サラダ記念日(黄緑)
あれは確か、昼前頃だったか。
午前の練習を終えて携帯を見ると、珍しくメールが届いていた。
今日遊びに行っても良いッスか?
聞き慣れたその口癖に少しの懐かしさを覚え、好きにすれば良い、とだけ返すと、すぐに返信が来る。
今は部活のため外出している事、午後は練習がないから昼過ぎには家に帰れる事などを記したメールを送信し、その後届いた返信は無視して帰り支度を始めた。
それだけ伝えれば十分汲み取ってくれる。
あの男は、そういう所は信頼できるのだ。
「緑間っちの家、久しぶりッスねー。お邪魔しまーす」
想定通り丁度良いタイミングで現れた黄瀬は、俺の家に入るなり、台所を借りても良いかと尋ねてきた。
断る理由もないためそれに許可を出し、台所に黄瀬を置いたまま自分の部屋に戻った。
黄瀬がこうして家に訪ねてくるのは始めての事ではない。
多い時にはそれこそ週に三日程、何かと理由を付けて遊びに来ていたのだ。
ただ、黄瀬が神奈川の高校に通い始めてからは以前のように帰宅途中に家に寄る事もなくなり、ここ数ヶ月は連絡を取る事さえしていなかった。
今回もきっと、ただの思いつきなのだろう。
それでも、今日こうして俺の事を思い出し家まで来てくれた事は、それなりに嬉しかった。
…口に出しはしないが。
「お待たせー。はい、どーぞ!」
しばらく経った頃、黄瀬は透明な器を持って現れた。
中に盛り付けられていたのは、色とりどりの野菜。
「…サラダ?」
「そうッス♪」
食べてみて。
そう言われ、箸をつける。
「ドレッシングは作ってみたんスよ」
成る程、市販の物にしては自分の好みに合いすぎる。
炒めた玉葱がベースになったそのドレッシングは普通の物よりも幾分甘めに仕上がっていて、俺の好みを熟知した黄瀬ならではの味だと感じる。
それは間違いなく、今まで食べた中で一番美味しかった。
どうッスか、という問いに悪くないと答えると、黄瀬はとろけた笑みを浮かべた。
「良かった!じゃあ、今日はサラダ記念日ッスね!」
「サラダ記念日?」
「あの有名なやつッスよ。『この味がいいねと君が言ったから』って。あれ、俺結構好きなんス。何かこう、幸せです!って感じで」
実はちょっと理想だったりするんスよね。
さらに言葉を続けながら、黄瀬は照れたように笑う。
「真似になっちゃうけど、俺たちもそーゆー小さい記念日をたくさん作れたらいいな、って」
小さな記念日をたくさん作る。
それはつまり、これからもずっと一緒にいたいと思ってくれているという事でもある。
俺たちだけの他愛ない記念日を、毎年、祝っていく。
黄瀬はきっと、そんなありふれた記念日一つ一つのために毎回そわそわと落ち着かなくなるのだろう。
緑間っち、今日は何の日だか覚えてる?
俺はそんな質問に素直に答える事はできないだろうが、きっと黄瀬はそれすらも察して、いつもの、力の抜けた笑顔を見せるのだ。
「ふん。せいぜい忘れないように気を付けるといいのだよ」
素直になれなかったその返事の奥に同意の意思を読み取った黄瀬は、俺が想像した未来と同じ笑顔で笑ってくれた。