透明(赤黒)

*2,222キリリク。愛しの姉上へ。






 キーボードを叩く音が止む。それを合図に、パソコンに向かっていた黒子が立ち上がり、赤司の座るソファへと歩を進める。委縮する赤司を縫い止めるよう、逃がさないとでも言うように重ねられた彼の手は、力を込めるでもなくやんわりと赤司をその場に縛り付ける。圧迫感。自分より力の弱い彼の、ただ触れるだけの優しいそれに感じるのは苦しさだけだ。
 彼の薄い唇が、まるであいさつを交わすように自然に重ねられる。
 作業机へと戻る時、満足げに歪められた唇はいつも同じ童謡を奏でた。音だけを拾う耳はその歌の理由を知らない。動かせない四肢の代わりに目線だけで黒子を追うと、腰かけた背の向こう、再び稼働し始めたパソコン画面の煌々とした光が目に刺さる。容赦なく刺激する明かりにそれ以上の追跡を諦めた赤司の目は、暗闇に安息を求めて音もなく瞼を下ろした。
 ある日の突飛な思い付きにすっかり味を占めたのだろう。初めて唇を重ねたその日以降、赤司と黒子との接触は専ら手と唇のみとなっていた。決して広くないアパートで一緒に暮らしているというのに、肩がぶつかることもなければ、言葉を交わすことさえほとんどない。黒子の手のひらと赤司の手の甲、そして唇同士。その二通りの表面的なふれあいのみを繰り返す日々。そんな現状を気に入っているらしい黒子がそれを改めようとするはずもなく、そのひどく不自然な日々を、赤司も甘受していた。
 初めに感じた胸の痛みを今はもう感じない。拒絶する気にもなれない。回数を重ねるうちに感覚はすっかり麻痺していた。あの頃のまま今も辛うじて感じられるのは、唇を塞がれた瞬間の息苦しさだけだ。


 赤い鳥 小鳥
 なぜなぜ赤い
 赤い実を食べた


 忙しなくキーボードを叩く指がパチパチという音を奏でる。ソファにもたれたままの赤司は、特に何をするでもなく、聞こえてくる音階のないリズムに耳を傾けていた。窓の外では、いつの間にか誰かが植えていたらしいクロッカスが藤黄色の花弁を揺らし、この殺風景なアパートの庭に僅かばかりの色を与えている。
 黒子の執筆活動を赤司が同じ部屋で見守るようになったのは、忙しさのあまり目に見えて苛立つ同居人に対し何かできることはないだろうかという思い付きがきっかけだった。元はといえば心配性な親を納得させるために始まったルームシェア。大学入学時からのその同居において掲げた条件に「互いに過度に干渉しない」というものがあるが、それは互いを気遣うというよりも自身の快適な暮らしを守るために取り決めたものだった。今まで他人だったものが共に暮らすのに衝突は避けられない。しかしそのために肝心の大学生活に支障を来すような事態は避けたい。物理的な距離が近い分、不必要に互いのプライベートに踏み込んで混乱が生じるのを避けるため、二人はあえて自分と相手との間に見えない線を引くことを選んだのだ。その距離はなかなかに心地好いものだった。だからこそ、大学を卒業して社会人となった今でも、この同居は続いている。
 作家になった黒子は、売れっ子とまではいかないものの何とか物書き業で生計を立てている。大学在学中、何の気もなしに出版社へ持ち込んだ小説が小さな賞を取り、それをきっかけに根強いファンがついたらしい。内容に奇をてらう部分がないため読む者は素直に話に入り込むことができ、かつ時折垣間見せる鋭く的確な表現が胸に響く。不思議と透明感のある作風が読者を次へと誘う。それが彼の作品への評価だった。出版社からの「是非に」との申し出を受け、一つのことに熱中すると他のことが手に付かなくなる性質の黒子は、自分の将来を執筆活動に捧げる決意をした。その決意を赤司は好ましく思った。しかし、黒子はそれでも要領のいい方ではない。依頼された連載の締め切りに追われる日々に彼の神経は着実にすり減っており、その苛立ちは在宅勤務で終日家にいることが多い赤司にも少なからず影響を及ぼしていた。そうして心地好い同居生活が脅かされたため、赤司は仕方なく行動へと踏み切ったのだ。それは「家の中に不機嫌を振りまく同居人を何とかしたい」という利己的な理由からだった。
 行動内容も実にシンプルだった。机の上のコーヒーを注ぎ足し、時には甘い物を添える、ただそれだけ。初めてそれを行った時、執筆に集中しきっていた黒子は赤司の行動に気付かず、知らぬ間に増えていたコーヒーを見て首を傾げた。その様子が可笑しくて思わず吹き出した赤司の声にようやくコーヒーの不思議を謎解いた黒子は、赤司にからかわれたと感じたのだろう。少し口唇を尖らせ、ありがとうございます、と口先だけの感謝を述べた。それでも、継ぎ足されたコーヒーに口をつける行為は、黒子がそれを拒まなかったことを示している。コーヒーを飲んだ後、ふう、と吐かれた息は、当初の予想以上に赤司を安堵させるものだった。
 作業に打ち込む黒子の背中を眺め続けて育った感情は、いつしか赤司の利己心を純粋な気遣いへと変化させていた。コーヒーばかりで胃を痛めてはいけないと紅茶を淹れてみた時には、黒子はくまの出来た目もとを緩め、キミが淹れると味が違いますね、と微笑んだ。ふっと和らいだ表情は、黒子への恋心を育んでいた赤司を喜ばせると同時に、同性に向けるには不適切な想いを黒子に抱いていることへの罪悪感を僅かばかり軽減させるものでもあった。赤司は黒子の求めていることを察しそれに応じようとしたし、黒子もそれを受け入れていた。こうして「過度に干渉しない」という条件は少しずつ効力を弱めていき、いつの間にか赤司が黒子の傍につくことが当たり前になった。そしてそれと同時に、黒子の赤司への要求も、次第に増えていったのだ。

「キス、してみませんか?」

 キスシーンが上手く書けないと。きっと経験したことがないからだ、練習台になってくれ、と。執筆に行き詰まっていたらしい黒子はある日、形式上は提案の形を取って要求してきた。赤司は戸惑った。黒子は人の機微を読み取るのに長けている。そんな彼に勘付かれぬよう、平穏な日々がこのまま続くようにと願い、自らのうちに育ちつつある淡い恋心を封じ込めようとしていた矢先の出来事だった。
 赤司の心中などとうに見通してからかっているのか、それには全く気付かず執筆のことだけを考えているのか。赤司は黒子の意図をどうにも察しきれなかった。初めての相手が僕でいいのかと尋ねた赤司に、黒子は問題ないと笑った。ボクが知りたいのは、別に、好きな人とのキスではありませんから。そう囁いて空気の通り道を塞いだ唇が、未だ赤司の思考を凍り付かせている。


 白い鳥 小鳥
 なぜなぜ白い
 白い実を食べた


 それが強制ではないのだと気付いたのはたまたまだった。
 もうすぐ締め切りだというのに思うように筆が進まないらしい黒子は、鬼気迫るといった形相で、朝、昼とろくに食事も摂らずパソコンに向かっていた。キーボードを打つ手は時折止まり、代わりにタン、タンと机を鳴らす。苛立たしげなその振動を受けるたび、注ぎ足されたまま手を付けられないコーヒーの表面が波紋を描いた。部屋一面に満ちる張り詰めた空気は行動を制限し、その重さは赤司がため息を吐くことさえ拒むようだった。手の中で開かれた文庫本は、ページを捲られることもなく、赤司のぼんやりとした視線を受け止めている。目の疲れが読み取りにくくなった活字のせいだと理解したのはそれからしばらく経った後のことだった。ほぼ反射的に窓の外を見遣れば、夜の気配を色濃く滲ませる空で、地平沿い、夕焼けの色を残した雲だけが奇妙な明るさを保っていた。幻想的という表現が相応しい空に、対照的な昼の青空を思い出す。「のんきに漂っているあのくらげ雲だって、底の方は乱気流で荒れ狂っているんですよ」。つい先程まで目で追っていた小説の一部分がふと浮かび、すぐに消えた。こんな時間になっていたのか。声に出さずに呟くと、赤司は重い体を何とか起こし、部屋の電気を点けた。パチ、という音に反応し、目の前のパソコンのみに集中していた黒子の肩がぴくりと動く。一気に明るさを増した室内。固まっていた空気がほんの少しだけ緩んだその隙に赤司はカーテンを閉め、明るさに目が慣れるのも待たずに部屋を出た。
 執筆中の黒子の傍にいる。それは黒子に命令されたことでも頼まれたことでもなく、赤司が自主的にしていたことだ。黒子が受容していたのは確かだとしても、自ら過干渉を選び、重苦しい空気を吸い続ける義務など赤司にはない。黒子からの一歩的なキスにしてもそうだ。断りようはいくらでもあり、それでも強行しようものなら力づくで止めることだってできる。それに、黒子はほんの戯れのつもりかもしれないが、彼を楽しませているその行動は一般的に遊びとみなされるものでは決してない。黒子のことを他人を平気で傷付ける悪人に仕立て上げたくなければ、赤司は黒子の行動を同居人として注意し制するべきだった。では、何が赤司を現状に縛り付けているのか。勿論、その状況になると頭が回らない、思考が停止してしまうというのも理由の一つではある。それでも赤司が最終的に思い至った理由は、自らの利己心だった。黒子の初めてのお願いを受け入れた時から今まで、胸を満たす息苦しさは共通している。しかし、度重なる行為に不快感を拾うことだけは何故かできなかった。結局のところ赤司は満たされていたのだ。突き放すようなことを言いながら自分だけを求める唇に。理由の解らない要求ではあるが、それに応じることができているという、確かな感触に。
 想いを受け入れて欲しいなどと思ってはいない。どちらかといえばこんな歪な感情は葬り去ってしまいたい。そう思うのに、行動には移せない。
 いつの間にか近付きすぎていた距離を元に戻すだけ。それさえも惜しみ、現状維持の言い訳を探さずにいられない身勝手さに気付いた赤司は苦笑するしかなかった。

 夕飯の買い出しを終えた後、普段なら真っ直ぐ帰る道で、自販機の灯かりに誘われた。コーヒーが全種類の三分の一を占める中、赤司の指は特段意識もせずココアのボタンを選んだ。あたたかいと謳われたそれは手にすると熱いくらいで、それでも冷えた空気の中を手袋もせず歩いていた肌には適温で、しばらくは缶のふたも開けずにその熱だけを味わった。
 缶を家に持ち帰るのが何故か躊躇われ、冷えた手により程よく冷めたココアを一気に飲み干した。むせ込んだ喉は、甘く残る舌触りを洗い流すための水を欲していた。


 青い鳥 小鳥
 なぜなぜ青い
 青い実を食べた


「どこに行っていたんですか。」

 帰宅した赤司を出迎えた無表情は普段通りだった。そこに違和感を覚えた訳を考えれば、普段の彼ならば声をかけたりしないから、という理由で片が付く。彼なりに何か考えがあるのだろう。それを探るべく、かつ下手に刺激を加えないよう、赤司はできる限り淡々とした口調で話そうと決意した。外を歩いて冷えた頭でなら、それができると思った。

「ちょっと夕飯の買い出しに。」

 問い詰めにそう答えきるより早く、黒子の手が赤司を捕らえようと動く。いつもの流れに持ち込まれそうな気配を察した赤司が気付かないふりでそれをかわすと、黒子は驚いたように眉根を寄せた。その些細な変化に赤司は動揺した。気付かないふりがばれたからではない。それは赤司にとって、キスの後以外では久しぶりに見る、黒子の生きた表情だった。

「どうしてですか。」

 黒子が呟く。

「どうして、ボクから逃げようとするんですか。」

 つい先程の一瞬の変化などなかったかのように平然と、黒子は元の無表情に戻っていた。しかし、小さく動くその唇から発せられた言葉は、彼の表情の変化に未だ落ち着きを取り戻せずにいる赤司の冷静さを奪うものだった。違う、逃げじゃない。気にしていた痛い部分を突かれ今にも感情的になりそうな自分を必死で抑えながら、震える喉だけが毅然とした態度を保とうとする。

「元々、『互いに過度に干渉しない』という条件だったはずだ。」

 我ながら弁明のようだ。言葉を発しながら、赤司は頭の片隅で思った。謝罪のようでもあり、牽制のようでもあり、背を向けて走っておきながら追いかけてくれる彼を欲しているようでもある言い回しだ。そんな赤司の無意識を知ってか知らずか、黒子は容赦なく追い討ちをかけてくる。

「あの頃と同じだと? あの頃から状況は何も変わっていないと、キミはそう言うんですか。」

 他人よりも優秀なはずの赤司の脳は、その言葉を上手く読み下せなかった。状況が同居し始めの頃のままだとは言わないが、条件の改定を話し合った覚えもない。黒子の中ではもうその条件はとうに無効になっていたということなのだろうか。
 少しでも情報を読み取ろうと、買ってきたビニール袋の中に向けていた顔を上げ、黒子を見る。すべてを透過させそうな二つの水色が赤司を見つめているだけで、そこから読み取れるものはない。解けない台詞、何も語ってくれない表情。募るのは苛立ちばかりで、元より余裕などなかった声からは平静さがさらに失われていく。

「……お前は、何も言ってくれない。」
「言わなければ、何もなかったことになるんですか?」

 呆れました、という付け足しと共に吐き出されたため息。赤司の苛立ちはそれに煽られた。確かに言葉にすることだけがすべてではないだろう。それでも、いや、だからこそ、黒子には言われたくない台詞だった。こちらがどれだけ悩んだか知りもせずに。

「お前に何が解る……!」
「解りませんよ。解らないから、知りたいんです。」

 気付けば赤司は語気を荒げていた。その声色には悲痛さが滲んでいた。対する黒子の潔いまでの即答はあくまでも淡々としており、まだその趣旨を理解させてはくれない。赤司がすっかり熱くなった頭で先を促そうかと迷っているうちに、黒子の口もとはゆっくりと動き出した。

「人は昔から、空の色を窺い、そこに浮かぶ太陽を神と崇めてきました。それでも、一番身近で自分を生かす空気に目を向ける事はありませんでした。それは確かに存在しているのに、まるで無いもののように扱われていました。」

 静かに、そして言い淀むこともなく、黒子は話し始めた。それは朗読のようでもあり、どこか非現実的な響きを有している。赤司はその吐露が質問の形でないことに安堵していた。今までは自分ばかりが曝してきたが、今、ようやく黒子自身について聞くことができている。長い間解らなかった空白の答えをやっと埋められそうなのだ。
 先程恐怖ばかりを与えた二つの水色は今も感情を読み取らせてはくれないが、その代わりに苦しみの元凶であった唇が流れるように胸中を語り、赤司の荒れた心に少しずつ落ち着きを与えている。それはどことなく不思議な感覚だった。

「いつからか、キミは心を隠すようになりましたね。」

 水色は揺れ動くこともせず、真っ直ぐに赤司を見据える。赤司は見つめ返す事ができなかった。黒子への想いを隠そうとしていたのは確かだ。隠したからといって捨ててしまった訳ではないのも、同様に。

「見えないことは存在しないことの証明にはなりません。それが解っていても、今まで見えていたものが突然見えなくなるのは不安でした。ボク、キミの表情が好きなんです。長い間キミの中に閉じ込められる一方だった感情たちが生き生きと表に出てくるのが見えた時、ボクは本当に嬉しかった。」

 寝不足続きで荒んでいた黒子の目つきが、その時ばかりは穏やかなものとして赤司の目に映った。好き。想い人の口から紡がれた思いがけない言葉が胸の中を何度も転がり、心臓が今までとは異なる脈打ち方をする。黒子に嫌われているわけではない。その事実が黒子の口から語られた。赤司はもうそれだけで十分だった。
 吐き出された言葉にどれだけ傷付こうと、赤司が黒子の言葉に寄せる全幅の信頼が揺れ動くことはない。黒子は決して嘘を吐かない。優しい言葉も、厳しい言葉も、怒りや悲しみも。その口から吐き出されるのはいつでも真っ直ぐな事実で、それを知っているからこそ、赤司はそれに心を動かされるのだ。
 しかし、この時赤司を安堵させた供述は、同居人との関係が悪化する前、赤司が壊したくないと願っていた時分のことだ。赤司の求める答えは、この続きにある。
 キ、と。黒子の目は再び睨み付けるような鋭さを湛え出す。それに流され、赤司の微かに弛んだ脳も再び引き締まった。

「だから、キミとの同居が決まった時に、ボクは自分でキミへの過干渉を制しました。現状維持のため、自分の手でキミの表情を摘み取ってしまうのを防ぐために。それが、あの条件です。キミが歩み寄ってくれた時、ボクに気遣いのようなものを見せてくれた時、驚きや嬉しさも感じましたが、正直、少し怖いと思っていました。これで今まで通りではいられない、と。そして予想通り、キミはまた見えなくなった。」

 黒子の語りは一旦止まり、その視線も一瞬だけ赤司から外れ、伏せられた。水色は冷たく凍りついている。そこに滲む感情は、後悔、と名付けるのが相応しいのだろう。読み取ったそれは、赤司にも覚えがあるものだった。
 一息ついた後、黒子はまた話し始めた。

「もう一度見たかったんです。キミの中の見えないものを。いつのまにか融けた雪はもうこの手で掴めなくなっていましたが、水も空気も冷やせば固まります。無色だって、色を付ければ視認できます。必要なのは状況の変化、それだけです。」

 氷の張った湖。その上を進む楽しさに、気付けば陸が見えなくなるところまで歩いてしまっていた。春の暖かさが氷を溶かして退路を断ち、彼を氷上へと閉じ込めてしまった。
 自身を冷やす足下の氷は足場を守り、寒さから救ってくれる暖かな風は自身の足場を危うくする。表裏一体で不安定な感情を彼は持て余していた。そして、それは赤司の方も同様だった。

「キミの傷付いた顔が好きでした。追い詰められ余裕を失くして、本心だけを見せてくれる顔が。触れられるなら、温度なんていくら冷たくても構いませんでした。染める事ができるならば、それが何色でも。」

 二人は同じように悩んでいた。黒子も赤司も、心の奥に隠していたものは同じ寂しさだったのだ。

「ボクがこんな人間だと解っても、キミはボクから離れようとしない。……面白いですよね。キミのそういう所、好きですよ。」
「好きだ。」

 感傷でもいい。同情だと言われても構わない。口に出さなかったから、見えないことを悲観し、すれ違い、傷付け合った。我慢し続けた結果が今ならば、溢れるままにすることが許されるならば、伝えたいのは偽りようのない本心だった。
 想いは無意識に口をついて声となり、自分に言い聞かせるように響いていた。

「僕も、テツヤが好きだよ。」

 今度は意識的に、確固とした強さをもって黒子に告げる。同時に、逃げるばかりだった二つの赤も臆病な自身を奮い起こし、ようやく水色と向き合った。そうして視線を絡ませて初めて、突き刺さるように感じていた水色がもがくように泳いでいたことに気付いた。
 水色が、呪縛から解き放たれたようにまるく見開き、揺れ動く。透明な液体がつぅと流れて頬に染み込み、自らが通った箇所を赤く色付かせる。鮮やかさを増した揺らめく瞳は色とりどりの光を反射し、まるで海のように表情豊かだ。
 そういえば、毎度のキスの際、黒子の瞳が感情を語ることは今までになかった。それさえも今までは気付けなかったことに、黒子と言葉を交えた今、赤司はやっと気付いていた。

「こんなに簡単な事でしたか……。」

 あれほど流暢に言葉を紡いでいた唇は今、途切れ途切れに震えている。無言で溢れる透明は隠してばかりの薄紅よりも余程饒舌で、すきま風の吹いていた黒子の心が満たされたことをその涙から悟った。
 氷が溶けたことで足場は崩れた。しかし、近くにいた一槽の舟が、溺れる身を救ってくれた。そこでついに、彼らは、自分が氷上へと踏み込んだきっかけを、自分はその舟に近付きたかったのだということを思い出したのだ。
 この胸の中の色を共有するために必要なものは、物理的な距離ではありませんでしたね。そう溢した水色に、「これからはちゃんと伝えるから」と誓うと、黒子は「楽しみにしています」と微笑んだ。
 辺り一面を白で隠していた雪が融け、動かない幹の下、分厚い皮に埋もれた新芽がやっと姿を見せようとしている。隠れていては到底知ることの叶わない眩しさを感じ、身体中に溢れる見えないものを、生きることで証明していけるように。不器用さを超えたそんな強さをこれからは持てるようにと、赤司は願う。


「そうだ。早速言い忘れていた。」
「何ですか?」
「ただいま。」
「……おかえりなさい。」


 翌日。忙しなく音を立てるキーボードの傍らには、くまを湛えつつパソコン画面を睨み付ける黒子と、淹れたてのコーヒーカップがあった。不規則に立ち昇る湯気はすぐに色を失ったが、そのぼんやりとした温かさは確かに部屋中に広がっているようだった。



2015.3.22





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