雨降りの後に(青黒)
*遊佐さんとの相互記念。
テツと火神に誘われてストバスに行った帰り。
一人だけ家の方向が違った火神と別れてテツと二人で歩いていると、急な雨に降られた。
「ここからだとボクの家の方が近いですね」
息を切らしたテツが言い、見慣れた道を先導して走って行く。
そうして久しぶりに連れて来られたテツの部屋には、俺の知らない物が増えていた。
…
「気になりますか?」
「んー…まぁな」
濡れた頭を拭きながら声を掛けてきた黒子に、青峰は壁に掛けられた学ランを見つめながら答えた。
黒子の制服であるそれがブレザーではない事に、何となく違和感を感じてしまう。
違和感の元は、制服だけではない。
机に置かれた教科書も見慣れない物だし、その隣にある部誌に至っては存在すら知らなかった。
誠凛では交代制で書いているのだろうか。
「青峰くんも拭いた方がいいですよ。本当はお風呂でも貸してあげられれば良かったんですが、青峰くんに合うサイズの着替えがないので…」
すみません。
そう言って差し出されたタオルを黙って受け取り、がしがしと頭を拭きながら、思いは沈んでいく。
中学時代には何かと入り浸っていた黒子の家。
そこにある物は何だって、自分の家と同じように馴染みのある物だったのに。
はっきりと目に見えるその部屋の変化は、今の青峰と黒子との距離を的確に物語っているようだった。
(もし、俺がテツを突き放したりしなければ、テツと離れる事はなかったんだろうか)
そんなとりとめのない考えが頭の中をぐるぐると巡り、表情が険しくなっていくのが自分でもわかった。
不快感を少しでも紛らせようと、何気なく部誌を手に取りパラパラとめくってみる。
すると、綺麗とは言えないが丁寧で読みやすい、見慣れた字が視界に飛び込んできた。
紛れもなく黒子の字だ。
それが記憶の中のものとあまり変わっていない事にほっとして、強張っていた頬も自然と緩む。
(相変わらず頑張ってんだな)
黒子のバスケに対する姿勢が見てとれるそのページを読むうちに、青峰が先程感じていた違和感は少しずつ薄れていた。
しかし、その前のページをめくって目に飛び込んできた名前に、思わず眉をひそめる。
(…火神)
黒子の、今の相棒。
中学時代には青峰のものだった"黒子の相棒"というポジションに、今居座っている男。
(んだよ、こんな所でまで隣にいやがって)
自分が居たい場所に当然のように他の奴が名を連ねているという事実に、言い様のない苛立ちとやるせなさが込み上げ、胸が締め付けられた。
「青峰くん」
不意に名前を呼ばれて我に返る。
顔を上げると、そこには両手にカップを持った黒子が立っていた。
「ココアですが、良いですよね」
「おぅ。サンキュ」
いつの間に淹れていたのだろう。
そこ、座って良いですよ、とソファーに導かれて腰を下ろすと、黒子も青峰のすぐ隣に座った。
隣から伝わる黒子の控えめな体温が嬉しくて、照れ隠しにココアを口にする。
「甘…」
思わず口走ってしまったが、決して嫌な甘さなどではない。
ココアの適度な甘さは喉につかえていたもやもやを包み込み、流し去っていく。
それはとても心地好い感覚だった。
黒子も青峰の発言が本心から出たものではない事を汲み取り、青峰の様子を見て微笑んだ。
「前も、同じ事を言ってましたね」
「あ?」
「このソファーに並んで座って、このカップでココアを飲んで。青峰くんはその時も甘いって文句を言ってましたが、どこか嬉しそうなんですよね。…変わってないですね」
言われてみれば、そんな事もあっただろうか。
しかし、黒子が覚えていてくれた事を嬉しく思うと同時に、自分がそれを覚えていないのが悔しい。
思い出そうとむきになって頭を抱えていると、突然黒子の手が青峰の肩に置かれた。
続いて青峰が感じたのは、額に何か柔らかいものが触れる感触。
温かなそれは青峰が理解する間もなく離れてしまい、代わりに隣にあったはずの黒子の顔が目の前に下りて来た。
刺し通すように真っ直ぐな水色が青峰を覗き込み、「眉間にシワが寄ってましたよ」と笑う。
しかし、何をされたかを理解した青峰がやっと言いかけた文句は、黒子の次の一言に押しやられた。
「ボクも、変わっていませんよ。あの頃からずっと、キミが大好きです」
至近距離で囁かれたその言葉に、元々上手く機能していなかった青峰の思考は完全に停止してしまった。
代わりに激しく動くのは、心臓。
静まり返った部屋の中で心音と雨音だけが響く。
止む事を知らぬかのように激しく鳴り続ける2つの音に青峰は小さく舌打ちをして、ぽつり、不満げに声を漏らす。
「…俺は、あの頃よりもずっと、テツが好きだ」
それは、青峰が今言葉にできる、精一杯の素直な気持ちだった。
あの頃気付けなかった変化にも、今なら気付ける。
だから、それを見過ごさない距離にいたい。
側に、いてほしい。
その思いと、それを黒子ほど巧みに表す事ができない悔しさも込めて水色を見つめ返し、黒子の冷えた手を強く包む。
真っ赤に染まった顔で、どこにも行くな、と訴えるそれに、黒子も迷いなく応える。
「…青峰くんがそう望んでくれるなら。側に、いさせてください」
どちらともなく、きゅ、と手に力を込める。
手のひらを伝って流れ込む互いの思いを閉じ込めるように。
思いは、僅かでも、確かに変わっていく。
離れたくない。
離したくない。
そう思うことすら知らず、ただ側にいるのが当たり前だったあの頃には、もう戻れない。
それがわかっているから、不確かな今を"約束"にする。
離れない。
離さない。
側にいて。
そんな簡単な言葉で、相手を縛り付ける。
底知れぬ不安を覆い隠すために、呪文のように、繰り返し囁く。
今は、それだけでいい。
嘲笑うかのような冷たい雨音は、2人分の心で打ち消して。
そして、雨が上がったなら、一緒に虹を探しに行こう。
雨の後にしか見る事のできない、その光を、2人で。