眠れない…。
眠れなかった原因が何だったのかが分かったとしても結局なんの問題も解決になっていない事に俺はため息を漏らした。

…やはり、あの匂いか…。

それは徹ちゃんの匂い。太陽の様な、優しくてどこか懐かしい匂い。

そう言えば、徹ちゃんの家に初めて泊まった日は、徹ちゃんの服を着ていたのを思い出した。
確か、制服のまま家に帰らないまま徹ちゃんの家に行ったから服を貸してくれたんだよな…。
あの服は徹ちゃんに2度目に会った時に着ていた服だった気がする。
もう二度と行かないと思っていた矢先、また自転車がパンクした時に着ていた服。腕の部分に黒い線が入った…。

自分が今着ている服が徹ちゃんの服だと思うと、洗ったばかりの匂いの中に、どこか懐かしく思える徹ちゃんの匂いがしてくる様な感覚がした。
それはまるで徹ちゃんに後ろから抱き―…って何考えてんだ。俺は…。

とりあえず眠れない原因は分かったんだ。
要は徹ちゃんの匂いの付いた何かを抱いて寝ればいいのだろう。
たとえば徹ちゃんのシャツとか、タオルとか…って十分変質者な気がするが…それ位切羽詰まっているのだから仕方がない。

……にしても、もう限界だ。
徹ちゃんが身に着けていた物でもいいから何か…。

「と、徹ちゃん…。すまないが、服を一枚貸してくれないか…」

我慢出来ずに言ってみてふと焦った。
直球過ぎないか?今のは…。いきなり服を貸せだなんて変に思われないか…?

「服?寒いのか?夏野。ちょっとまってろ」

「え、あ、あぁ…」

そう思ったが徒労に終わった様だった。

……助かった。

さすが徹ちゃんと言うべきなのか…。

「これでいいか?」

「ん…ありがとな」

受け取ったのは徹ちゃんの長袖の前開きのシャツ。
前に徹ちゃんが着ていたのを見た事があった。

……どんな匂いがするだろう。

寒くは無いのだが、匂いを嗅ぐ為に借りたなど知られるわけにはいかない。
まずは怪しまれない為にも一応羽織ってみる事にした。

「大丈夫そうか?」

「あ、あぁ…」

「そうか」

笑みを一つ見せて徹ちゃんがまたゲームし始めた。
その隙をついてさりげなくそのシャツの匂いを嗅いで見る。

…駄目だ。当たり前だが、洗い立てのいい匂いしかしない…。
あの時と今じゃ違うと言う事か…あの匂いを直に嗅いでしまった今では。
この服着て徹ちゃんのベッドにねっころがれば問題は無いかもしれないが…。
そもそも俺の布団は用意されてる手前そうは行かない。

…あの匂いが嗅ぎたい…。あの時みたく、直に徹ちゃんの匂いをかぎたい。徹ちゃんの首筋に顔を埋めて…それが無理なら今見ている徹ちゃんの服を奪って持ち帰りたい。

――最近どんどん欲求が強くなっている気もする。
変態にも程があるだろ…。

……にしても本当にいい匂…

「夏野?」

「んー…?だから名前を呼ぶなって…」

何か…徹ちゃんの声が近い様な…。

ん、近い?

「う、うわぁ!」

気づけば徹ちゃんの首筋に顔を近づけて匂いを嗅いでたらしい。
驚いた表情の徹ちゃんの顔がもの凄く近い位置にあった。

無意識とは言え何してんだ…俺!

「どしたー夏野。そんなに鼻クンクンさせて。何か匂うか俺?」

そう言いながら徹ちゃんは自分の匂いをクンクン嗅ぎ始めた。
しまいには今日の夕食がカレーだったからなぁと言い始める始末。
いや、自分の体臭は自分ではよく分からないだろう…。
あとカレーと加齢臭をかけて一人でショックを受けるな。
加齢臭はまだしてないから安心しろ。

…じゃなくて。

「…そうじゃなくて」

「ん?」

「その…」

何て言えばいいんだ。
正直に言うべきか…?
徹ちゃんの体臭がいい匂い過ぎて思わず嗅いでしまったと?

――いや、駄目だろ。

ても匂いを嗅いでたのは事実な訳で…くそ、仕方がない。

「…いい匂いがしたんだ。それで思わず…」

徹ちゃんの体臭がとはさすがに言える訳がない。
でも首筋に顔を埋めてた時点で言っている様なものかもしれないが…。

「いい匂い?あぁ、お前もいい匂いするよな、シャンプーの匂いって言うか…」

「は…?…っ!」

クン、と逆に徹ちゃんが俺の首に顔を近づけて匂いを嗅いだ。
そうすれば、徹ちゃんのふわふわした髪の毛が顔や首にあたって、あの匂いが俺の鼻を一瞬掠めた。

…もう、駄目だ…。

「ふぁ…」

「お、眠いのか?」

「う、ん…その匂い…駄目…眠気が…」

呂律が上手く回らない。しかも頭も回らなくなってきた。
自分で何を言ってるのかさえ把握できて…

「よっ、と」

「ん!?う、うわぁ!」

あと少しで眠りに入りそうだった所が徹ちゃんの掛け声と同時に宙に浮く体。
いきなり抱き抱えられ、そのまま運ばれれば行き先はベッドの上。

「な、な、何を!?」

「お前、軽いなーちゃんと飯食わないと駄目だろ」

「軽いって…人の勝手だろ!てか、何、運んでるんだよ徹ちゃん!」

状況がいまいち把握出来てないままベッドが二人分軋みを無し、そのまま止まった。
勿論、徹ちゃんは俺を抱きしめた体勢のまま。

「と、徹ちゃん!?」

何だ…何が起こってるんだこれ…!?
前々から抱き癖があったのは知っていたが、これはさすがにっ!

「…ほら、これでお前は匂いを嗅ぐことが出来るし、俺はお前のぬくもりで寝れる」

「な…」

「にしても、お前の毛並みっていいよなぁ…いい匂いだし、艶々してるし、撫でると気持ちいい」

「人を猫みたいに言うな!」

「んふふ、寝れそうならこのまま寝ていいぞ、夏野。最近また眠れてなかったんだろ?」

「う…」

お見通しだったと言うわけか…。

少しだけため息をつけば、徹ちゃんの匂いに触発されて再び眠気が舞い戻ってきた。

あ、だめだ。もう寝る…。

待ち望んでいたものを得られた所為か俺は抗う事もせず、その言葉に素直に甘えて気持ちのいい眠りへと落ちていった。


……あぁ、やっぱり寝心地がいい。



*


――そんな訳で。
それ以来、徹ちゃんの家に泊まりに行く度に自然と俺は徹ちゃんと一緒に寝るようになった。

「ほら、寝るぞ夏野ー。」

「だから名前を呼ぶ…って、そう言えば最近、布団使ってないけど変に思われていないか…?」

布団とは、俺が泊まりに来る度に用意してくれていた布団の事だ。
昔から正雄含むこの家に泊まりにくる人が多かったらしく、予備がいくつかあると聞いていた。

「何がだ?」

徹ちゃんは俺の言った意味を理解出来ていないらしく、きょとんとした表情を見せた。
まぁ俺自身、明確な言葉を避けてあえて濁らせて言ったのだから仕方がない。
あまり口に出すのも気恥ずかしいが…一応気になったので違う言葉で置き換えてみた。

「いや、俺、もう何回も徹ちゃん所で泊まっているけど来客用布団使ってないから変に思われてないか?お、小母さん達とか…」

一緒に寝ている以上必要無いのは確かなんだが、泊まりに来ているにも関わらず、来客用布団を使用していないとなると不審がられてないだろうか。
いい年した二人の男が一つのベッドに…なんてそんな事、言えるわけもないが…。

「あぁ、もう必要なくなったって言っといたから平気だろ」

「…は?」

「一緒に寝てるから布団いらないって言っといた」

「な、な、な…!」

い、今何て言った…?
一緒に寝てるって!?
待て。待て待て!
確かにそうだがッ!

ちょっと待て!!!

「な、何言ってんだよッ!徹ちゃ…って、うわぁ!何してんだ徹ちゃん!人の服何脱がして…っ!」

頭が混乱している内にきなり徹ちゃんに服を脱がされた。
ガバッと音がしたと同時に目の前が暗くなったかと思えば何て言う早業…。

「うわっ」

そしてそのまま押し倒された。

「ん?いや、夏野の冷えた体温がちょうどよくてな。今日は暑いし」

「だから何で俺の服を脱がしてんだって!ちょ…」

てか、暑いのはこの日に限った事じゃないだろ!

「知ってたか夏野。素肌で寝るほうが気持ちいいらしいぞぉ」

…素肌!?

「素肌って…ちょ、ちょっと待て!それはさすがにやばいだろ!!」

ベッドの上に男二人で寝るのもどうかなのに、裸ってどう考えても…っ!
慌てて自分の服を奪い返そうとするが、遠くに放り投げられ、さらにはズボンのチャックにまで徹ちゃんの手が忍び込んで来た。

ジー…とズボンのチャックが下げられる音が聞こえてくる。

…ちょっと待て!それ以上は…!

「駄目だって!」

何とか抵抗しようとすればそのまま抱きしめられる形で腰に手を回された。そうすれば、俺の顔は徹ちゃんの首筋に埋もれる形となり…。
徹ちゃんのいい匂いが俺の鼻を掠めれば、一気に眠気が襲い掛かり、力が入らなくなった。

…くそ、俺の弱みに付け込んで…。

「うー…ズボンも脱がすなぁ…」

制止を求める声がなぜか眠気も相まって間抜けな声で言ってしまった所為か、俺の意に反して徹ちゃんの手は止まらず、そのまま俺のズボンを脱がしにかかる。

「前は脱いで寝てただろ?」

「そ、う…だけど…」

確かに、徹ちゃんの家に泊まりに言った時はあまりにもの暑さにズボンを脱いで寝たことはあった。
だが、自分で脱ぐのと脱がされるのとはやはり感じ方が違う。
別々に寝ていたし、今みたく一緒には寝ていなかった。

…何より、ベッドの上で俺だけ下着姿にされて今から徹ちゃんに抱かれて寝ると言う時点で可笑し過ぎる。
抱かれる…ってそう言うと何だかまた違う意味にも思え…。

「これじゃ…何か…」

「何かって?」

もう駄目だ…徹ちゃんの匂いが…。

「くそ…もう…好きにしろ…」

抗う気力もなくなり、俺はそのまま観念して徹ちゃんの胸に身を委ねる形で重くなった瞼を閉じた。
もう、駄目だ…。この匂いは本当にやばい…。

「んー…本当にお前の体温は冷たくて気持ちいいな。触り心地いいし」

ぬいぐるみか何かと勘違いしているんじゃないかと思うくらい徹ちゃんに頬を摺られた気がしたが、とりあえず、俺だけが下着一丁と言う間抜けな格好にさせられていたのが不服だったので、

「…今度からは俺だけじゃなくて徹ちゃんも脱げ…」

この一言だけ残して寝ることにした。

「夏野よ、それの方が色々と…まぁいいか。――それはまた今度な」


……怒りと眠気にまかせて言った言葉が、あとで自分自身の首を絞めたのは言うまでもない。
10.07.20-11.08.18.
快眠に必要な者

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