愛情表現(赤黒)

 突然、僕の左手はテツヤに捕らえられた。僕が振り払わないのをいい事にだんだんと強い力で締め付けてくるテツヤの温かい手は、僕の手の甲に爪を立て、痕を描く。

「嬉しいですか?」

 微かに頬を弛め、テツヤが呟く。
 痛みを与えられる事そのものが嬉しいかと聞いている訳ではないだろう。それに対する答えならば、わざわざ聞かなくてもわかっているはずだ。痛みに嬉しさを感じるほど僕の脳は狂ってはいない。
 それならば、テツヤが聞いたのは、"彼が与える"痛みを嬉しいと思うかどうか、だ。

「どうかな。…あぁ、でも、少し嬉しいかもしれないな。」

 テツヤの表情の変化を見られるから。
 そう言うと、テツヤは幼い子供のような笑顔を見せた。
 そうですか、それは良かったです、…そうですか。
 ひたすら繰り返しながら、僕の左手を閉じ込めていたテツヤの手の力が緩められる。それに伴い、今まで爪が刺さっていた所も解放されて、付けられた弧が姿を表した。元の色をすっかり失ったその紫色は、周りの肌色によく映えている。

(ああ、意外に綺麗だ。)

 一瞬だけ頭を過ったその考えは振り切り、少しの間失われていた痛覚を手繰り寄せる。すると、少しずつ、痺れるような、脈打つ痛みが戻ってきた。
 黙って手の甲を見つめる僕をどう思ったのか、テツヤもその痕を眺めつつ嬉しそうに呟く。

「いつまで残るでしょうね。」

 傷つけた事に対する罪悪感など決して含まれないその声色に、軽く目眩がした。







 テツヤは時々、こうして僕に傷を付けようとする。それは彼なりの愛情表現であり、後には決まって尋ねられるのだ。「嬉しいですか?」と。
 元々気まぐれな奴だからと大して気に止めなかったが、それが度重なるとさすがに気になるものだ。

 ある時、理由を聞いてみると、テツヤはしばらく黙った後にこう答えた。


「ボク、基本的に自分の事は信じてないんですよ。」

 キミの事は確かに好きだし、大事にしたいとも思ってるんです。でも、その感情は確かなものか、本当に"好き"なのかと聞かれたら、正直自信がない。ボクの考えが絶対正しいなんて有り得ない、そう思ってしまうんです。そして、ボクの思う愛情表現がキミを大事にする事なのかどうかも、わかりません。『自分がされて嬉しい事をすればいい』と言われた事もありますが、ボクはキミから与えられるものなら何でも嬉しい。そもそも普通以下のボクと完全無欠なキミが同じ考え方をするわけもありませんし、同じものを与えようだなんて身の程知らずにも程があります。
 だから、教えてほしいんです。
 ボクの行動は、キミが好きだと表せているか。そして、キミは何を嬉しいと思うのか。
 絶対的な存在であるキミの言う事なら、ボクは全て信じる事ができますから。


 それは最早"崇拝"に近い愛なのだと感じた。自分を必要以上に卑下し、僕を雲の上の存在に仕立て上げて。
 傷付けるのは、僕を身近に感じたいからなのだと思う。涙や傷などテツヤにとって見慣れたものを僕の身体にも見る事で、僕も同じ人間だと感じたかった。僕を身近に感じたかったのだ。

 何て、愛しい。

「馬鹿だな、テツヤは。」

 テツヤに近付きたいのは僕も同じだというのに。







「ボクの"好き"、伝わりました?」

 赤く腫れた僕の手の甲をいたわるように優しく撫でるテツヤの手から、先程のような狂気は感じられなかった。時折触れる傷から伝わる痛みを甘受し、僕はゆっくりと頷いた。

 狂っているように見えても、これはきっと正しい愛情表現だ。
 だってお前は、僕の利き手までは傷付けなかったのだから。

 僕のその思いまでは知らないまま、テツヤはまた満足げに微笑んだ。








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