(どうしよう…)


泣いてる。先生が。


紅茶を買いに行ったまま帰ってこなかった先生を探して家に向かえば、扉の向こうから先生の泣く声が聞こえた。そんな現状に僕は何もできず扉の前に体育座り。情けない。大切な人が泣いているのに慰める勇気も無いだなんて、英国紳士失格だ。

帽子のつばをぎゅっと掴み俯く。この扉を開いて先生に泣かないでくださいって言えたらどんなに良いだろう。でもそれが出来ない僕はただ扉の向こうで涙を流す先生が泣き止むのを待っている。


(泣かないでください)


ただそう思う事しか出来ない自分が嫌になる。鍵も何も掛かっていない扉を開けて先生を慰める事さえ出来ない僕は臆病者だ。


(でももしそれができたとして、僕には先生を泣き止ませる事なんてできないんです)


だって先生が泣いてるのはきっとあいつのせいだから。先生が一番の笑顔を向ける、あいつのせいだから。

どうして先生が泣いているのか詳しい原因は分からないけどそれだけは分かる。

あいつのせいで、先生が泣いてる。


(僕なら泣かせたりしないのに)


カタン、と何かが落下した音に気付き顔を上げる。いつの間にか泣き声は聞こえなくなっていた。


「…先生?」


小さく呼んでみたけど返事はない。そっと立ち上がりドアノブに手をかける。


「先生」


もう一度呼んで部屋に足を踏み入れる。ずっと窓を開けっぱなしにしていたのか、部屋は冷たい空気に満たされていた。


「…」


ソファに腰掛けたままどこか遠くを見つめていた先生は動かない。涙はもうこぼれていなかったけど、その目には痛々しいほどの哀しみだけが映っていた。


「窓、開けっ放しだと風邪をひいちゃいますよ」


そんな先生を見ていられなくて、慰める言葉も見つからなくて、とりあえず冷たい風の舞い込む窓を閉めた。パタン、という音と共に部屋が沈黙に包まれる。


「……」

「……」

「……」

「……えっと…あの、」

「もし、」


何を言えばいいんだろうと頭を回転させてみたけど何も浮かばない。繕うように口から出た言葉は先生の声に吸い込まれた。


「もし私が君の事を忘れてしまったら、君はどうする?」


突然の問いかけに体が固まる。


(先生が、僕を忘れてしまったら?)


「名前も、顔も、姿も、声も。全て忘れられてしまったら、ルーク。君はどうする?」


淡々と、でも少し震えた声でそう聞いてきた先生に胸を締め付けられる。声が出ない。すると僕が答えないからか最初から答えを求めていなかったのか、先生は俯き小さく呟いた。


「私は、どうしたらいいのか分からないんだよ」


そう言いながら僅かに歪められた表情はとても苦しそうで、辛そうで。僕は何も言わず先生を抱きしめた。


「ルーク…?」

「僕は、先生に忘れられても、傍に居ます」

「、」

「悲しくてたまらないかもしれないけど、先生にまた名前を呼んでもらえるように何度でも話しかけます」

「…っ」

「先生がまた僕を…う、思い出してっく、れるように…ぼくは、何度だって、あきらめ、ません…っ!」


思うより先に言葉が口から溢れ出た。最後の方は涙と嗚咽でぐちゃぐちゃになってしまったけれど、これが僕の出した答えだ。先生の手が帽子越しに僕の頭を撫でる。


「ごめんねルーク。泣かないで」

「、せんせいだって、泣いてます」

「…うん。そうだったね」


そう言って苦笑した先生に安心する。相変わらず悲しそうな表情だったけれど、その目は哀しみ以外のものも映していた。


(あぁ、いつもの先生だ)


そう安堵してゆっくりと先生から離れれば触れていた場所がじんじんと熱を持っているように感じる。そのままぽすんと先生の隣に腰掛けた僕に先生は言った。


「私を探してくれたんだね」

「はい」

「ごめん、また心配をかけてしまったね」

「はい」


「でも、もう大丈夫だよ。ありがとうルーク。君のおかげで私はまた前を向いて歩いていける」


何かを決心したかのようにそう言って優しく微笑んだ先生はやっぱり僕の大好きな先生で。僕はまた溢れ出す涙を拭いもせずに先生に抱きついた。






哀しみの涙を拭って
(笑顔のあなたが好きだから)


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