選択(黒赤)

*あまり黒赤っぽくありません。
*成人済みで同棲しています。他にも色々捏造ありです。
*誹謗・中傷の意図は一切ありませんが、倫理的な問題に触れています。読んでいて気分を悪くする方もおられるかもしれません。先に謝っておきます。







自分を『僕』と呼ぶ、もう一人の赤司くん。

彼の初対面での印象は最悪に近かった。
その狂ったような瞳に違和感しか感じる事ができなかったボクは、キミなんて赤司くんじゃない、ボクが好きになった『俺』の方の赤司くんを返せと、ひたすら拒絶した。
その度に彼は、テツヤが幸せになるには僕でないと駄目なんだよ、と悲しそうに笑った。

そんな状況が続くうちに、ボクは彼も赤司くんなのだと思えるようになっていった。表情や言動が違っても、その奥に流れている本質は、自分がよく知っている彼と変わらないものである事に気付いたのだ。

ボクは彼を受け入れた。彼は何度も「ありがとう」と言ってくれた。


その日以降、赤司くんから苗字で呼ばれた事はない。




 …




野菜を刻む軽快なリズム。熱いフライパンに飛び込む卵の一瞬の声。決定的な目覚ましになったのは、トーストが焼き上がる高い音。


「おはようございます、赤司くん」


手を忙しく動かしたまま、赤司くんは顔だけをこちらに向け「おはよう」と返してくれる。テーブルの上に次々と並べられていく料理。経験の浅さなど感じさせないその手際の良さには、毎度の事ながら感心せずにはいられない。

いつもボクより早起きな彼だがその分早く寝ているわけでもなく、就寝時刻はボクと同じだ。勿論それは昨日も例外ではなく、彼が寝入ったのを確認してからボクが眠りにつくまでの時間はほんの数分だった。それなのに、ボクが目を覚ますといつでも彼の姿は既に隣になく、テーブルにはいつの間にか温かい朝食が用意されている。

料理だけでなく、赤司くんは家事全般をそつなくこなす。それに甘えて彼一人に任せきりにしてしまうのを申し訳なく思い、せめて朝食作りを当番制にしようと進言した事もあった。しかし「僕にやらせてくれ」と頑なに言い張る彼の表情はどこか楽しそうで、それが決して"仕方なく"の行動ではないのだと語っていた。ボクはそれ以上、何も言わなかった。



「テツヤのお祖母さんがくれる野菜は本当に美味しいな。つい、つまみ食いをしてしまう」


鍋で湯気を立てているスープの味を整えながら、赤司くんは一人言のように話し掛けてきた。どうやら今日のスープの具は祖母が送ってくれたキャベツのようだ。

数年前から家庭菜園を始めた祖母は、今ではすっかり野菜作りの魅力に取りつかれてしまったらしい。一年を通して何かしらの野菜を栽培し、そのうち良くできた幾つかをボク達の所へも送ってくれる。ボク達は、それをありがたく受け取っている。家計が助かるというのも然る事ながら、赤司くんは特に、その味に魅せられているのだ。


いつだったか彼は、僕は食事を楽しみに思った事はない、と口にした事があった。それは腹を満たすための行為で、それに栄養摂取以外の意味など求めないのだと。

そんな彼が初めて祖母の野菜を食べた時の表情は今でもはっきりと思い出せる。サラダのトマトを口にした瞬間、赤色と金色の瞳を小さな子どものようにキラキラと輝かせ、「トマトというのはこんなに美味しいものだったんだね…」としみじみと呟いた。僕はその変化に驚き、同時に見とれた。彼の生きた表情というのは、滅多に見られるものではないのだ。
ボクが祖母の野菜にあれほどの感謝の念を抱いたのは、その時が初めてだった。そして思えば、食への関心が薄い彼が自ら食事作りを買って出たのも、祖母の野菜を初めて食べたその頃だったかもしれない。


「ありがとうございます。祖母も喜びます」

「何かお返しができれば良いんだけど」

「キミのその言葉だけで十分ですよ」


そう会話しながら、ボクは久しく会っていない祖母の姿を頭の片隅に思い描く。

大きく感じていた祖母は、いつの間にかボクよりずっと小さくなっていた。それはボクが成長したからでもあり、まっすぐ伸びていた祖母の背が丸くなったからでもある。
生きている以上誰でもそうなるのだ。そう頭では理解していても、決して遠くない別れを現実のものとして突きつけられると、何処か申し訳ない気持ちになった。


…祖母へのお返し。
本当は、祖母が望んでいた事を、ボクは知っている。


「死んでしまう前に、是非、テッちゃんの孫の顔を拝みたいね。大きくなったテッちゃんが大好きな人と結婚して、子どもが産まれて。男の子でも女の子でも、テッちゃんに似て可愛い子なんだろうねぇ…」


バスケに出会うずっと前、まだ幼いボクの頭をゆっくりと撫でながら、祖母はそう呟いた事があった。ボクは少し照れながら「楽しみにしていてください」と答えた。

孫の幸せを想う、他愛無い願い。未だヒーローの存在を現実のものとして信じていた子どもが見た、大人になった自分とその家族の夢。

想いを裏切ったつもりはない。ただ結果的に約束を破る形になってしまっただけ。高望みでも何でもない平凡な望みを、非凡な仕方で、叶わないものにしてしまっただけ。


赤司くんとの関係を隠しておく事に堪えきれなくなって二人で打ち明けに行った時、両親は戸惑い否定しようともしたが、祖母がボク達を咎める事は一切なかった。驚きつつもすぐにいつもの穏やかな笑顔に戻り、「たった一人の大切な人を見付けたんだね。おめでとう、テッちゃん」と祝福してくれた。その言葉に棘はなく、その微笑みはひたすら優しかった。それなのに責められているように感じてしまったのは、言葉の中に祖母の"嬉しい"が含まれていなかったからか、大切な家族を信じ切れないボク自身の弱さのせいか。

赤司くんはその時、そんなボク達を黙って見つめていた。




「お待たせ」


コト。心地よく響く音と共に、野菜たっぷりのスープが食卓に並ぶ。赤司くんもエプロンを外し、ボクの向かい側に腰掛ける。その目が送ってくるのは、食べよう、という合図だ。


「いただきます」

「いただきます」


温かいスープに口をつける。口中に広がる野菜の甘みと適度な塩加減。野菜をくれた祖母と料理を作ってくれた赤司くんへの感謝も同時に味わいながら喉へと導くと、それは腹から全身へとボクを温めてくれる。


「美味しい…」


思わず口を突いて出たボクの一言に赤司くんは目を細め、「良かった」と囁いた。その表情があまりに綺麗で眩しくて、直視できないボクはスープに夢中なふりをした。


野菜本来の甘みが溶け出たスープは、今のボク達の生活のよう。優しくあたたかい、幸せの味。

だから、その中で呟かれた赤司くんの「テツヤ」という呼び声にも、ボクは安らぎしか覚えなかった。
続く言葉を聞くまでは。


「昨日、病院に行ってきたんだ」


箸を持つ手が無意識に止まる。
赤司くんが病院へ。いつもと変わらないように見えていたけれど、体調を崩していたのだろうか。だとしたら悪い事をした。そこは恋人として見過ごしてはいけない事だ。いち早く気付き、労わるべきだった。いや、そうありたかった。…そうだ。もしかしたら、今も辛いのかもしれない。

咄嗟に「すみませんでした」と答えたボクに、彼は微笑む。いつもと同じようで、いつもとは全く異なる彼の表情。それに違和感を覚えた。

ボクは今まで、彼がこんなに穏やかな顔で笑うのを見た事がない。それが何故このタイミングでそんな顔をするのだろう。どうして、滅多に体調など崩さない彼が自分から病院に行ったと打ち明けた、このタイミングなのだろう。

ボクの中で募る不安など気付いていないように、彼は話を続ける。


「別に体調が悪いわけではないんだ。
…実はね、テツヤには黙っていたけれど、僕は男じゃない。女なんだよ。それが、医者からも正式に認められたんだ。性同一性障害という病気があるのは知っているだろう?」


同意を求めた彼に応え、頭の整理が追い付かないままに首を縦に振る。そのぎこちない動きを確認した彼は、この状況をボクが理解しきれていない事にやっと気が付いたとでも言うように「ごめん。性急だったね」と謝罪し、説明を始めた。


「生まれた時、僕は男だった。それは疑いようのない事実だよ。そして、物心がついてすぐの頃だったかな。そのままではいけない気がしたんだ。そう遠くない将来、自分が求めるであろう人物を手に入れるには、"そのままの僕"ではいけないと。そうして、"女の僕"が生まれた。けれど、その人物との出会いは"男の僕"でなければできないのだろうとも思っていた。だからずっと、『赤司征十郎』は二人だったんだよ。
テツヤに初めて会った時、この人だと直感して、それから僕はずっと、現れる機会を窺っていた」


一息で話す彼は、しかし息を乱したり、感情を昂らせる事はない。あくまで淡々と、過去を語る。


「テツヤの前に初めて現れた時、テツヤは僕を拒絶したね。悲しかった。もう一人の僕がテツヤのために僕を望み、そうして僕はテツヤのために生まれた。テツヤからの拒絶は、僕達の存在意義を全否定されたも同然だから…それこそ、二人まとめて消えてしまおうかと考える程度には辛かったよ。
でも、僕の幸せはテツヤの幸せでもあるのだと信じたかった。僕を幸せにできるのがテツヤだけなのと同じように、テツヤを幸せにできるのも僕だけなのだと、ね。
それを信じて、必死で足掻いて…そして、テツヤは僕を受け入れてくれた。嬉しかった。…安心、した。

二人でテツヤのご両親に挨拶に行って、お祖母さんと話すテツヤを横から見た時、確信したよ。ああ、僕達の選択は間違っていなかったんだって」


静かに紡がれる事実と、彼の奥で渦巻いていた想い。

知らなかった。気付けなかった。
彼は…いや、彼らは、ずっと二人で悩み続けていたのだ。当事者であるはずのボクには何も告げずに、ただボクの幸せを願って。


「性同一性障害の人には、戸籍上の性別を変える権利が与えられている。勿論その前に性適合手術を受けなければならないから、少しだけ時間はかかるけれど。…でもそうすれば、テツヤと正式な夫婦になれる。養子だってもらえる。お祖母さんを悲しませる事など、なくなるんだ。
もう一人の僕には消えてもらったよ。"僕"がオリジナルであるために。だから彼はもういない。
でもテツヤ、悲しまなくて良いんだよ。それは彼の望みでもあったんだから。
僕とテツヤが名実共に夫婦になる事。僕達3人とも、それを望んでいた。想いが重なるというのは素敵な事だね。きっと何でも出来る。何も怖くない」


ボクは今、どんな顔をしているのだろう。ボクの望みは、果たして彼らと同じだったのだろうか。本当に、一人の人格を犠牲にしてまで、この小さな漠然とした罪の意識を癒したいと思っていたのだろうか。
頭の中がぐちゃぐちゃで考えがまとまらない。
けれど、もしそうだとしたら、ボクはなんて酷い人間なのだろう。自分の大切な人の苦しみに気付きもせず、決して自分の手を汚さずに、望む結末だけを手に入れて。


「赤司くん…赤司くん、ごめんなさい…」


謝らなければいけないと思った。目の前にいる彼と、もう存在しない、もう一人の彼に。

けれど、目の前の赤司くんはボクの謝罪を優しい笑顔で制止し、囁く。


「テツヤ…僕はね、テツヤのためなら、何だって捨てられるんだよ。赤司の名も、性別も、自分自身も。僕の全てはテツヤのものだから。それが、僕の幸せだから」


だから、と彼は続ける。

迷いなく、淀みなく、そして静かにボクに流れ込んでくる彼の想い。
ボクはそれをしっかりと受け止める事が出来るのだろうか。ボクは彼の、この全身全霊の愛に相応しい人間であれるだろうか。


「僕のものになってよ、テツヤ。」


ああ、でも。こんな不甲斐ないボクを、彼が望んでくれるならば。


自分の中で渦巻く不安を無理矢理抑え付け、ボクは「はい」と答えた。

未だ温かく立ち上るスープの湯気だけが、この目まぐるしい感情の変化が一瞬の出来事であった事を見せ付けるように、二人の間でゆらゆらと揺れていた。







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