魔法使いA(赤黒)


 なぜ今まで思いつかなかったのだろう。こんなに簡単なことだったのに。
 いや、今までのことを考えるのはもうやめよう。ついに見つけたのだ。どんな願いでも叶う、魔法のランプを。
「ランプの精さん、出てきて。オレの願いを聞いてください」


 ……


 その存在を知ったのはつい最近のこと。親戚のおじさんが持ってきてくれた絵本に、それは鮮明に描かれていた。

「もう少し大きい子が読むための本だけど、征十郎君なら大丈夫だろう」

 それは、遠い国の貧乏な青年が、魔法の力を借りて幸せを手に入れる物語だった。大きな洞窟の奥で眠っていた魔法のランプ。青年がそれを擦ると、そのランプから大きな魔人が飛び出して来て、こう言うのだ。「あなたの望みを何でも叶えましょう」と。
 子供向けのただの物語だと自分に言い聞かせながら、胸が高鳴るのを抑えられなかった。オレには叶えたい願いがあった。自分ではどうしようもなくて半ば諦めていたが、もし、魔法のランプが本当にあれば。
 それからというもの、オレは夢中になってランプを探した。探すと言っても物語に登場したような洞窟の場所など知らないし、知っていたとしても行くあてなどない。ただひたすら、習い事の合間を縫っては、家の中を片っ端から調べていった。戸棚の下に無理やり差し込んだ手がなかなか抜けず、やっとのことで引き抜いたら手の甲が擦り切れていて涙目になったことも、立ち入りを禁止されていた父の書斎に入り込んだところを見つかり使用人に諌められたこともあった。今思えば子どものくだらない好奇心だったのかもしれない。でもオレは確かに覚えている。オレは見つけたのだ。キッチンの戸棚の中、ガラス窓から頭だけ覗かせていた、くたびれた急須を。絵本で見たランプとは違うような気もしたが、形は何となく似ていると思った。
 それが眠っていたところは、よく考えれば当然の場所だったのだと思う。温かかったり、冷たかったり、甘かったり、塩辛かったり。キッチンではたくさんのものが姿を変え、たくさんの心が動く。そこは、たくさんの魔法が生まれる場所なのだ。
 急く心を懸命に抑え、戸棚の中の急須を割らないようにと慎重に取り出して、ポケットにしまっていたハンカチで擦ってみた。キュッと高い音がしたので驚いて、二度目からは音が立たないようそうっと擦った。結局何度擦ったのかは覚えていない。ランプの精を待つよりもこびりついた渋を落とすのに夢中になり始めた頃、手に持っていた急須がじわりと温かくなって、注ぎ口から湯気が出てきた。
 現れた魔人は、想像していた姿とは全く異なっていた。きらびやかなものではなく、天井に頭をぶつけてしまうほど大きくもない。もっと、側にいると落ち着く感じの、突然の出来事に驚き固まった緊張さえもほどけてしまうような、優しい普通のおじいさんに見えた。賢そうなぼっちゃんだね。そう頭を撫でたおじいさんは、まるでおやつでもあげるかのような気軽さでオレに語りかけてきた。

「君、何か願い事はあるかい? 何でも叶えてあげよう」

 すごくどきどきした。本当に叶うだろうかなんて考える余裕もないほどに。あまりの期待に震える口を一度きゅっと結んで、口を開く代わりに手をぎゅっと握って、一息で言った。

「みんなを幸せにできる力をください」

 オレの父は厳しい人だった。所謂仕事の鬼というもので家にいる時間は決して長くなかったが、オレは父が仕事のできる人であることを知っていたし、自分にも他人にも平等な厳しさが優しさに基づいていることも、実際に会社にとっていい結果をもたらしていることも知っていた。父に限ったことではない。母も、使用人たちも、それ以外も。オレの周りにいた人はみな優秀で、それぞれの役割をしっかり把握し、責任と誇りを持ってそれに取り組んでいた。父たちの姿は幼いオレの目にも輝いて見えて、オレも父たちのようになりたい、あんな大人になるのだと、その姿に憧れを持っていた。
 しかし、成長するにつれ疑問を抱くようになった。彼らの誰一人として、その仕事に見合うほど報われてはいないように見えたのだ。不幸せの方がかえって目立つくらいで、「あんなに頑張っているのにどうして」と悔しく思うことも多かった。大切な何かを想っての努力が必ずしも幸せに結び付くわけではないという事実に、やるせなさを感じた。
 自分で言うのも妙な話だが、オレは他の子よりも大きな期待を背負っているような気がしていた。父をはじめとした周囲はみなオレに目をかけ、大事に育ててくれている。信じてくれる人たちを裏切るのは辛い。せめてオレくらいは、彼らの努力に報いることのできる存在でありたい。

「みんなに幸せになってほしい」

 もう一度、絞るように吐いた願いを聞いて、おじいさんはまたオレの頭を撫でた。正直頭を撫でられるのは子ども扱いされているようであまり好きではなかったのだが、そのおじいさんの手つきは不思議と心地よく、これも魔法のひとつなのだろうかとぼんやり思った。

「ぼっちゃん、君は賢くて優しい子だね。そして強い子だ。でもね、君の願いだけでは、私が少し寂しい……。こういうのはどうだろう?」

 頭に置かれていた手の動きが止まり、ちょうど手が乗せられている箇所だけがぽわりと温かくなる。頭の上から光が降り注いでいるのがちらっと見えて、もっとよく見ようと上を向いたら、目が合ったおじいさんがにっこり笑った。

「これで、君は、人を幸せにできる人になった。そして、」

 おじいさんはそう言って、今度はオレの右手をしわしわの両手で包んだ。頭の上に見えたのと同じ柔らかい光が、今度は目の前に見えた。

「君が幸せにした人が、君のことを幸せにしてくれるように」

 ゆっくりと紡がれるしわがれた声は、子守唄のような響きを持っていた。おじいさんの姿は無音の光と共に徐々に見えなくなり、右手に残るぬくもりだけが、先程までの夢のような出来事が現実であることを証明してくれた。 

「ありがとうございます」

 呟きのような小声だったが、魔人のおじいさんはきっと聞いてくれていたと思いたい。

 その後、オレは何度かキッチンに足を運び、戸棚を覗いた。急須はあの時と同じようにその場所にしまってあったが、何度擦っても、おじいさんが出て来ることはなかった。



2015.11.1





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