魔法使いB(赤黒)


 秋は夕暮れ。確かに、すべてが赤く染まる秋の夕焼けは一年のうちでも特筆すべきものかもしれない。しかしオレは、冬に近づくにつれ短くなっていく秋の昼が、一番世界が綺麗に見える時間だと思っている。

「実はオレ、魔法使いなんだ」

 彼はちょうどベンチに放置されていた空き缶を拾い上げたところだった。真上から照りつける太陽は暑さこそ感じさせないものの変わらない眩しさを放っており、視線を上げた彼の目を細めさせた。
 彼の頭の向こう、数メートル離れた芝生の方では、赤とんぼが数匹飛び交っている。あっという間に通り過ぎ、冬を連れてくる秋。その短さを身をもって知っているであろう小さな生き物たちは、ずっと先にある春への備えで忙しいようだった。

「何というか……キミにそう言われると、妙に納得してしまいます」

 片手に缶を持ち、もう片方の手で日差しを遮りながら、黒子は屈めていた背筋を元に戻した。流れるようにごみ箱へと歩を進めた彼の後を追い、並んで歩く。彼との目線の高さはそこまで変わらないため、肩を並べているこの姿勢であれば、先程のような眩しさは互いに感じずに済むのだった。
 午後に控えたお菓子パーティーに備え、ストバスは午前中のうちに切り上げた。バスケのための時間を削ることに口を尖らせる者も多かったが、昼食を兼ねた長いおやつタイムの後には各家庭での夕食が控えている。あまり遅くまでおやつを食べていては、せっかく作ってもらった夕食が入らなくなるだろう。かつて言われた記憶のある言葉、胸の奥でまだ生きている思い出と同じ言葉を口にした時、夕方という早い時間での解散を渋っていた他のメンバーは早々に自分の主張を諦めた。高校を卒業すれば今以上に家族と疎遠になるであろうことは容易に想像できる。今大切にするべき瞬間はキセキの世代の間だけに存在するわけではない。伝えたかった思いは無事各自のもとに届いたようで、大会という場での競合を約束すれば、皆が素直に頷いてくれた。
 前回訪れた時には煩く鳴いていた蝉の声は、とうに鎮まってしまっている。それに寂しさを感じることはない。賑やかさを感じる器官が耳から目へと移り変わっただけだからだ。
 緑一色だった公園の木々は、季節の推移により色鮮やかに変化した。次にこの場所を訪れる時にはまた違った色を見せてくれるのだろうと考えたオレはその時、当然のように次を思う自分に気付いた。変化を繰り返す季節と異なり、頑なだった心を変化させるに至った要因。それは、隣に立つ彼の存在が大きいと考えて間違いはないのだろう。

「昔、ランプの魔人に、願いを叶えてもらったんだ。『人を幸せにできる力をください』と。そして、人を幸せにする力と、その人に幸せにしてもらう力をもらった」

 オレのことを幸せにしてくれる人を、オレも幸せにできる。今でも素敵なことだと思えるその魔法は、その実とても判別し難い魔法だった。幸せは目に見えるものではない上に、ましてその出所など客観視してわかるものではないからだ。
 母との死別を経て、父との距離は以前にも増して開いた。訪れたのは、当初思い描いていたものとはほど遠い未来。自分は誰一人として幸せにできてなどいないと感じた。それでも、学業や習い事で目標を達成した時、父は忙しい生活の中で共に食事を取るために時間を割いてくれた。それが父なりの認め方なのだと気付いた時から、オレは次第に、見える成果を求めて忙しさに身を委ねるようになった。目に見えぬ不確かなものにすがる強さなど持ち合わせていなかった。そうして、魔法の使い方も、自分が魔法を使えることさえも、いつしかすっかり忘れてしまっていた。
 自分にできないことなど何もない。そう思い込み必死で奮い起たせていた自信は中身の伴わないものだった。がっちり閉じていた蓋をこじ開けてその中を満たしてくれたのは、彼からの感謝の言葉。満たされることを思い出した心は、あたたかさへの感覚を取り戻した。
 転換点となったあの日から、もうすぐ一年が経つ。
 空き缶はすでに彼の手を離れ、あるべき場所に収まっていた。今は捨てられるだけのそれは、時を経て、人の助けを借り、再び誰かの役に立つ。幼い頃夢中で読みふけった絵本の中の主人公は、手に入れた幸せを一度奪い去られ、再び呼び戻した。確実なものなど何もない、それでも地続きの未来。今感じているこのぬくもりに決して過信せずに考えるべきは、あらゆる可能性と、今の自分にできることだ。

「黒子。君を幸せにさせてください」

 風に吹かれ舞い散る紅葉に明確な意識はないかもしれない。しかしそれが存在した意義を否定することは誰にもできない。心もそれと同じだ。それが今後どのような道を辿ろうとも、今この瞬間、胸の内にわき起こる思いを偽りだと言い切ることのできるものなど存在しない。
 思い出した魔法の使い方は至極単純だった。ただ相手の手を握り、幸せを願う、それだけだ。しかし、今のオレはそれだけでは満足できそうになかった。魔法に頼らずとも、彼の幸せのために尽力したい。オレに幸せを思い出させてくれた彼のことなら、オレは幸せにできるはずだ。だから、離れずにいてほしい。巡る季節を経て今溢れ出した思いは、そんな決意表明でもあった。

「それ、このタイミングで言うことですか……」

 黒子は呆れたように言い放ち、オレを見つめた。まだお菓子パーティーが控えているのに。そう苦情を漏らしてはいるが、内側に潜んでいるのはどうやら悪感情ではないようだ。
 季節は魔法のように様々なものの色を変えていく。その鮮やかさを楽しむのに、晴れた日の昼は最適な時間だ。木々は赤や黄色に染まり、果実は熟して色を濃くする。そしてすぐ目の前、頬の色、表情。

「キミのおかげで、ボクはもう、とっくに幸せです」



2015.11.1





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