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「蠍のダンナ。やっぱり給仕じゃねえか、うん。誰が料理人だって?」
その視線は私の背後に向かっていた。
視線を辿ると背中を曲げた男性が直ぐ後ろに居た。
息が止まった。
「五月蠅い。下らねぇ事を間違えたぐらいでイチイチ自慢気に言うんじゃない」
低い声が顔の近くでした。
心臓が飛び跳ねたような気分がする。
胸に手を当てて、心音を抑えようと必死になればなるほど鼓動は高くなる。
「あのあのあのあの、いっ一応料理の一部もしていたので、料理人とも言えなくもないです」
焦っているのがモロ分かりな喋り方になる。
人相の悪い、声の低い男性の間近で喋るときっと皆こうなると信じ、心で訴えた。
居るなら先に言ってよ。
全然分からなかった。
今度は人相の悪い「蠍のダンナ」という男性が鼻先で笑った声がした。
鼻から下に黒い布を垂らしている上に、室内なのに笠を被っている。
これが低音の原因とも言えなくもないが、多分地声が低い。
「どっちも当たりだ」
「折角勝てたと思ったのに、うん」
それほど残念そうでもなく、デイダラさんは紙をひらつかせて椅子にもたれた。
それから、蠍のダンナさんはズルリズルリとデイダラさんの隣りまで移動して紙を覗きこんだ。
「ふん。トビの野郎の紹介か」
「んで、youあんたはいつから来れる? 暇なら明日からってのはどうだ、うん」
仕事の説明も何もかもをすっ飛ばしてデイダラさんは聞いてきた。
既に雇ってくれると決めているようだが、仕事の内容も殆ど聞かずに勤める気にはなれない。
「あの、私トビさんから仕事の内容はこちらで聞くようにと言われてきたのですが」
「うん? そうか、うん。仕事の説明がいるか、うん」
顎を触って少し考える様子。
「そうだなぁ、客と電話の応対をしてくれ、それと適当に飲むもん作って持ってきてくれ、他に頼んだ物を買ってきてもらったりだな。うん。そんなもんだろ、蠍のダンナ?」
のけ反って蠍のダンナさんに確認を取る。
「片付けもある。給料もここに書いてある額でいいだろ」
「事務仕事ですか? あの、時間の方は?」
「朝来て、早けりゃ夕方、遅けりゃ夜ってぐらいだな、うん」
かなり適当だ。
テキトウ過ぎてメモを取る気も起きない。
しかし、聞くだけでは簡単な雑用だけでこの給金は割に合わない筈だ。
貰う方としては嬉しい限りだが、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。
「顔と素性を知ってるからオイラからはその程度だ、うん。ダンナは何かあるか? うん」
ジロリと睨みつけられたような気がする。
目つきが悪いのは全くもって損だ。
見られただけなのに、心臓はバクバクしている。
「デイダラ、お前の話は大雑把過ぎる。お前、これから時間はあるな?」
バイトも昨日で終わってしまい、予定が完全に消失していた私は即答していた。
持ってきた手帳に細かな説明を書きとり、仕事の範囲と物の置き場を示され大まかな事は分かった。
意外に時間がかかってしまった。
「では明日の朝からバイトに入ります」
「頼んだぜ、うん」
「いや、待て」
説明が終わった後、帰ろうとした所で蠍さんに呼び止められた。
「デイダラの馬鹿が荒らした奥の片付けをしていけ」
示された扉の奥では煤けた天井と壁が広がっていた。
面接用にと多少めかした服は帰宅時に洗濯物に特急した。
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つづく、多分ね
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