人生リセットボタン(赤→←黒)

「黒子君」


その呼び方に、何故か違和感があった。




 …




今までにも何度か、それを意識した事があった。
デジャヴというものだろうか。
人が言った台詞に聞き覚えがあったり、次に自分が何をすべきか何となくわかったり。
日常のふとした瞬間に、同じ状況をもう何度か経験していたような感覚に陥るのだ。


違和感の正体を確信したのは、彼が、赤い鋏を手にした時。

合宿中、夜中にふと目を覚ますと彼の枕元にそれが転がっていて、朝起きた彼がそれを大事そうにしまうのを見て、理解した。

彼の手にあるそれが、この世界の鍵。
それを握っている彼がこの世界の主で、彼がこの世界を"間違い"だと思った時に、その鍵は"リセットボタン"として使われる。

つまり、この世界は、彼のためにあるのだ、と。



もう何度も、彼は人生をやり直しているらしかった。
完璧、絶対を求めて試行錯誤しつつ、同じ道を辿る。
少しでも間違えたら、もう一度。
繰り返し、繰り返し。
何百年、何千年。

勉強ができるのも、バスケが上手いのも、きっとその繰り返しの産物なのだろう。
未来が見える、それも当たり前だ。
既に何度も経験した事なのだから。

何万年、何億年、何兆年。
そんな気の遠くなるような長い期間、彼は自分が望む人生を手に入れるために努力し続けてきたのだ。


それでもまだ、理想には届かない。
彼が思い描く未来には、程遠い。



十分過ぎる程、何もかもを持っているように見えるのに。
キミはこれ以上、何を望むのですか?
キミの幸せとは、何ですか?



「…どうしてお前は、そんな悲しい顔をしているんだ」


キミの方こそ、そんな辛そうな顔をしないでください。
ああ、もしキミが、"次"ではなく"今"だけを見てくれたなら。


「どうして、幸せそうに笑ってはくれないんだ」


キミが見た事のない、間違いだらけでも確かに幸せな未来を、キミと一緒に描いて行きたいのに。


「何が足りないんだ?」


気付いて、赤司くん。
キミはいつだって、間違ってなんかいなかったんですよ。
キミは何だって持っている。
ただ、手にした幸せに気付けないだけなんです。


「…この人生も、駄目だったのか」


違う、駄目なんかじゃないのに。

…やはり、この世界でも、この声は届かないのですか。
また終わってしまうならば、どうか、せめて。
最後に、初めて会った時のあの笑顔を、ボクに見せてください。
それを見て初めて、ボクは幸せを感じる事ができるのです。

それが、ボクの唯一の望みです。






「さようなら、テツヤ。…またな」






僕と親しくなるにつれ沈んでいくテツヤの表情。
僕が話し掛けるだけで溢れそうに揺れる水色の瞳。

どうすれば、僕はお前を幸せにできるんだろう。
どうすれば、お前を初めて見付けた時のあの笑顔を、また見せてくれる?

間違いを何度も繰り返しながら、それでも僕が願うのは、テツヤ、お前の幸せな笑顔だよ。
ただ、それだけなんだ。

それだけなのに、どうしても、それが手に入らない。
他の物は何でも手に入るのに、それだけは、僕から逃げていくんだ。


どうすればいいのだろう。
まだ試していない選択肢は…?




ああ、僕がいない世界、という選択肢は、まだ経験した事がなかったね。
僕がいるから、お前は幸せになれないのかな?
それならば、次は。

…いや、やはりもう少し、寄り道してしまおう。
ただの我儘になってしまうが、やはり、お前の幸せを間近で見ていたいから。
これまでに費やした時間を思えば、正解に辿り着くのは、まだ先でも構わないだろう?




(キミのいない世界。それは本当に正解なのですか?
もし間違っていたなら、そこでは、誰が、リセットボタンを押すのですか?

その時にはもう、やり直しは、効かないのですよ)




 …




「黒子君」


その呼び方に、何故か違和感があった。


「キミは、ボクの事を名前で読んでいませんでしたか?」


―この世界のお前には、その記憶があるんだね。
嬉しいよ。


「いや。そもそも名前を呼んだのは、これが初めてだ」

「そう、ですよね…すみません」



そう。
"この世界"は、まだ始まったばかりだ。



さあ、足掻いてみようか。


この狂った世界で、狂いきれない僕の願いを、今度こそ叶えるために。





BGM:kemu『人生リセットボタン』




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