声が出なかったわけじゃない。彼らに私の言葉が聞こえなかったんだ。人には私達の声は聞こえないから。
「失声症か?」
「詳しくは分かりかねますが…恐らくその類でしょう」
目の前で会話を続ける男達の会話に耳を傾ける。会話から推測すると私は実験のショックで声が出なくなったと思われているらしい。詳しく言えばそうでは無いのだけれど、訂正する術も無いし人の言葉が喋れない事に変わりはないのだからそういう事にしておいた。
「おい」
男の声に顔を上げる。ジャン・デスコールと名乗った仮面の男がこちらを向いていた。いつの間にか話は終わっていたらしい。彼は心底疲れたという顔をしながら何かを投げて寄越した。パスンと軽い音をたててシーツに沈んだそれに手を伸ばす。
(…箱?)
「しばらくこの屋敷で休むといい。何か用があればそれを押せ」
小さな箱型のそれを指差しそう言った彼はくるりと背中を向けると部屋から出て行った。先程まで彼と話していた彼の従者らしき老人もいつの間にか居なくなっていて、バタンと扉が閉まる音と共に部屋に静寂が広がった。
私はしばらく閉じた扉を見つめていたが、思い出したように手の中の箱に目をやった。
四角くて、黒くて、一つの面に丸型の出っ張りが付いている。
(これは…"キカイ"?)
以前人間界の書物で似たようなものを見た事がある。それに載っていた物はこれより幾分か大きくて無骨だったけど、確かにこれとよく似ていた。
(この出っ張りを押せば良いのだろうか…)
強く押さないように注意しながら出っ張りを指でなぞる。用があれば押せと言っていたけれど、これを押したら仮面の彼に連絡がいくのだろうか。
(…必要ない)
"キカイ"をコトンとベッドサイドのテーブルに置き、はぁ、と息を吐いた。シーツの上に投げ出された左手に目をやれば小さく震えていて、無意識に緊張していた事を物語っていた。
彼は私に危害を与えるつもりは無いと言ったが、その言葉が信用できるものかは分からない。
だって彼は、人間だ。
私を捕らえた彼らと同じ、人間。
研究所で受けた行いを思い出し、それを振り払うかのように目を閉じた。
(大丈夫、きっと帰れる…)
震える左手を押さえるように握り締め、故郷である美しき海に思いを馳せた。
疑心
(信じられないんだ、誰も)
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