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翌日、
デイダラさんの部屋の片づけをしていないからきっと煤だらけになっているだろうと予想して、
元・バイト先の制服を持参して事務所に向かった。
制服は何度も縫い直され、埃や油、血に汚れる為に黒を基調とされ、
汚れても目立たないように工夫されていた。
偶にはエプロンドレスも懐かしくて良いだろう、
格調高いメイドさんにも見えるから良しとして事務所の扉を叩いた。
珍しくも無く、鍵はかけられておらず、
声を掛けて中に入った。
「おはようございます」
そして言葉を失った。
ソファを動かしてまでスペースを取り、
昨日の飛段さんが黒い棒を胸に突き刺して倒れていた。
血の匂いもする。
荷物を近くに下ろし、扉を確実に閉め、施錠した。
鍵がかかった事をもう一度確認した。
電話の下に置いてある懐中電灯を取り、
灯りを自分の手の平に当て、光ることを確認した。
周囲に他におかしな事が無いか注意深く確認し、
倒れている飛段さんに近寄った。
床に奇妙な円と三角の模様があるが、踏まないように気をつけただけだった。
顔のすぐ傍に寄り、
その顔が昨日見た物と違うことに眉を顰めた。
顔は黒く塗られ、所々白く上塗りされている。
それが全身の肌に及んでいる。
有難い事に目は開かれている。
懐中電灯の灯りを点け、光を顔に向けた。
両眼に光を当て、次に左右に揺らした。
確認を済ませ、懐中電灯の光を消して優しく声を掛けた。
「おはようございます。上から失礼しますが、こちらでご就寝でしたか?」
「……」
それに沈黙を通している。
仕方なく、私は懐中電灯を電話の下に戻し、電話の受話器を取った。
慣れた手で電話の番号を回すふりをした。
ここで重要なのは、ふりだということ。
「もしもし、保安管理所でしょうか?」
電話の、受話器を置く場所にある通話終了のボタンを指が押した。
私の隣で慌てた様子の飛段さんが黒い顔をしていた。
「おはようございます。お加減如何ですか?」
「おはようございます、じゃねえ! ちょっとは驚けよ」
両手を上下させて飛段さんは驚くように訴えている。
しかし、私にとって飛段さんの第一印象は良くない。
少しくらい仕返しした所で罰は当たらない。
それでも、事務所のお客様だと自分に言い聞かせた。
「分かりました、驚きます。
きゃ〜、人が倒れてます〜! どうしましょう!」
私は受話器を置いて奥に駆けた。
明らかに言わされている、「きゃ〜」とか声色をわざと変えて甲高く言ってみた。
ともあれ怪我をしているのには違いないので、
病院に連れていくべきかどうかサソリさんとデイダラさんに相談しようと奥に向かった。
「てめ、そんなワザとっぽい声! 驚いてないだろ」
後ろから飛段さんが走って来る。
これだけ走りまわっているのだから怪我などしていないのかもしれない。
そう思って方向を変えて給湯室に入ると既に先客がいた。
デイダラさんだった。
「うん! オイラの勝ちだ。
角都の旦那、これでアイスはオイラの物だ! うん」
「デイダラ、それは違う。
俺が賭けたのはサソリがアイスを食べる量を減らすかどうかだ。
お前は食べるな」
飛弾さんの後ろから角都さんがデイダラさんに声を掛けた。
一体何を賭けたのか知らないが、
アイスの消費量が問題になったのは間違いない。
「しかし、この女は死体を見ても驚かんのか?」
上からしげしげと私を見下ろす角都さん。
困った。
きっと私は心底困ったような表情をしたのだろう、
黒塗りの顔で飛段さんが口角を下げた。
「死体なんて見たら驚いてその場で失神してしまいます。
でも、飛段さんは生きてらっしゃいましたから」
引きつった笑いを浮かべて私は必死に答えた。
「棒が胸に突き刺さってても死んでねェって?!
どういう考えしてる」
「だって、指が動いてました。
瞳孔も見ましたが、確かに生きてらしたので、多分手品なんだと思ってしまって」
よく、前のバイト先には車が突っ込んできた。
車は人が乗らなければ動かない。
数を踏めば誰だってある程度は慣れる。
人が動かなければ、その場で失神してもいい。
でも、まだ助かるなら、倒れている暇なんてない。
自分の精神に鞭打って無理矢理体を動かしていたらそうなった。
それを人は図太いと言う。
「手品だと? お前もやってみるか!」
飛段さんが胸に刺さっている棒を抜き去り、
私に向けた。
ここは、はっきりと宣言しておいた方が良い。
「結構です」
今にも暴れ出そうとしている飛弾さんを角都さんが抱え上げた。
手足をばたつかせ、まるで子供のような飛弾さんをデイダラさんが落ちつけた。
「で、賭けに負けたんだから。分かってるな、うん?」
角都さんの溜め息が続いた。
それほどアイス代を節約したかったのだろうか。
私だって節約できるならしたい。
でも、アイスがなければきっと昨日のように暴れ出したら止まらないだろう。
「分かった。アイス代全額削減は無しだ。
しかし、これからは節約をしろ。仕事をしろ」
「よっしゃぁ!」
ガッツポーズを決めるデイダラさんは何度も飛び跳ねた。
何故か一緒に飛段さんも一緒に飛び跳ねている。
いつの間にやら顔色も戻っている。
「それでも今の半分に減らせ。
デイダラ、お前が食べる必要はない。
サソリ、お前も食べ過ぎだ」
角都さんは私の背後を指した。
まさか、またサソリさんが気配も無く立っているのか。
振り返るがそこには誰もいない。
デイダラさんも私の後ろを見るが、誰もいない。
角都さんを振りかえると、その背後に人相の悪い人形がいた。
息を呑んだ。
「角都、黙れ。死にてぇのか」
角都さんと飛段さんがいるお蔭で正面から顔を見なかったから助かったが、
全身から嫌な汗が噴き出る。
最近はサソリさん本体の方ばかり見ていたので久し振りの人相の悪さが心臓に悪かった。
そして、その足元に黒い影が走った。
「できるもんなら…」
「ぎゃぁあー!!」
角都さんの言葉は私の叫びに掻き消された。
一斉に周囲の視線が集まる。
「鼠!!」
私が見つけた影は明らかに鼠の形をしていた。
鼠なんて、
鼠なんて、
「衛生上ありえません!!」
素早く、且つ正確に部屋の隅に置いてあるモップを手にし、
鼠を粘着シートの上に追い詰めた。
見事に捕まった鼠は逃げようと更に絡め取られた。
「流石、元・給仕。衛生面に関しては完璧だな」
我に返った私の背後で四人が揃って立っていた。
顔が赤くなった。
私は一体何をしていたんだろう、
いや、鼠を捕まえただけだ。
鼠なんて病原菌を持ちこむような生物をそのままに食品管理なんて、
いや、食品管理はもうそこまでしなくていいのに、
いいのに。
恥ずかしい所を見られた。
恥ずかしくて憤死しそうだ。
モップを片手にその場のへたり込みそうになった。
「よっし、その鼠はオイラが始末しといてやる。うん」
モップにしがみつく私を余所に、
デイダラさんが粘着シートごと鼠を連れて給湯室から出て行った。
「おいyou、その手に持ってる物でついでに馬鹿が書いた落書き消してこい」
デイダラさん位の優しさは求めない、
しかし、せめて時間を下さい。
私は黙って項垂れた。
「分かりました。消してきまーす」
溜め息一つ分の休憩をして、モップ片手に応接間に向かった。
今日の仕事は落書き消しから始まると思うと気が滅入った。
背後で喚き声が聞こえた。
「あ?! 馬鹿って誰だ、馬鹿って!」
あなたです。
多分、続く。
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