毒(赤黒)

*赤司がライオンです。そして死ネタです。ご注意ください。







 静かな夜が訪れなくなってどれくらい経つだろう。以前は日が落ちれば子守唄のような虫の声がどこからともなく聞こえたものだが、ここ最近聞こえる音は騒がしいものばかりだ。
 僕の落ち着かない様子を察したらしいテツヤは「戦争が始まったんですよ」と言った。普段より少し低めの響きは嘲笑のようにも受け取れたから、『戦争』とやらはきっとろくなものではないんだろう。それがどんなものか知らないが、テツヤが嫌うものに優れたものを見出した覚えは今までになかった。

 格子付きの小さな窓しかないこの灰色の空間で、テツヤが訪れるのだけを楽しみに、僕は暮らしている。いや、正しく言うと、少し前までは毎日朝から日暮れ頃までが部屋の外に出る時間と定められていた。その頃は陽の光を直接浴びたり、逆に暑すぎて日よけを探し歩いたりしていた。自然の風を肌で感じ、軽い散歩程度の運動もしたが、所詮は檻の中、狭いのに変わりはない。幼いといえる年齢でもない僕としては、見知らぬ人の好奇の目に晒されながら動き回るよりは、今のテツヤとふたりだけの生活の方が快適だった。
 テツヤの話はいつでも僕の知らないもので溢れている。口数の少なさは言葉の一つ一つを考えるのにちょうど良かった。わからない単語を表情から察しつつ、僕は彼の話に耳を傾ける。独り言のように呟いたり、時には歌など口ずさみながら淡々と手を動かし、部屋を綺麗にしていくテツヤ。腕まくりした袖から覗く白は前よりも細くなったようだ。これも、戦争のせいだろうか。
 テツヤは、僕が彼の言葉を理解していることをいまいち把握していないようだった。

「…なんて言っても、キミにはわかりませんよね。」

 それが彼の口癖で、その言葉を口にする時、彼は決まって水晶のような瞳に寂しそうな影を落とした。

(わかるよ、大丈夫。話してごらん。)

 そう目で語りかけても、彼の瞳の色は変わらなかった。



 ここのところ毎日、テツヤは申し訳ない顔で僕の所へ来る。

「手ぶらですみません。肉が手に入りづらいんです。人間ですらろくに腹を満たせないご時勢なのに、動物ばかり贅沢だと。可笑しいですよね。キミたちは人間の勝手でこんな場所に閉じ込められているのに。腹を満たすことくらいは当然の権利のはずなのに…不甲斐ないです。」

 以前は空腹を感じる間もなく出されていた食事がほとんど与えられなくなったのにも『戦争』が影響しているらしい。テツヤの言葉から、人間が相当の我慢を強いられている事が察せられた。
 僕たち動物にとって命の駆け引きは毎日繰り返されるはずのものだ。取るか取られるか。檻の中で生まれ育った自分には想像もつかない生活だが、本能はそれを知っている。当然何も口にできない日だってあるし、そんな日が続くことだって珍しくないだろう。だから今のこの状況は、少なくとも僕たちにとっては、決して文句など言うべきものではないのだ。
 空腹を覚えて初めて、生まれてから死ぬまで常に意識し続けるはずだった生死の概念を意識することになった。今まで当たり前に受け入れてきたその不自然な生活が果たして感謝すべきものだったかは判断しかねる。しかし、そんな生活に苦痛を感じなかったのは確かで、それには少なからずこのテツヤという男の献身的な世話が関わっているのだろう。
 他の大多数の人間などどうでもいい。けれどテツヤだけは、こんな気苦労ばかりでなく、彼にふさわしい安らぎのある生活を送って欲しいものだ、と。いつの間にか僕は、そう考えるようになっていた。




 食事を口にすることのないまま幾度かの夜を越え、迎えた朝。いつものように檻の外に立ったテツヤの手には、待ちに待った食事が抱えられていた。

「お待たせしました。…どうぞ。」

 久しぶりの生肉の匂いは休んでいた腹を一気に目覚めさせ、脳内は目の前の赤色で埋め尽くされる。早く味わいたい、腹に入れたい。食欲に駆り立てられるまま、皿に移されると同時にそれにかぶりついた。
 瞬間、ある異変に気付いた。腐ってはいない。肉質も匂いも普段と変わらない。味だけが、かすかではあるが確実に、普通ではなかった。
 飲み込もうとした肉片を器に戻し、傍らにいたテツヤの顔を見上げる。彼は今までに見たことがないほど酷い顔をしていた。大きいはずの目はまぶたの腫れのせいで上手く開いていないし、肉付きの悪い頬は柔らかさを失い、代わりに触れただけで傷付きそうに脆く赤らむ。穏やかな水色にゆらめく瞳は灰色に淀んでいて、僕と目があったことに気付いて初めてわずかに光を映し、悲しみと怒りの色を薄く滲ませた。
 灰色には覚えがあった。これは動物の目だ。生きることでせいいっぱいで、それしか考えない野生の目。生死の駆け引きを知る者の目。
 そこから察したのは、ごく単純な自然の理だった。

 この肉を食べれば、僕は死ぬ。

 何故、とは考えなかった。殺しあうことは悪いことではない。殺すのは生きるためだ。強い者が生き残るのが世の常で、それは理にかなっている。
 テツヤが僕を殺そうとするのも彼が生きるためなんだろう。それならば不満などない。僕自身よりも彼に生きて欲しい。そう思わせることのできる人間が弱いはずもない。自分が弱者だとも思わないが、彼になら殺されてもいいと思う程度には彼のことを認めているのだ。


 僕が再び肉に喰らいつくのを見たテツヤの瞳には深い青が戻りつつあった。次第に人間味を取り戻す瞳が今にも零れそうに揺らぐ隣で、僕は肉を食べ進めていく。
 僕が死んだ時、テツヤはきっと泣くのだろう。以前よく聞いた子供の泣き声を思い出す。人の泣き声というのは煩くて敵わない。それに比べれば笑っていた方が余程ましだ。だから、

(笑って。)

 それをテツヤに伝えられないことだけが、酷く心残りだ。


 肉に含まれていた毒のおかげか表情筋が上手い具合に動いてくれて、僕は今まで作ったことのない「笑顔」を彼に向けながら生涯を終えることが出来た。





(キミは賢い子ですね。)

(一度、言葉を交えてみたかったです。)

(もしキミが人だったら、どんな本を好むでしょうか…。難しい専門書ばかりで、ボクの方が置いて行かれてしまうかもしれませんね。)

(でも、それでもいい。…キミの思っていることを、聞いてみたかった。)










「何、読んでるんですか?」

 図書室の隅、一番日当たりの悪いその場所は暗くなるのも早いというのに、彼はそれを全く気に留めない様子で本に読みふけっていた。キミにはもっと明るい場所も似合うのに。そう諌めた事もあったが、彼にはどうしてもそこがお気に入りらしい。視線を向ければいつでも彼はそこにいた。

「ん? …秘密。」

 夕陽を片頬に受け止めながら、彼は僕に向かって微笑む。ふと活字を追ってみると見聞きしたことのない専門用語が所々に散りばめられており、ボクはその本の内容について考えるのを諦めた。
 本を閉じ、席を立った彼の後を追う。

「読書が楽しいのはわかりますが、目を悪くしないように気を付けてくださいね。…キミならメガネも似合いそうですが、それとこれとは話が別ですから。」
「わかってる。テツヤを悲しませるようなことはしないよ。」

 今まで読んでいた重厚な表紙の本を元の棚に戻しながら囁くように告げられた言葉は、彼が事ある毎に口にするものだ。それはもう聞き飽きました、態度で表してください。そう返すと彼はいつも満面の笑みを見せた。そして文句を言っていたはずのボクは、それきり黙り込んでしまうのだ。


 同じ景色を見て、同じ風を感じ、同じ空気を吸い込んだ。時折交わす程度の言葉に込められた思いをじわりと受け止めながら、ボクたちは並んで歩く。いつの間にかボクは、彼の隣という居場所に、確かな安らぎを覚えていた。



2014.8.17





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