とにかく彼に会おうと必死だった私は、何から話そうかなんて考えてもいなかった。目の前にあれだけ求めた彼が居るのに、何から話せばいいのか分からない。


(どうしよう…)


正直に私達は恋人だったと告げようか?いや、それは絶対に駄目だ。ほぼ初対面の人間に、しかも男にいきなり恋人だったと言われてはいそうですかと受け入れられるわけがない。また追い出されてしまうかもしれないし、下手したら二度と会ってくれなくなってしまうかもしれない。

それならまだ、全てを話す事は止めておこう。そう考えた私の口から出たのは、友人という当たり障りのない言葉だった。







私の言葉に意外にもあっさりと納得した彼に内心驚いた。てっきり私に友人などいないと拒否されるかもしれないと思っていたから。だけどそんな事はなく、彼は私に謝罪すると、美味しい紅茶を淹れてくれた。

それから週に三回、屋敷を訪れては彼と紅茶を楽しんでいる。私の事や、大学での事、遺跡の事やおすすめの紅茶店。たくさんの事を語らった。最初は私の話を聞くだけだった彼も、今は自分の事を話してくれる。まるで以前のように、二人で笑いあえるようになった。勿論、友人としてだけれど。それでも、その時間はとても幸せなものだった。


しかし人間というものは欲が尽きないのだ。今だって幸せな筈なのに、彼に今以上を求めてしまう。


「そうは思わないか?レイトン」

「ああ。そうだね」


その低く甘いテノールで、以前のようにエルシャールと呼んで愛を囁いてほしい。


「つまりは彼等がしてる事は彼等自身の存在意義を否定している事になるのだよ。全く…あれで科学者を名乗るなどと笑わせる」


するりとティーカップの持ち手に掛けられた長く綺麗な指で触れてほしい。


「まぁ、現実を突き付けてやったらすぐに消えてくれたが」


薄く弧を描くその唇でキスをしてほしい。


(ああ、駄目だ)


彼はここに居るのに、私を愛してくれた彼を求めてしまう。探してしまう。この前までは彼と以前のように話せる事が幸せで幸せで、このまま時間が止まってしまえばいいとさえ思っていたくせに、今はそれだけじゃ満足できないなんて、なんて強欲なのだろう。


「レイトン」

「ん?どうかしたかい?」


名前を呼ばれ思考を彼の話に戻せば、些か不機嫌な声で彼は言う。


「私の話を聞いていなかったな」

「そんな事はないよ。君が会った東洋の科学者の話だろう?」


別に話を全く聞いていなかったわけじゃなかったから、頭に残った情報を口に出せば彼は呆れたように溜め息を吐いた。


「それはさっきまでの話だろう」

「え?」

「今話していたのは紅茶店の事だ」


私の思考は彼の事で埋め尽くされていたようで、途中から目の前の彼の話を聞くことさえ放棄していたらしい。彼の機嫌をこれ以上損ねないようにごめんと謝れば、彼はもう一度溜め息を吐いて立ち上がった。


「デスコール?」

「部屋に戻る」


外していたマントを羽織りながらそう言った彼に心臓が揺れる。冷水を浴びせられたように体が冷えた。


「待ってくれ。君の話を聞いていなかったのは本当に悪かったよ、もうそんな事がないようにするからっ…だから…!」


立ち上がった拍子に足がテーブルに当たり、ガチャンと耳障りな音をたてる。静まり返った部屋と彼の背中に耐えられなくなり俯けば、紅茶の水面に私が映る。いつかのような情けない表情をしている自分に無性に悲しくなった。


「レイトン」


びく、と肩が揺れる。嫌われてしまったのだろうか。もう二度と一緒に紅茶を飲んではくれないのだろうか。そんな考えばかりがぐるぐると巡り、彼の方を向けずにいれば、すぐ近くから声が聞こえた。


「別に怒っているわけじゃない」


その言葉にゆっくりと顔を上げれば、彼が目の前に立っていた。


「一週間ほど前から君はそんな調子だ。勉強熱心な君の事だから、何か気になる遺跡やレポートがあるんじゃないのか?」

「え…?」


予想外の言葉に彼を見上げたまま動かない私に彼は続ける。


「上の空の君と話をしてもつまらないからな。全て終わらせてから来ればいい。急がずとも紅茶は逃げない」

「あ、えっと…」

「なんだ?」

「…いや、そうさせてもらうよ」

「そうか。じゃあ私は部屋に戻る。今日は雨が降ると言っていたから、君も早く帰った方がいい。」

「うん。じゃあ、また今度」

「ああ」



パタン、と閉まった扉を見つめたまま椅子に腰を下ろす。嫌われていなかった事実に安堵すると同時に、この幸せな時間を自分の手で壊してしまうような予感がして、きつく肩を抱きしめた。






終焉の予感
(彼がいる。彼はいない)



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