁ。
本棚を整理していれば聞こえてくる会話にチクリと痛む心臓、小さな痛みには気付かないフリ、だって僕は先輩が幸せだったら満足なんだから。
「おい、不破。さっきから手が止まっているようだが、どうかしたか?」
「えっ、いや、えーと…すみません、何でも、ないです」
「…ふーん?あ、それでな、聞いてくれ長次、」
食満先輩は僕のことなんて見ていないと思っていたから、急に話しかけられて驚いた。
すぐに視線は外されてしまったけれど、単純に嬉しかった。
「へえ、こんな本もあったのか…。さすが長次、また次も頼むなっ!」
「………、」
「あ、悪ぃ、縄標は勘弁!じゃあな!」
今度は勢いよく扉が閉められて、バタバタと遠ざかっていく足音。
ちらりと見えた本は僕の記憶が間違っていなければ甘酸っぱい恋愛もので、それが先輩にあまりにも似合わなくて、けれど同時に似合いすぎてもいて、クスリと笑ってしまう。
次に会えるのは二日後か、それとも三日後か、なんにせよ今からこんなにも待ち遠しいだなんて、僕も大概色に溺れてしまっている。
「………不破、何故…泣きそうな顔をしている…」
「…え?…気のせいですよ。じゃあ僕は棚の整理終わらせちゃいますね」
「………お前は、…」
先輩がまだ話している途中だったけれど、失礼と思いつつも僕は聞こえなかったフリをして背中を向けた。
せめてもの救いは、中在家先輩が明らかに不審な僕をそれ以上追及してこなかったことだろう。
この恋は叶わないと初めから知っている。
だって僕は、中在家先輩を好きな食満先輩を好きになってしまったのだから。
その姿を見ているだけでよかった、幸せそうに笑っていてくれれば僕も幸せなんだと思っていた。
そう、思っていたのに。
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