わすれられないおくりもの(赤と黒)


*1,900キリリク。







みんなが寝静まったお昼過ぎ。陽当たりのいいカーテンの後ろ。
そこは、あの子とあの子のひみつの場所。

静かに。耳を澄ませてみて。

…ね? 二人のおしゃべり、聞こえるでしょう?





 …





ポカポカ。暖かいその場所で、男の子は今日も絵本を読んでいました。いえ、見ていた、という方が正しいかもしれません。男の子はまだ、少しのひらがなとカタカナを覚えたばかり。絵本に書いてある字を全部読み取ることができません。そのため、絵本の最初の一ページを、じぃっと見つめます。
これはどこだろう。この子は何をしているんだろう。
はっきりとした答えはわからなくても、それを考えるだけでわくわくするのです。男の子は絵本に夢中でした。

大きなガラス窓と、同じく大きなクリーム色のカーテンの間。そこは、この男の子の"ひみつ基地"です。そこでは、男の子は誰にも邪魔されず、絵本の世界に入り込むことができました。

一ページ目を見て自分なりに想像したお話をもとに、次のページへと進もうとした、ちょうどその時。自分を呼ぶ小さな声が聞こえました。


「テツヤ」


男の子は絵本から顔を上げます。
今日も来てくれたんだ。
声の方へ向き直った男の子は、にっこりとほほえみます。そして呼ばれたのと同じ小さな声で、こう返事をしました。


「あかしくん。おひるね、さぼりですか?」

「だって、テツヤとふたりきりになれるのは ここだけだからね」


いたずらっぽく笑う男の子。それにつられて、テツヤと呼ばれた男の子も笑います。
それは、二人の時間が始まる合図でした。


「ね。これ、よんでください!」





大きな窓ガラスは外の冷たい風だけを防ぎ、二人の上に明るい光を惜しみなく降らせます。
二人はお互いに、このひみつの場所で見る相手の髪が大好きでした。

テツヤと呼ばれた男の子の水色の髪は陽の光を透き通らせ、それはまぶしさを吸い込んでいるかのよう。
もう一人の男の子の赤い髪は陽の光を反射させ、まぶしさを自分のもののようにまといます。

赤色の男の子の幼い唇が紡ぐ物語は描かれた絵に溶け込み、水色の男の子を本の中へと誘います。

ここにいるのは、ぼくと、きみと、ふたりおそろいのまぶしさと。
それから、絵本の中の住人たち。

包み込むカーテンは、そんな二人の世界を覆い隠すように、そよそよと揺れました。




「そうだ。あかしくん。ボク、『テツヤ』って かけるようになったんですよ」


カーテンの向こう、みんなが起きてしまわないように。一人にだけ聞こえるひそひそ声で、水色の男の子が言いました。


「みててください」


はあ。
息で曇ったガラスを画用紙に、男の子は自分の名前を描いていきます。キュ、キュ。たどたどしく動く指は、小鳥のおしゃべりのような楽しい音を奏でます。
そうして書き上がった三文字は、不格好で、けれど一生懸命で、とても立派でした。


「すごいね、テツヤ! いっぱいれんしゅうしたかいがあったね!」


赤色の男の子はまるで自分のことのように喜び、キラキラの目は『テツヤ』の三文字だけを映します。それが余程嬉しかったのでしょう。水色の男の子、テツヤ君は、ふっくらとした頬を可愛らしいピンク色に染めて、にっこり。


「はい。あかしくんがおしえてくれたおかげです!」


どうやら二人は、ここで字の練習もしていたようです。

二人で曇らせたガラス。赤い男の子が書いたお手本。それを上からなぞる、水色の男の子の人指し指。
指先が冷たくかじかんでしまったら、お互いのほっぺに、ぴたり。「冷たいね」なんて笑って、その笑顔で溶かして、あたためて。

大きな窓いっぱいに広がる透明な『テツヤ』も、この場所と同じ、二人だけが知っているひみつなのです。


そして、テツヤ君にはもう一つ、赤司君も知らないひみつがありました。

はあ。キュ、キュ、キュー。
今度は先程と違い無言のまま、二人で練習したものとは違う形を描き始めた指先に、赤司君はちょこんと首を傾げます。
しかし、その疑問は、すぐに驚きへと変わりました。
大きな目をまんまるにした赤司君は、テツヤ君の水色の瞳をじっと見つめて、口を開きます。


「テツヤ…これ」

「ボクに じをおしえてくれた おれい、です」


『テツヤ』の左側に並んで書かれたのは、赤司君の名字、『あかし』の三文字でした。びっくりして喋れずにいる赤司君に説明するように、テツヤ君は言葉を続けます。


「『せいじゅうろう』は ながくてたいへんかなとおもったのですが…『あ』は むずかしいですね。あかしくんみたいに うまく かけません。でもボク、あかしくんのなまえ、かけるようになりたかったんです。がんばったんですよ!」


赤司君はまだ黙ったまま。初めは得意げだったテツヤ君も、少しずつ不安になってきました。


「もしかして、じ、まちがってますか…?」


字の書き方を教えてくれた赤司君にちゃんとできることを見せたくて、「ありがとう」も兼ねて書いた赤司君の名前。でも、よりによって自分の名前を間違えられたら、赤司君も喜ぶどころではないでしょう。それか、もしかしたら、字がぐねぐねしすぎて読めないのかもしれません。

しょんぼり。
見るからに元気のなくなったテツヤ君は、けれど次の瞬間、また笑顔を取り戻しました。黙り込んでいた赤司君が、テツヤ君の手をぎゅっと握りしめ、今まで見たことがないほど嬉しそうな顔をしたのです。


「テツヤ…テツヤ、どうしてこんな…。
 うれしいよ、すごく。じも まちがってなんかいないよ。ありがとう。ありがとうテツヤ」


赤司君は、嬉しさと恥ずかしさとが混ざったような顔で笑っています。いつもの笑い方と違う。テツヤ君はそう感じました。
普段、この赤司という男の子は、それは綺麗に笑うのです。かわいいとかかっこいいとか、そうったものを全部飛び越えたような、完璧な笑顔を見せるのです。そんな赤司君の笑顔が、テツヤ君は大好きでした。
でも、と、テツヤ君は思います。

今日の笑顔の方が、もっと大好きかもしれない、と。



二人はテツヤ君が書いた名前の方を同時に見ました。仲良く隣にいる『あかし』と『テツヤ』。ガラスに書かれたその名前は、すでに消えかかっています。
でも、二人は知っているのです。透明になってしまっても、あたたかい息を吹き掛ければ、また同じものが現れることを。

こんな風に二人笑い合ったこと、感じたこと、つないだ手のひらのやわらかさ。全部、いつかは忘れてしまうかもしれません。けれど、それはなくなってしまうわけではないのです。見えなくなるだけで、そこに確かにあるのです。


手をつないだまま笑いあう二人には、そんな"あたりまえのこと"が、ちゃんと見えていました。





(『あかし テツヤ』…。こうしてならべると、なんだか きょうだいみたいですね)

(そうだね。テツヤと おなじいえで いっしょにくらせたら うれしいな)

(それ、たのしそうです! いつか そうなったら いいですね…!)







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