雪うさぎ(赤と黒)

*人外です。







ある冬の朝の事。
雪うさぎは、公園のベンチで、ひとり空を眺めていました。

自分で動く事の出来ない雪うさぎには、そこから見える景色が世界のすべてでした。
けれど雪うさぎは、その小さな世界をとても愛しく思っていました。


時折訪れるやさしい風は、公園に遊びに来た人たちの声を連れ、雪うさぎの耳をぴょこ、と揺らします。
楽しげな声。嬉しそうな声。泣いている声。拗ねている声。
そのどれもが生き生きとして、聞いているだけで、自分も元気にはしゃぎ回っているような、不思議な感じがするのでした。



雪うさぎは、自分が『雪うさぎ』である事を知っています。

自分の目が丸くて赤い木の実である事も、耳が葉っぱである事も。
自分が雪で出来ている事も、キラキラと輝く真っ白な雪が冷たい事も、衛生的には決してきれいなものではない事も、知っています。

それでも、いえ、だからこそ、雪うさぎは寂しいとは思いません。

ただ、自分と同じひとりぼっちの大きな空を、ずうっと眺めているのでした。




どれくらいの間、そうしていたでしょうか。

さく、さく、さく。
ふと、積もった雪の上を歩く軽い足音が聞こえました。

音に気付いた雪うさぎが真上に向いていた視線を少し下げると、目の前に小さな男の子が立っていました。

真っ赤な毛糸の帽子のてっぺんではまるいボンボンが揺れ、帽子の隙間からは、つい先程まで眺めていたのと同じ色の髪が覗いています。
自分と空のようなそのふたつの色を、雪うさぎは素直に、綺麗だ、と思いました。


「うさぎさんですか?」


まるで鈴のような高く澄んだ声で、男の子が尋ねます。
けれど、答える口のない雪うさぎには返事をする事ができません。

男の子は首を傾げ、そのまましばらく黙っていましたが、何かいい事を思い付いたのでしょう。小難しそうにきゅっと結んでいた口を開き、つぼみが綻ぶような笑顔で言いました。


「うさぎさんかどうかわからないので、きみは『あかしくん』です! おめめのあかと、からだのしろで、あかしくん!」


寒さでうるんだ大きな目を細め、雪うさぎに向かって何度も「あかしくん」と呼びかける男の子。とても得意げなその子から、雪うさぎはなぜか目を逸らす事ができませんでした。

初めにその名前を聞いた時、雪うさぎは確かに、なんて単純な名前なのだろう、と半ば呆れ気味でした。
でも時間が経つにつれ、からだの奥が何だかポカポカしてきたのです。

思えばそれは、雪うさぎにとって初めての"名前"でした。


「あかしくん。なでなでしてもいいですか?」


返事を促すようなふわりとした風に、雪うさぎの耳が揺れます。
その動きを「いいよ」という合図と受け取ったその子は、帽子と同じ赤い手袋を慣れない手つきで外し、ぷっくりとした小さな手を雪うさぎに乗せました。

ああ、あたたかい。

背中に触れたやわらかな手に、雪うさぎがそう感じた瞬間の事です。
男の子の手がぴくっと震え、元から大きな目がさらにまるく見開きました。

雪うさぎは、自分が雪で出来ている事を思い出しました。

きっとこの子は、自分のあまりの冷たさに驚いたのだろう。見た目が整って見えるばかりに、自分はこの子の小さな手を冷たくしてしまった。優しさに甘えて、あたたかさを奪ってしまった。
ごめん。ごめんね。

謝りたくても声は出ません。
雪うさぎは悲しくなりました。

すると、男の子の方から「ごめんなさい」という声が聞こえたのです。


「あかしくん、つめたいです。さむいですか? ぼく、きづかなくて…ごめんなさい」


雪うさぎは驚きました。男の子が驚いたのは、手が冷えたからではなかったのです。


「これで、すこしあったかくなりますか?」


ぽふ。
雪うさぎの背中に何か軽いものが置かれました。それが触れた部分からじんわりと熱を感じた雪うさぎは、自分の背中に置かれたものが、先程まで男の子の手にあった赤い手袋だと気付きました。


「かたほうずつ、はんぶんこです!」


そう言って笑う男の子が、雪うさぎにはおひさまのように見えました。



それから少しの間、雪うさぎはまた、男の子の話を黙って聞いていました。その子から目を逸らせない理由は、もうわかっていました。

やがて、男の子を「テツヤ」と呼ぶ優しい声と共に、男の子は帰っていきました。手袋を片方置いたまま、「また明日」という言葉を残して。


再び男の子に会える"明日"が自分には来ない事を、雪うさぎは知っていました。男の子が置いていってくれたあたたかさが自分には不釣り合いなものである事も、背中を伝い落ちる雫から、切に感じていました。

それでも、願わずにいられません。

明日も明後日も会いたい、と。



雪うさぎは祈りました。


僕に、あの素敵な名前を呼ぶための口をください。「ありがとう」と言える声をください。
冷えてしまったあの男の子、テツヤの手をあたためられる体温をください。

僕は、似合わないほどの幸せを手に入れてしまったのです。黙ってここにいるだけなのに、冷たく凍えさせるだけなのに。それが許されるほど綺麗なものでもないのに。
表面だけ綺麗に見せかけていたとしても、内側にはどんな汚いものか隠れているか、自分でもわからない。

だからせめて、そんな僕にあんな素敵な贈り物をくれたあの子に、お礼がしたいのです。


それが叶わないなら、どうか。

僕に名前をくれた君が、どうか自分の名前に誇りを持てるように。
僕にあたたかさを教えてくれた君が、どうか凍えずに暮らせるように。

そしていつか、溶けて水になった僕が、今度こそ君の役に立てるように。



キラキラと光りながら落ちていく水滴を黙って見守りながら、雪うさぎはひたすら祈りました。
そして、少しずつ、少しずつ、小さくなっていきました。






翌朝。
男の子が公園に行くと、赤い手袋が片方だけ、ベンチの上にぽつんと置かれていました。


「あかしくん、どこかへあそびにいってしまったんでしょうか」


少し湿った手袋を手に取り、男の子は首を傾げました。


ひとりぼっちの大きな空は、昨日と同じ色で、辺りを包んでいました。







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