『エルシャール』

デスコール…?

『どうした?目が腫れている』

君が居なくなってしまう夢を見たんだ。

『夢?』

うん。君は私の事を忘れていて、私の前から居なくなってしまうんだ。

『…』

でも良かった。夢だったんだね…あれ?どこに行くんだいデスコール。

『…』

ねぇ、待ってよデスコール。今君に貰った紅茶を淹れるから。あぁそうだ。レミが焼いてくれたスコーンがあるからそれも一緒に用意するね。


『私は、






君なんて知らない』






「ッ!!…っは、は、はぁっ…!」


早鐘のように鳴り続ける胸を押さえ付けるようにシャツをくしゃりと握る。勢い良く上体を起こしたせいでずり落ちた布団に目をやれば隣に居た筈の彼は消えていた。


(夢、)


そうだ…これが現実なんだ。
彼が私を忘れてしまった世界が、現実。


(でも、それならどうして)


私は生きているんだろう。確かにあの時、彼は私に切っ先を突きつけた筈だ。意識を手放す寸前に彼が無表情にサーベルを振り上げるのを私は見た。


(それにここは…)


「おや、お目覚めでしたかレイトン様」

「!」


ガチャ、と静かに開いたドアに視線をやればそこには何度か顔を合わせた事のある彼の執事が居た。


「今紅茶を用意致しましょう」


彼はそう言うと既に運び込まれていたティーセットを取り出す。


「あ、あの…」

「何事も焦っていては解決するのが難しくなるものです」


さぁ、此方へどうぞと促され窓際のテーブルに腰を下ろすと彼は慣れた手付きで紅茶を淹れる。するすると喉の奥へ流れ込む紅茶は体と心を温めてくれた。


「あたたかい…」

「少しは落ち着かれましたかな?」

「ええ、ありがとうございます」


そういえば最近あまり紅茶を飲んでいなかったな、とぼんやり考える。緊張と不安が少しだけほぐれた私を確認したのだろう。

彼はゆっくりと話し始めた。


「あの日、私はいつものように予定通りの時刻に迎えの馬車を走らせていました。しかし、予定の時刻を過ぎても旦那様は指定の場所にいらっしゃらなかったのです。心配になった私はそのまま馬車を走らせ旦那様を探しました。するとすぐ近くで大きな音がしたのです」

「それは、」

「ええ。レイトン様の巻き込まれたあの事故の音でした。確認に向かえばそこには大破した車と運転手の遺体、そして…レイトン様を庇うように抱きかかえたまま倒れた旦那様がおりました。私はすぐに御二人の状態を確認し、命に別状はないものの重傷だったレイトン様を病院に送る為救急車を呼び、外傷はあまり見られませんでしたが意識を失っていた旦那様を馬車に乗せ屋敷へ向いました」

「そんな…それじゃああの時、デスコールは私を庇って事故に巻き込まれた…?」

「えぇ。その様でしたが幸い旦那様はすぐに目を覚ましました…しかし頭を強打したのか、断片的に記憶を失っていたのです」


(それで…私を、)


昨日の光景が蘇える。突きつけられた切っ先、無表情の…私を知らない彼。全ては彼が私を守る為に私の記憶を無くしたから。


「だから昨日は驚きました。屋敷の前にレイトン様が倒れていらっしゃったものですから」

「倒れていた…?」

「えぇ。なので体を冷やしてしまわぬよう私がこの部屋に運んだのでございます」

「そうだったのですか…」


理由は分からないが彼がサーベルを私に振り下ろす事はなかったらしい。お陰で私はこうして生きている。しかし執事さんが私をこの部屋まで運んだとするならば、かなりの労力が必要だっただろうと思い感謝の意を述べた。


「いえ、当然の事をしたまででございます。レイトン様は旦那様の大切な御方ですから」


そう言って労るような優しい表情を見せた彼は暫く窓の外を眺めると口を開いた。


「…しかし、今の旦那様はレイトン様を覚えていらっしゃらない。無闇に近付こうとすればレイトン様を深く傷つけてしまうかもしれません」


窓の外を見つめたまま悲しそうな目をした彼は言う。


『エルシャール・レイトン?ふん、聞いたことの無い名だ』


「……」

「私は旦那様の執事。旦那様の為ならどの様な事でもする。しかし…今の旦那様はいつもどこか悲しそうなのです」


す、と窓辺から離れた彼は一礼する。その表情はいつもの彼の表情に戻っていた。


「気分が良くなるまでここでお休みになってください。いつでもお帰りになられるよう北側の裏口を開けておきましょう」


そう言うと彼は流れるような動作でもう一度一礼をし部屋から出て行った。


(デスコール…)


まだ紅茶の残るティーカップを覗き込む。ゆらゆらと揺れる小さな水面に映る私は酷く情けない顔をしていた。



「私は…どうしたらいいんだい?」






わからないよ
(いつもの様に私に教えて)


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