書きかけの設計図をぐしゃりと握る。昨日からこの繰り返しだ。既に床は黒く汚れた紙に埋もれている。小さく舌打ちをしてペンを離せば机の上をペンが転がった。


「調子が悪い」


誰に言うわけでもなく呟く。つまらない言い訳でもなんでもなく、ただ思った事を口にしただけだ。


「…少し休む事にしよう」


カタン、と音を立てて椅子から立ち上がる。紅茶でも飲んで頭を休ませてやれば少しは調子も戻るだろうといつも傍に控えている執事の名を呼ぼうとしたが、その前に窓の外に目が止まった。


「あれは…」


屋敷を出て行く男に見覚えがある。深い茶のコートと同色のシルクハット。昨日私をつけていた男の後ろ姿。




(確か名前は…エルシャール・レイトン)




昨日まで名前すら聞いた事のなかった男だ。屋敷で私を見つけるなり抱きついてきた不躾な男。その手を振り払い私の研究や技術を盗むつもりだったのかと問いただしてやれば肩を震わせ信じられないと言う目で此方を見てきた。


『デ、スコー…ル?』


震えた声で私の名を呼んだ男に見覚えは無かったし、顔を見た事もなかった。だから私の研究と技術を狙う裏の人間だと判断し喉元に切っ先を突きつけた。瞳に絶望の色を滲ませ男は言った。


『ッ…デスコール、私だよ、エルシャール・レイトンだ』


エルシャール・レイトン

記憶の中からその名前を探してみるがそんな名前は一度も聞いた事がなかった。その事実を確認し男に告げてやれば暗く澱む瞳。生きる事を放棄したように意識を失いかけた男を葬る為サーベルを振り上げた。


『…ッ、…!?』


次の瞬間私が感じたのは肉に切っ先が埋め込まれる感触ではなく思考を焼き切ってしまうような激しい頭痛。


『ぁ、ぐ…あああああッ!!!』


落下したサーベルが耳障りな高い金属音を立てた。思考がショートする。頭が割れるように痛い。


『っは!はぁ、はっ…!!』


ちかちかと視界が点滅する。目眩に似た症状を残し激しい頭痛は嘘のように治まったがもう一度男に死を突きつける気力も体力も残っていなかった。


『、レイモンド』

『はい。旦那様』


変わりに執事を呼び男の処理を任せた。殺すにしろ生かすにしろもうその男が私の目的の邪魔をする危険は無いと判断したから。




「ああ、結局生かしたのか」


昔から私に仕える彼の判断に間違いがあった事はない。彼が生かしたと言うのならその判断は正しいのだろう。

男が姿を消した庭から視線を外し執事を呼び、机から少し離れた場所にあるテーブルに移動し椅子に腰掛けた。


「お呼びでしょうか、旦那様」

「紅茶を」

「はい。只今」


カチャカチャと陶器の触れ合う音を耳にしながら窓に目をやる。視線はそのままに隣の執事に問いかけた。


「珍しいな。お前が生かして帰すとは」

「あの方は旦那様に危害を加えるような御方ではないと判断致しましたので」


こぽ、と優雅に紅茶を注ぐ彼は視線をティーポットに落としたまま答える。


「何か気になる事でも?」

「いや…何でもないさ」


音もなく差し出された紅茶を口へと運ぶ。口にした事のない味だったが何故か懐かしい香りのするそれに疑問を覚える。


「…これは、」

「新しく仕入れた物を淹れてみましたが…お気に召したのならまた仕入れておくことに致しましょう」

「ああ、そうしてくれ」


そう言ってもう一度紅茶をゆるりとした動作で口に運ぶ。奥深く渋みの少ない味と共に、胸の奥でずくんと何かが震えた気がした。






懐かしい香り
(何処かで一度嗅いだ気がする)


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