魔法使い@(赤黒)


 彼からは甘い匂いがする。かつてのチームメイトが溢したその主張はあながち間違いではないのだろう。オレが知る限り、彼はいつでも甘い菓子を持ち歩いていたからだ。
 紫原が黒子に菓子をねだる様子をオレも何度か目撃していた。菓子類の持ち込みが校則で禁止されていることは勿論知っていたものの、友人同士で交わされる他愛ない交流にいちいち目くじらを立てるほど野暮でもなかったオレは、挨拶のように自然な彼らのやり取りをその都度黙認していた。黒子の姿を見かけた途端、紫原の目はいつも小さな子どものように輝いた。お菓子ちょうだい。巨体に似合わぬ甘えた声が、逃がさぬと言わんばかりに覆い被さった黒子の背後、頭上からゆるく響く。「重いです」と不満を漏らす口、そのくせ迷惑そうなそれとは裏腹にごそごそと動く手。上着のポケットから、学生カバンの中から、時にはジャージのズボンのポケットから。取り出される黒子の手にはいつでも決まって甘い菓子が握られていて、それを受け取る紫原のみならず周囲にまでも満ち足りた雰囲気を配っていた。
 そしてそんな関係は、長らく時を隔てたところで変わるものではないらしい。

「お菓子ちょうだい」

 かつて繰り広げられていたのとよく似た光景が目の前に広がる。雛鳥のように菓子をねだる紫原と、保護者のような顔でそれを渡す黒子。その周りには食べこぼしを指摘する緑間やもの珍しい菓子の毒見役を黄瀬に押し付ける青峰の姿もあり、桃井が呆れ顔で、しかし楽しそうにその光景を見守っている。
 長期休みの重ならない中途半端なこの時期に、この懐かしいメンバーが顔を合わせることになった経緯には、紫原の存在が関係している。
 高校一年のウィンターカップでの和解以降、黒子の誕生日を皆で祝ったことを皮切りに、キセキの世代の誕生日には帝光時代のチームメイトで集まるというのが定例となった。母校の近くの公園でストバスをし、そのあとには桃井も参加できるようにとバスケ以外のことをするのだ。
 初めは皆でゲームセンターに立ち寄った。足を踏み入れるのを躊躇うほどの騒がしい音は、一度馴れてしまえばもう気にならなかった。他の面々が中学時代を懐かしむ中、オレに「やっと赤司くんも一緒に来れましたね」と言った黒子の声は、周囲の大音量の影響を受けて普段よりも大きく発せられ、少し浮かれてもいた。
 夏祭りに繰り出したのは、青峰の誕生祝いでのことだった。集まると決めた日にちょうど近くで祭りがあることを知り、ストバスを早めに切り上げて一旦解散したあと、浴衣を着て再び集合した。人混みの中で好き勝手行動してもはぐれずに済む大柄で目立つ集団と、一緒に歩いていたはずがふと目を離した隙にどこに行ったかわからなくなってしまう黒子と。最後には射的の景品で手に入れたビニールのなわとびを皆で掴み縦一列になって歩いたのだが、それは端から見たら極めて異様な光景だっただろう。
 皆が都合をつけるのは容易なことではないが、毎度、骨折り以上に得るものが大きかった。そして今月、「お菓子は正義」を体現して止まない紫原が誕生日を迎えた。そんな彼へのプレゼントは、みんな揃ってお菓子を食べること、と決まったのだ。学校行事などで忙しい時期だということもあり、やっとのことで皆が予定を空けたのは月末になってからのことだった。
 無駄に図体のでかい男たちが揃って押し掛けるとなると広い場所の方がいいということで、会場には我が家の一室を提供することになった。それまで友人を家に招いたことなどなかったため慣れないことへの不安もあったが、その落ち着きのなさを作り出していたものの中には単純に楽しみに思う浮かれた気分も少なからず含まれていた。
 ストバス帰りにスーパーに立ち寄り、お菓子パーティーのための菓子を買い込む。ハロウィンで賑わうこの時期、店頭には見慣れない菓子がずらりと並んでいた。立食パーティーの形式をとった一室の中心で、大きなテーブルの上に所狭しと菓子を積み上げれば、準備は完了。ストバスで体を動かしたことも手伝ったのか、後先考えず次々とかごに投げ込まれていった菓子たちは、食べ残しが出るのではという心配などまるで無用、笑ってしまうほどのハイペースで消費されていった。
 未だ黙々と菓子を頬張り続ける紫原を横目に、黒子が部屋の中心から移動した。菓子のテーブルから少し離した小さめのテーブルには、保温タイプのティーポットとカップが用意されている。注いだ紅茶を手に取り、ふぅ、と一息つくとすぐ、黒子はそれを飲み干した。喉が乾いたらすぐ飲めるようにとあらかじめある程度冷ましておいた紅茶は、すでに猫舌の彼でも飲みやすい温度にまで冷めているようだった。

「魔法瓶の魔法は、もう解けてしまったようだね」

 声をかけつつ歩み寄る。そうですね。前向きさの滲む声で一言、黒子が答えた。過ぎたことを振り返らない、今と、そのほんの少し先だけをじっと見つめる瞳。そこに映る透明は、再びカップに注がれた紅茶から立ち上る湯気によりあたたかく揺らぐ。
 自分一人だけの世界に浸っているような黒子の様子につまらなさを覚え、オレは黒子に話しかけた。黒子。そう名を呼ぶとようやく、その瞳はオレを視界の隅に捕らえる。

「トリック・オア・トリート」

 唐突な一言は意表を突くことに成功したらしく、黒子はその存在感のある目をまるく見開いた。しかし、それもあっという間に見慣れた元の表情に戻ってしまった。ズボンの右ポケットに差し入れられた空っぽの手は、取り出された時、ハロウィンらしいイラストが施された小袋入りの飴玉を乗せていた。

「そういえば今日はハロウィンでしたね。はい、どうぞ」

 彼の表情を動かしてやろうと仕掛けた小さないたずらは、やはり成功しなかった。少しだけ寂しく思いながら、事もなげに差し出された飴玉をつまみ上げる。パッケージに描かれたカボチャが、親指と人差し指に挟まれてへらりと笑う。それにつられ、つい先程まで機嫌が傾いていたことも忘れて笑みを溢したオレに、黒子は不思議そうに首を傾げた。深呼吸をひとつと、すまない、という前置きと共に、どことなく不安そうな顔でこちらを覗く黒子にきちんと答えようと口を開く。黒子は中学時代から変わらない。それでもまだ彼について知らないことは多い。そして、出会った頃からオレの脳内に住み着いている絵空事のようなイメージも、きっと彼が予想すらしていないものだろう。これを言った時、黒子はどんな反応を見せてくれるのだろうか。新たな発見への期待についつい弛んでしまう口もとは彼の目に益々不審なものと捉えられたようで、「大丈夫ですか」と問う彼に、オレは慌てて謝罪の続きを口にした。

「困らせてしまったね。ごめん。……実はね、中学時代、黒子は魔法使いなんじゃないかと思っていたんだ。それを思い出していた」
「え?」
「ほら、中学時代、黒子はよくポケットに菓子を潜ませていただろう? 真夏に持っていた飴玉やチョコが全く溶けていなかったし、いつでも求められればそれが出てきて、紫原も黒子も、見ているだけの周りまでもが幸せそうで……。オレにとって、黒子は、幸せを振りまく魔法使いだった」

 叩くたびにビスケットが出てくるポケットのような、振りかけると空を飛べる妖精の粉のような。ただ備えを欠かさなかっただけなのであろう黒子は、当時のオレにとって、ありふれていそうで他にない、魔法使いのように不思議な存在だった。
 カップ片手にきょとんと立ち尽くしていた黒子は、部屋中に漂う甘い匂いをまとい、ふと笑った。ソーダ味の飴玉のような瞳をわずかに細め、唇はジェリービーンズのようにやわらかな曲線を描く。
 再びごそごそとポケットを探り出した右手は、今度は二つの飴玉を乗せて現れた。

「そんな風に思われていたとは、正直驚きました。でも、キミを幸せにできるのなら、魔法使いになるのも悪くないです」

 一度開いた手をまた閉じ、何度か縦に振る。そうしてもう一度開かれた手のひらの飴玉は三つに増えていた。驚いて「手品か」と尋ねると、黒子は「魔法です」と笑う。

「これもあげます。責任持って、幸せになってください。それがボクの幸せでもあるようですから」

 黒子はそう言って、オレの手のひらに飴玉を追加した。今にも踊り出しそうな色彩と軽快な重みを感じる手のひらは、すでに受け止めきれないほどの幸せを掴んでいる気がした。



2015.11.1





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