とある誰かが言いました。
例えそれが間違っていようとも、信じる者が多ければ正義となり、少なければ悪となる…。

――これが世界の理。

いつしか人と言う種族は多くなりすぎて、どの動物よりも高い知能を持ち始め、そして自分たちの信じる物こそが正義だと思う様になりました。

この地は自分達の物。
そして海を汚し、木々を伐採して行きました。

馬は自分達の乗り物。
そして鞭を振るっては馬を操り自分達の足にしました。

豚や牛は食べるもの。
そしてそれらを自分達の食料にして行きました。

……では人間は……?

地球上で頂点に君臨し、どの生物よりも尊く気高い生き物としました。
動物の命を奪えば少しの罪を問われる事もありますが、人の命を奪えばそれはとてもとても大きな罪を罰せられる。
そう、命は平等ではない。人間が第一。動物やそれ以外の生物の価値は人間が決め、人間が管理する世界。

小さければ小さいほど命は軽く見られ、数が少なくなれば少なくなるほど貴重とされる。
人の命を奪う生物は銃を突きつけられ、時として命を奪われる。
不運にも人の足によって潰されてしまった蟻は人の様に埋葬される事も無くそのままにされる。
子を生む為に人の血を吸うしかない蚊は、その行為を疎んじられ、人の手によって潰されて命を絶つ。…屍鬼たちとは違い、極少量の…命に至らない、たったほんの数滴の血を奪っただけで。

だからこそ少女は自分と同じ種を増やす事に決めました。
少しずつ少しずつ。いつか自分たち種族のこの行為を正当化する為に。
裁く者がいない屍鬼達だけの世界を作り、そしてそこで安穏と暮らす為に。

"誰だって好きで人を殺したい訳ではないわ。ただ、そうしなければ生きてはいけないの"

少女は悲しげにそう言いました。

"あなた達は、豚も牛も何でも食べれる。それどころかこの地球上に生息する生物の殆どを食べる事が出来るでしょう。……でも私達はたった一つの物でしかこの飢えを満たす事が出来ないの。ただそれが人の血であっただけ。そう、それだけなの"

……けれど、悲しい事に少女の想いとは裏腹に、一人の女の叫び声によって掻き消されてしまいました。

「いやぁああああ!!」

屍鬼の繁栄の鍵となる子供が生まれてからそこまで日が経っていないある夜。祭囃子が聞こえてきそうな場所で、断末魔な悲鳴が聞こえれば屍鬼の女が人々の前で命を奪われました。
罪状は生きる為とは言え、人の命を奪ったから、でした。

ならば、その女性を殺した彼らの罪は何なのでしょうか?
いいえ、罪ではないのです。
尊き人間の命を奪った悪魔に鉄槌を下したに過ぎないのですから、その行為を咎められる事はなく、むしろその行為を謳われる事でしょう。
人間の命を救った英雄と崇められ、そして人々はその者に続いて人間の敵である屍鬼狩りを始めるのです。
自分達の正義の為に。

――そうして、村人達による屍鬼達への殺戮への序章が始まろうとしていました。
この村で起こった原因不明の奇病の原因が起き上がり…屍鬼達の所為だったと言うのがバレてしまったのです。
どの村人よりも早く村の異変に気づいた一人の医者を筆頭に、人々は動き出しました。

「つい最近、引っ越してきたあの兼正ん所の奴らが仕業だ!」

「あいつらを退治しに行くんだ!」

「殺せ!殺せ!殺せ!!」

「殺せ!!!」

そして、一つの物語が少しずつ終焉へと向けて転がり始めました。
坂道を転がっていく小石の様に。
コロコロ、コロコロ…と。






*


カインはアベルを殺しました。
大事な弟。唯一無二の肉親。

地球上で最初の肉親殺しとなった罪深き男、カイン。
カインも弟をその手に掛けた時は後悔に駆られ、嘆いたのでしょうか。
もしかしたら、カインも彼の様に嘆いたのかもしれません。
弟の様な存在でもあり、唯一無二の友でもあった彼をその手に掛けた彼と同じ様に。

彼は、この世でもっとも大事な人に殺されました。
彼は、弟の様に可愛がっていた人物を殺しました。

――人の血を貪る醜い姿となっても受け入れてくれた…大事な大事な友を。

そんな二人はまるで、カインとアベルね。…と、少女は言いました。
けれど、その後すぐに少女はその言葉を訂正しました。何故ならば二人はカインとアベルから――…。





"またね!兄ちゃん!"

"おう、またなー!"

少年は、彼が子供好きなのを知っていました。
村の数少ない子供達から慕われているのを見れば、それはすぐに分かりました。
何より、叔父に当たる男よりもその叔父の友人であるその青年の方に少女と少年が戯れていたの見ていたからです。
一個違いとは言え、妹と弟がいたのもあるでしょうが、何より父親に似ていたのも強かったのかもしれません。
彼…武藤徹の父親は、村一番と言ってもいい程、自身の子供から他人の子供まで愛情を分け隔てなく与える人物でした。
その血を一番強く受け継いだであろう青年は、村の子供達のよき兄として振舞っていました。
そして、大きく手を振り回しながら去っていく子供達に、笑顔を向けたまま手を振るその男の姿を少年は何度も見てきていました。

"…仲いいんだな"

"そうか?ただ、あの二人を見ると、葵と保の小さい頃を思い出すんだよな、あいつらもあの頃の時は――…"

自分の妹弟の幼き頃を思い出すその表情は、まるで可愛いわが子の姿を思い出して懐かしむ父親の様。

"徹ちゃんは子供好きか?"

"ん?あー…まぁ、そうだな、好きかもしれないな……"

"そうか…"

きっと、彼ならいい父親になるだろうと心の中で思う度、幾度と無く少年の胸が締め付けられました。
子供が出来れば、目尻に皺が出来るほど喜び、あちらこちらと連れ出しては子供よりもはしゃぐ姿が目に浮かびます。
それを考えるだけで息が出来ないほどつらい締め付け。心臓が抉られるのではないかと思うほどの苦しい苦しい気持ち。やるせない気持ちが少年の中を支配して行きました。

"お前達も大きくなったし、後は孫の姿だなぁ"

"そうね、孫の姿が楽しみだわ。徹に似てゲームばかりする子じゃなきゃいいけれど"

思い出すのは徹の両親の言葉。
人口がたったの1300程しかない小さな集落にとって子供と言うのは貴重な宝でした。
外場村の高齢者達は未だに現役で、田畑の栽培などを盛んにやっているからか、まだそこまで深刻化ではない様に見えますが、時期にあと数年もすればその者達も今ほど老体に鞭を打って穀物などを育てる事が出来なくなるのも実情です。
だからこそ、子供は都会以上に必要不可欠な存在。
今まで一線立って外場村を率いてきた高齢者の為にも、外場村の未来を築き上げていかなくてはならない。これからの外場と言う集落の将来を担う者。

現に、徹は高校生とは言え18と言う結婚してもいい年齢になった途端、親戚でもない村の年寄り達が次々に孫の姿は、子供は、と言ってくる様になっていました。
結婚よりも、子供。
そんな村人達の考えに少年は辟易していましたのと同時に、その子供と言う言葉が少年の想いを雁字搦めにしていたのでした。
何故ならば、少年は男であり、子供が産めないからです。男であるが故に、伝える事が出来ない想い。
目の前の男の子を産むことが出来ないと言う事への葛藤。

少年は、自分が女であったならば、と思った事は一度だってありませんでした。
ただ、彼の子供を産む事が出来ない自分自身への苛立ち、この体であるが故に友人と言う関係でしかいる事が出来ない歯痒さを日々日々積み重ねていました。
勿論、生む事が出来る体になっても、結局は想いを告げる事が出来ないのは承知でした。
ですが、自分以上に彼を愛している人間などいないと自負していたのも確かで、他の人物に彼の子供を産ませるのだけはどうしても嫌で嫌で仕方がなかったのでした。

少年は、彼に好きだとは言えませんでした。
自分だけを見てほしいとは言えませんでした。
他の人と一緒にはならないで欲しいとは言えませんでした。

ただ、ただ、願ったのです。
今まで信仰心を持たなかった少年が、その時だけ縋りました。

"この想いをどうにかして欲しい"…と。

その少年の願いは自身の命の灯火と共に消される事になりました。…恋焦がれていた相手の手で。

――そして、この体となりました。男である筈なのに、愛しい相手の子を成す事が出来る体へと。

そんな青年と少年の事を、まるで二人はアダムとイヴね。と少女は呟きました。
人類の祖から屍鬼の祖を比喩するかの様に。初めて屍鬼と人狼の交配によって出来た子供。
これからの屍鬼に栄光を与えてくれるかもしれない子供の寝顔を見ながら少女は嬉しそうに呟きました。

「きっと、そうやって少しずつ受け継がれていくのね。血も、想いも、何もかも」
10.09.02-11.08.15.
参話

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