ばちばちと激しい雨が窓を叩いている。もはや小さな滝の様に窓を伝う水滴のせいで外の景色が歪んで見えた。

雨の激しさとは正反対に部屋の中は静寂に包まれている。耳を澄ませば微かに雨音が聞こえるだけだ。今は静寂が耳に痛い。

緩やかに机の椅子に腰掛け小さく息を吐く。


(彼は雨が降る前に家に着いただろうか)


先程屋敷を出ていった友人は傘を持っていなかったから、もし家に着いていなかったらびしょ濡れの筈だ。


(傘を貸してやるべきだったか…)


背もたれに体重を預け天井を見上げそう考えていると、ふと先程見た彼の表情が目に浮かんだ。


(泣きそうだったな)


私が悪かったから行かないでくれと言った彼の声は酷く焦りを孕んでいて、そのまま部屋を出る予定だった私は思わず彼の元に歩いていた。

別に怒っている訳ではないし、気になる事があるのなら片付けてこいと。落ち着かせるようにそう言って部屋を出た。しかしそれは嘘で、他に理由があったのだ。


彼との時間は有意義だった。彼の淹れる紅茶はレイモンドの淹れる紅茶と同等かそれ以上のものだったし、彼の話はとても興味深く論理的だった。私はそんな彼との時間を、密かに楽しみにしていた。

しかし、その時間を重ねるごとになにか違和感を感じるようになった。注意していなければ気付かないような、ほんの些細な違和感。最初は気のせいだろうと思っていたそれは、一週間程前から確信的なものへと変わった。



彼は私を見ていない



正しく言えば、私の向こうのなにかを見ている。紅茶を飲んでいる時も、語らう時も、笑顔を見せる時さえ、その瞳に私は映ってはいない。映っているのに、映っていないのだ。

それに気が付いた時、胸の奥がずくりと疼いたが、それが痛みなのかなんなのかは理解できなかった。ただ彼が私越しになにかを見ている事に言い知れぬ不快感が沸き上がった。


今日だってそうだ。彼の瞳はやはり私を映してなどいなかった。目の前に居るのは私なのに、どこか遠くを見ているような。それに耐えられなくなって部屋を出たのだ。


「わけがわからない」


彼が私の向こうに何を見ているのか。私は何故こうも彼の事を気にしているのか。胸に沈むこの感情がなんなのか。全くもって検討がつかない。

まだ降り止まない雨を横目に見れば、雨足は激しさを増しているようだ。空が黒く澱んでいる。

椅子から立ち上がり窓辺へ足を進める。外側が雨に濡れた窓に手をつけば、外気と雨で冷えたのであろう硝子の無機質な冷たい感触が掌に広がった。


(…いたい)


またずくりと胸の奥が疼いた。胸に手を当てグレーのスーツをくしゃりと握る。ああそうか、これは痛みだ。何の痛みなのかは知らないしわからないが、いたい。侵食していくような、のしかかるような、重い痛みだ。


「レイトン……エルシャール」


意味も無しに彼の名前を呼んでみた。彼をファーストネームで呼んだ事は無かった筈だが、妙にしっくりときた。もしかしたら、昔はそう呼んでいたのかもしれない。スーツを握っていた手を下ろす。先程より幾分か痛みが引いたような気がする。


(一体私は何をどうしたいんだ)


慣れない痛みを持て余す事しかできない。ましてやそれが何からくる痛みなのかも分からないのだ。対処の仕様がない。

無意識に漏れた溜め息に窓硝子が白く染まる。

この痛みが何なのか、あの執事なら知っているだろうか。いや、聞いた所で知らないと答えるに決まっている。昔から奴はそういう男だ。仕事や身の回りのお節介は過ぎるくせに、こういう事には口を出さない。自分で考えるべきだと言うことだろう。考えて分からないから困っているというのに。

もう一度溜め息をつき、窓から手を離した。冷たく冷えた掌がじんじんと脈を打っているのを私はただ見つめていた。






答えを教えて
(この痛みの名前が知りたい)



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