いつもの光景(紫黒)
*1,000キリリク。
「黒ちーん」
間の抜けた声と共に、紫原が黒子の背中に覆い被さる。
後ろから見れば、きっと黒子の姿はすっぽりと隠されて見えないだろう。
「紫原くん。重いです」
自分に抱き付く腕をポンポンと叩きながら、黒子は紫原を軽く諫める。
昼休みに繰り広げられるその光景は帝光中ではごく日常的な一コマであり、二人と一緒に昼食を取るキセキ達は勿論の事、それを覗き見る他生徒達の癒しともなっていた。
さて、紫原といえばお菓子、お菓子といえば紫原というのは、もはや常識である。
今日も例に漏れず、黒子の正面に回された彼の手には、お菓子の袋がしっかりと握られている。
今彼が食べているのは、これまた定番のポテトチップスだ。
頭上から降ってくる軽快な音に、黒子は顔を上げる。
黒子を膝の上に抱え込んでいる今でも、紫原が食べる手を休める様子は全くない。
パリ、パリ。
小気味のいい音と微かに漂う香ばしさに誘われた黒子は、目の前を行き来していた紫原の袖をきゅっと握った。
紫原は手を止め、意識を黒子へと向ける。
「新発売のやつですか?見た事ないパッケージです」
黒子のその言葉を受け、紫原は頬を緩ませた。
我関せずな姿勢がデフォルトである黒子が、自分と自分が好きな物に関心を持ってくれた事が嬉しかったのだろう。
紫原は自分の口へと運ぼうとしていたポテトチップスを黒子の顔の前に突き付けた。
「そー。黒ちんも食べてみなよ。ありそうでなかった『フライドポテト味』」
「…それ、ただの塩味ですよね」
まぁ、いただきます。
ぱくり。
紫原から差し出されたポテトチップスを口に咥え、しゃくしゃくと噛み砕く。
唇に触れた塩がピリピリと刺激を与え、口内では適度な塩辛さとじゃがいものほのかな甘さが広がる。
「やっぱり、普通に塩味です」
一度に入りきらなかった1枚の残りを味わいながらの呟きに、紫原は「そうだよねー」と何処か満足げな相槌を打った。
1枚、また1枚と、紫原によって黒子の口に新しいポテトチップスが運ばれていく。
それはさながら親鳥と雛のようであり、傍らのキセキ達は手出しも口出しもせずにその様子を見守っていた。
しかし、少食な黒子が紫原のペースに合わせきれるわけもなく。
新しく差し出された1枚を手で受け取った黒子は、紫原の顔を見上げる形で振り向いた。
「ボクもうお腹いっぱいです。紫原くん、食べてください」
ここで、形勢逆転。
先程とは一転し、今度は黒子が親鳥、紫原が雛となった。
体格的には逆でも、黒子の指ごと食べてしまいそうなほど大きく口を開けて「黒ちん、もっとー」とねだる紫原の様子は、むしろ先程よりも雛らしい。
黒子の方も「気持ちのいい食べっぷりですね」と次々にその口へポテトチップスを放り込んでいく。
「紫原くん、今度は2枚、いってみますか」
「うん、いいよー」
ポテトチップスを2枚、紫原の唇に挟み込む。
そして出来上がったアヒルさんは、黒子の心臓をドストライクで射抜いたらしい。
自分でそう仕向けたにも関わらず、そのあまりの可愛らしさに口元を押さえて呻きつつ俯く黒子を、紫原は心配そうに除き込む。
すみません。大丈夫ですよ。
大声で叫びたくなるのを何とか抑えた黒子がそう顔を上げた瞬間、唇に感じたのは、先程味わったのと同じ塩気。
どうやら、距離感を誤ったらしい。
思ったよりも近くにあった紫原の顔で愛くるしい存在感を放つくちばしの先が、ちょん、と黒子の唇に触れていた。
想定外の出来事に黒子は一瞬固まり、突然思い出したかのようにかぁ、と頬を赤らめて再び俯く。
そんな黒子を抱えたまま、紫原は口にくわえたままだった2枚を頬張り、何食わぬ顔で飲み込んだ。
「ごちそうさまー」
紫原のこの妙な落ち着き様は何だ。
もしかして最初からこれを狙っていたのではないか。
そして「ごちそうさま」とは何に対しての言葉か。
いつも二人の様子をすぐ側で眺めていたキセキ達にも、それは知り得なかった。
その日の夜。
『妖精と天使の戯れを暖かく見守る会』による緊急会合の開催という事実は、マンモス校である帝光中学校全生徒の8割強が知る所であったという。